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鈴木皷村(1913)「日本音樂の話」

鈴木皷村「日本音樂の話」

1913年(大正2年)7月12日 画報社

国会図書館で公開されています.

(保護期間満了によるインターネット公開)

 

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緒言として書かれている文章の要旨は以下のとおりです.

この諸邦樂も、現代との距離の遠近の度によつては、普く世人に知られないものも多く・・・

邦樂の範囲は斯許り狭いものでもなく・・・世界のいづれの邦に比するも、敢て遜色のない程の長さと光彩とを有するのである。

我民族は、巧みに異邦の學藝技術を収得して、よくこれを國土化せしむるの力を有って居・・・る

斯う云ふ過去と伎倆とを有して居る吾々民族は、またまさに将来に於ても、果して何等かを造り上げなければ止まないことは無論である。



以下,本文です.

第四、歐洲樂輸入時代 : 明治三十年後について記述していて,この中で以下のように当時の尺八の状況が少し言及されています.

この期に入りて名を成した邦樂家にては・・・尺八の樋口孝道(京都)中尾都山、(大阪)河瀬順輔、槍田倉之助、(東京)四氏・・・等の諸氏であるが、同時に前期からこの期に亘つての諸妙人のうち・・・尺八には荒木古童・・・等を失つた。
 

現存諸樂畧解 :楽器ごとの説明です.尺八の説明の要点は以下のとおりです.

第二十五、 尺八

平城天皇、大同四年の官符に、當時諸樂師の中に「尺入」の職員・・・雅樂管楽器の一科としてである。

「一切節」と「尺入」とは同じもの・・・

源氏物語、末摘花・・・この中のさくはちの笛とは、即ち一切節・・・

一切節の説明は省略します.

徳川期の寶暦、明和の頃再興せられ、文化に至つて一思庵なる妙人が出て、其後また漸々衰ヘ、一方更に變形した即ち現今の尺入を出し、明治に至つて故荒木古童氏及び其門弟故福城可童氏の如き名手を輩出した爲め、非常な普及を遂げて現代に及んだ・・・

我邦に於ける傳統」として絲竹古今集の記述を引用しています.

傍廂前篇尺笛の篠」の中で「尺八笛は、長さ一尺八分・・・後々は吹くことはさし置き、いさかひの爲め便利にせんと、一尺八寸にして節を數多にして、竹の根ぎはを切りて一刀のかはりとす」の記述を引用しています.

虚無僧については慶長十九年の徳川幕府の掟書を引用しています.

尺八の現状については「而して本曲の現今に傳はるもの凡二十八九曲、それさへ右規を守るものはないので、獨り京都の樋口孝道氏位を數ふのみだ。現時隆盛を極めつつあるは、悉く琴古流ど稱し、箏曲樂等の各流派に合奏のもののみである。

目下尺八を以て世に稱せられて居る人には、京都の樋口孝道氏(普化流)大阪の中尾都山氏(都山流創始者)東京の二代目荒木古童氏(以下琴古流)初代の高足河瀬順輔、三浦琴童、の二氏及び、槍田倉之助、雅樂家多ノ忠告の二氏である。

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栗原広太(1918)「尺八史考」

栗原広太「尺八史考」

1918年(大正7年)9月20日 竹友社


国会図書館で公開されています.

(著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けてインターネット公開)

 

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参考文献として列挙されているものは以下のとおりです.

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凡例」に「本書は大正五年六月以降尺八考と題して雑誌 「竹友」 に連載したるものに就き附後の發見るに係る史實を追補し編纂の體様を改訂」し,「本書の目的は専ら尺八の一般的沿革を叙述して尺八の本領眞價を闡明ならしめんとするに在り」と書かれています.


本書の内容は以下のとおりです.

