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滝井南舟(1914)「 琴古流尺八楽譜 竹の志らべ  第一集・第二集」

国会図書館で公開されています.
(著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開)


滝井南舟「 琴古流尺八楽譜 竹の志らべ  第一集」
1914年(大正3年)6月1日 盛林堂

Takii0101   Takii0102

本書は琴古流で一般に用いられるロツレチ式の記譜が採用されています.これについて「凡例」では,この記譜法が当時最も「専門的」ではないためと書かれています.

使用する尺八については,「尺八の寸尺」に,1尺1寸管から2尺管が主に使われていて,時に2尺以上の長さの管も使われていたと伺われる記述があります.著者はこの記述に続き,本書に記載した曲の演奏にB管を推奨してます.現代の尺八ではこれは2尺1寸管に相当しますが,当時の尺八は現代の尺八より半音程度低かった可能性があるので,2尺~2尺1寸管を想定していると考えられます.

メリとカリについては,「その音符」の項に,腮の向きで半音を上下すると記述され,一つの指遣いで半音刻みの3つの音程を出すと書かれています.また,メリとは別に指による孔の半開で,半音を下げる方法も記載されています.

「甲と呂の音」に,甲と呂の吹き分け方法として息の強弱の方法が記述されていますが,これには違和感を感じます.ただし,この時代の教授本はすべて同様の説明です.


凡例
目録
尺八の寸尺
その構へ方と吹方
その音符
甲と呂の音
特殊の指法
拍子、音符の長短
合奏の心得
第一集 樂曲
 黒髮,六段調,千鳥,ゆき,櫻狩,長唄 明の鐘,長唄 勸進帳,

 義太夫 寺子屋, 清元 喜撰,春雨,松前追分,深川おどり,いそ節


凡例
 [抜粋] 一.第一集には多少心得ある方の爲に,最も正確なる箏曲及び長唄等を集めてある。
一.第二集には最も初歩の方の爲に普通の流行歌,端唄等を集めて獨習の便としたのである。
[中略]
一.著者は多年斯道の爲教授に盡してゐたが,それの爲にする音譜は専門的に傾くので種々記譜法を斟酌して本書の記譜としたのである。
[以下略]

尺八の寸尺 
[抜粋]
尺八はその名の通り,普通一尺八寸としてあるが,併しこれ迚(とて)も筒の廣狭(ひろいせまい)によつて調子に相違があるから,要は弄ぶ人の適度のものを撰ぶがよい.その丈には短きは一尺一寸位から長きは二尺以上のものもある.さりながら短(たん)に過ぎたのは調子が高過ぎて,尺八的の豐艶な音に乏しくなり,長(ちょう)に過ぎる時は調子が低くなつて鈍音のみとなるから,まづ尺八の長さで,嚴密にいへば筒音(つつね)(即ち總ての孔を塞いで出す音(ね))が壹越調,西洋樂でいへばB(即ち八調の7・)に相當するものが可(よい).尤も息の強弱によつて,竹に斟酌があつてもよい.[以下略]

その音符
[前略]
一メル 例へばロ音を出す時,腮を内へ引き吹く時は半音低きロ音となる.[以下略]
一カル 右の反對にカルと記されてあるは,腮を外へ出し加減にして半音高き音を出すのである.[以下略]
一半開 ある孔に當(あて)し指を全然開かず半開(はんびらき)にする時は,また半音相違せる音を出し得るのである.例えばツ音を出(いだ)すべき指法[で第二孔を半開]とする時は半音低きツ音を出し得るのである.[以下略]

甲と呂の音
[前略]甲の音を出すには唇に力をいれ強く吹入れ,呂音を出すには弱く吹入れるのである.[以下略]

巻末の広告
獨習用樂譜
 町田櫻園「最新尺八獨習自在」,「尺八獨案内」
 成齋樂人「俗曲獨習 尺八速成自在」

滝井南舟「 琴古流尺八楽譜 竹の志らべ  第二集」
1914年(大正3年)12月1日 盛林堂

Takii0201   Takii0202

第二集の「凡例」には,当時の事情の中で本書を刊行する意図が書かれています.日本伝統音楽の伝承が閉ざされた中にある傾向に対して,邦楽の発展のために本書によって理解しやすい簡明な記述で楽譜を作成して広く公開したいという意図です.


凡例
尺八の寸尺
その構へ方と吹方
その音符
甲と呂の音
特殊の指法
拍子、音符の長短
合奏の心得
第二集 樂曲
 竹になりたや,花の曇り,博多節,梅は咲たか,紀伊の國,

 三十三間堂,きやり,わがもの,淀の車, こすの戸,おとし文,

 小原女,時宗,たなの達磨,ふけてあふ夜,さんさ時雨,

 ぎつちよん,雪はともえ,ぞめきにごんせ,かうもりが,

 舌出し三番,春はうれしや,數へうた,だがね節,おいとこ節,

 米山甚句,常磐津 將門,長唄 越後獅子,八千代獅子,江の島


凡例
一 由來日本音樂には秘曲の,許(ゆるし)の,口傳のと夫々専門家にはておつくうな習得法があるが,是からの世はそんな偏狭なことではすむまい.西洋音樂では完全な樂譜によつてどんどん大