緒言
第一編 総説
    一 樂器の種別
        樂器の分類,絃樂器,管樂器,撃樂器
    二 竹属樂器
        竹属樂器,尺八と笛
    三 本邦に於ける笛の略史
        我國笛の略史,固有の笛,唐韓樂の笛の渡來,笛の盛況
    四 唐韓樂の笛
        唐韓樂の笛,中管,横笛・長笛,高麗笛,百済笛,笙,■
[しょう],篳篥,莫目
    五 支那に於ける笛の起源
        支那の笛の起源,邱仲,羌中,黄帝
第二編 尺八の名稱
  第一章 尺八の稱呼
一 ■
[たけかんむりに尺][たけかんむりに八]
    二 さくはちの笛
    三 短笛
    四 尺八管
    五 中管
    六 鋻[けん]笛
    七 楊貴妃
    八 洞■
[しょう]
    九 一節切尺八
    十 小竹
    十一 虚鐸
  第二章 尺八の語源
    一 一尺八寸説
    二 一尺八分説
        古管の寸法,唐の小尺
第三編 尺八の起源
    一 呂才説
    二 囘向寺僧説
    三 張伯説
    四 猿骨説
    附 洞■
[しょう]
         洞■
[しょう]の解
第四編 尺八の變遷
  第一章 変遷の概觀
    一 支那
        支那に於ける尺八の沿革,起源,唐時代の盛況,遼代の樂器,赤壁賦の洞■
[しょう]
    二 本邦
        我國に於ける尺八の沿革,雅樂用尺八,一節切尺八,虚無僧尺八,現代尺八
  第二章 上代の尺八
    一 聖徳太子の尺八
        聖徳太子,法隆寺に傳はる尺八,聖徳太子と音樂
    二 正倉院の尺八
        正倉院の御物,東大寺献物帳,正倉院尺八の形状
    三 西大寺の尺八
        西大寺の尺八
    四 雅樂寮の尺八
        雅樂寮,大同四年の太政官符,嘉祥元年の太政官符
    五 清和朝の尺八
        貞保親王,慈覺大師
    六 源氏物語の尺八
        源氏物語の一節,尺八の中絶
    七 後白河朝の尺八
        後白河朝尺八の再興,信西入道古樂圖の尺八
    八 後深草朝の尺八
        法燈國師,十訓抄
    九 懐良親王の尺八
        懐良親王と尺八
  第三章 一節切尺八
    一 一節切の形状
        一節切尺八の形状
    二 一節切の起源
        一節切尺八の起源,宗佐
    三 一節切の沿革
        一節切尺八の沿革,頓阿作の尺八,朗菴,一路叟,一休禪師,體源抄の尺八,大森宗勲,一節切の全盛期,
        山崎正峰所蔵の尺八,一節切尺八の衰退期
    附 小竹
        小竹
  第四章 虚無僧尺八
    第一節 佛徒と尺八
          上代の尺八一節切尺八虚無僧尺八の各異同ある點,佛徒と尺八の關係
    第二節 虚無僧の起源
      一 暮露
          暮露ぼろぼろぼろんじ、馬聖,暮露の由來,虚無僧の字の古書に見えたる始
      二 薦僧
          虚無僧の由來,虚無の字義
      三 虚無僧の起源に關する諸説
      (一)覺阿の事
      (二)法燈國師の事
      (三)寄竹の事
      (四)金先の事
      (五)楠正勝の事
          楠正勝,正史の正勝事蹟,正勝と傑堂能勝禪師,虚鐸傳記國字解,朗菴
    第三節 普化宗の由來
      一 普化禪師
          普化宗の開祖,普化禪師
      二 普化宗の宗義
          普化宗の本義
      三 普化宗の寺院
          普化宗の流派,普化宗の本寺,一月寺,鈴法寺,番所,普化寺諸役
    第四節 虚無僧の全盛期
      一 慶長十九年の掟書
          徳川禁令考所載の掟書,天保二年鈴法寺提出の掟書,寛政四年兩本寺提出の掟書,兎園小説所載の掟書,圖書管寫本の掟書,
          慶長十九年掟書の疑義,普化宗と仙石騒動
      二 延寶五年の法度
          普化寺住職の事,虚無僧取立の事,本則の授與
      三 寶暦九年の令達
          宗紀振■竹名禁止
    第五節 虚無僧の終末期
      一 虚無僧の跋扈
      二 安永三年の令達
      三 弘化四年の触書
      四 民間の吹管
          虚無僧以外の吹管
      五 普化宗廢止
      附 虚無僧風像の變遷
          徳川時代虚無僧の風俗,虚無僧茶筌を賣る事
    第六節 侠客と尺八
          侠客の尺八
      一 大島逸兵衛
      二 雁金文七
  第五章 現代の尺八
    第一節 現代尺八の性質
      一 樂器時代と法器時代
          尺八の樂器時代,尺八の法器時代
      二 性質上の復古
          尺八の復古
    第二節 尺八勃興の徑路
      一 中央に於ける尺八
      (一)琴古
          初代琴古,岡秀益,二代目琴古,三代目琴古,四代目琴古,琴古流相傳
      (二)吉田耕三(一調)
          吉田耕三,吉田耕三の手記,久松風陽,久松風陽の手記,
      (三)荒木半三郎(古童)
          荒木半三郎,豊田勝五郎,明治初年の衰徴,名士の尺八,長三州と荒木古童,原信存,上原六四郎
      二 地方に於ける尺八
          眞島鶴堂,嘉竹,杉山素扇,津田雪呈,近藤宗悦,木田鶴彦,塚原玉堂,都山流,兼友西園,内田紫山,明暗流,
          村瀬竹翁,岡田魯山
第五編 結論
      一 歴史より觀たる尺八
      二 材料、構造、音等より觀たる尺八
          樂器として觀たる尺八,尺八の材料,尺八の構造,尺八の樂音,尺八の吹奏と精神修養,尺八の吹奏と健康の保全

 

 

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神宮司廳編(1910)「古事類苑」

神宮司廳編「古事類苑」

1910年(明治43年)11月30日 古事類苑刊行会


国会図書館で公開されています.

(著作権保護期間満了によるインターネット公開)

 

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以下の項目で普化宗が説明されています.


宗教部第一冊
  宗教部十五 佛教十五 普化宗
    宗名
    宗義
    宗規
    傳統
    流派
    虚無僧
    雑載



それぞれの項で以下の文献が引用され,原文が引用されています.

  普化宗雑記 上・下
  元享釋書 六 浄禪
  寺社規刑集 寺社
  普化宗門之掟
  寶暦集成絲綸録 十九
  諸宗階級
  虚鐸傳記 上
  雍州府志 四 寺院
  饅頭屋本節用集 古 人倫
  書言字考節用集 四 人倫
  徒然草 上
  七十一番歌合 中
  國字分類雑記 二十七
  徳川禁令考 四十一 普化
  羅山詩集 七十一 畫圖

 

 

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加藤庸三(長江)編(1909)「日本音楽沿革史」

加藤庸三(長江)編「日本音楽沿革史」

1909年(明治42年)3月20日 松本樂器


国会図書館で公開されています.

(著作権保護期間満了および文化庁長官裁定による公開)

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著者は毎日電報(現毎日新聞)記者.洋楽が導入され普及し,国内伝統の音楽との拮抗・融合が図られていた時代に書かれた日本の音楽史です.雅楽から庶民の音楽まで幅広く記載されています.残念ながら原資料への言及はありません.本文では尺八への言及はありません.尺八については以下のような楽器の簡単な説明のみです.


樂器根源誌(和漢洋)

尺八
支那の洞笙に起因す,某書に古代,呂才の創むともあり,我邦に傳はりしは詳かならざれど,大同四年
(809年)の雅樂師の制を定むる條に尺八師あれば,此頃より行はれしと知らる。

 

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故岩崎俊彌氏伝記編纂会編(1932)「岩崎俊彌」

故岩崎俊彌氏伝記編纂会編「岩崎俊彌」

1932年(昭和7年)10月7日

岩崎俊彌氏伝記編纂会

国会図書館で公開されています(著作権保護期間満了)

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岩崎俊彌の伝記です.1881年(明治14年)1月28日誕生.旭硝子(現AGC)の創業者.蘭の栽培,馬術,投網,鳥類の飼育,料理など多くの趣味を楽しんだようですが,中でも尺八の腕は「出色のもの」だったようです.「尺八の堪能」の項に書かれています.

夫人が「生田流琴曲」で「秘曲まで傳へられた程斯道に堪能」だったこともあり,夫人が「尺八の稽古を勸め」たことがきっかけでした.大阪の野村景久に琴古流,.續いて神戸の内田秀堂,後に鎗田倉之助に師事して「外曲の全部を上げ」ました.その後に東京に移ってからは荒木古童に師事して「本曲(36曲)の總てを上げ」ました.古童の談,「氏の熱心と研究とは相俟つて加連度的に上達し、確に普通の専門家以上の技倆を有つてゐた。」「氏は本尺の外尺七、尺九、二尺の管を用ひてゐたが、此の中で最も好むでゐたのは尺九の管であつた。」「三曲ものになると單に吹奏の技倆の練磨に止まらず、歌曲の研究に進んでゐた。」が引用されています.なお,「氏の常に愛玩してゐた尺八は、殆ど皆斯道の大家三浦欣堂氏の作」また「古童氏は氏の尺八に對する熱心に感動して、多忙な身でありながら特に氏のために一管を作つて贈つた」とのことです.

 

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酒井欣(1934)「日本遊戯史」

酒井欣「日本遊戯史」

1934年(昭和9年)6月15日 建設社

国会図書館で公開されています.

(著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開)

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多くの文献を引用して,芸・遊戯の歴史を詳細に説明しています.尺八は中古史の項(平安時代)で説明されています.


第二編 中古史 (p245)
  (平安時代を指しています.)

第六章 尺八 (p371)
  なお,「第五章 琵琶」(p355),「第七章 箏」(p384)もこの「中古史」の項です.

「倭名類聚抄」
「(尺八は)貞觀年間魏の呂才によって創案された...後世尺八寸に寸が限られてあるところから尺八と呼稱せらるるに至つた

「呂才傳」
呂才によつて創案せられたる尺八十二本は各々長短を異にしてゐたのである。

尺八の日本への伝来は不明としつつ,「役の小角が大峯を通りし時、尺八を吹奏せしにより,山神舞ひ出しより、此所を蘇莫者の嶽と名づく」および「聖徳太子が生馬山にて蘇莫者をあそばした」との伝承を引用しています.

「類聚三代格」
雅楽寮所属の中に尺八師又尺八生なぞがあつて、雑樂を掌つてゐた」として,大同4年(809年)と嘉祥元年(848年)の記載が紹介されています.

「源氏物語」
「(尺八などは)例いの御遊びならずとことわりいへるによれば常に用ひられつつあつたのではなかつたのであらう。

「續世繼」
尺八といひて、吹たえぬる」と記載されています.このため,「(尺八は)その後久しく中絶せるを保延三年の内宴に再興された。」「(「續世繼」の記述後に)再び遊事例の中絶せる...」と,推定しています.

「虚鐸傳記」
本書の記述から「はるか後年に至つて禪家の愛玩するところとなり盛んに弄吹さるるに至つた。」と推定しています.

「嬉遊笑覧」
本書の記述から「一休禪師の禪友朗庵といふ禪僧が夙に普化禪師の宗風を慕ふのあまり、自ら風空道者と號し、尺八を以て四方を吹傳し、到る處に於いて薦の上に坐し、尺八を吹奏せるより虚無僧といひなまつたのであるといふ。」,また「朗庵の禪友といはるる一休が狂雲子と號し、俗塵を避けて字治庵にゐた頃盛んに尺八を愛玩した。」と推定しています.

「羅山文集」
宇治の狂雲子が世を避けて尺八を吹くの記述があります.

後世尺八の聲調を調へたのは、不人といふこむ僧に始まるといはれる。」として,不人という虚無僧が曲と調子を整備したと記述しています.また,この時代に「天蓋・袈裟・尺八を虐無僧の三器といつた。虚無僧は廻國にさいして袈裟をまとひ天蓋を冠り尺八を吹奏して寄謝を乞ふのであつた。」としています.

「慶長見聞集」
虚無倫廻國の一例」が記述されています.

「慶長の箇條書」
慶長十九年戊寅正月、家康ほか本多上野・板倉伊賀守・本多佐渡守の在判をもつて仰出された

ただしこの時代,「しかして虚無僧は、承應の明暦の頃は野郎頭であつた。」と付言しています.

「嬉遊笑覧説」
この時代の虚無僧の風俗として「あだかもその形状擂鉢に彷彿せるが如き深編笠に面彊をつつみ、腰に丸ぐけの帯なぞして錦の筒袋を腰に下げ、よろづ寛闊に出立つに至つたのは明和以後の事であらうといふ。」と,記述しています.

「慶長見聞集」
慶長の頃大烏一兵衛といふ男伊達が虚無僧と争論の揚旬、尺八を尻で吹いた」という逸話が記載されていることから,「この頃より次第に民衆に弄吹さるるやうになつたのであらう。」と推定しています.

「目覺草」
寛永2年(1625年)に書かれたこの本には「調子を習ふ用もありといへども、ただすきのものの集まり」の記述があります.

「賢女心粧」
この時代の風俗として「『俄かに尺八をけいこして、袖を鼠色に染めさせ、綿厚に仕立て摺鉢を見るやうなあみ笠をとのへ』等と當時の世態が如實に記されてぬる」と記述しています.

「傍廂」
「(侠客が)一尺八寸にして節あまたにして竹の根ぎはを切りて、 一刀のかはりとす」の記述があります.

その寛闊なる風はやがて劇にも採り入れられた」として,次の劇を引用して説明しています.
  「花館愛護の櫻」,「式例和曾我」,「助六廓家櫻」,「所縁江戸櫻」,「助六」,「黒手組助六」

文禄慶長の頃盛んにもてあそぱれた一節截(=一節切)は・・・恐らく古來の尺八を變改したものであらう。」として,次の文献を引用して説明しています.
  「絲竹初心集」,「糸竹初心集」,「尺八手數目」,「尺八譜引」

 

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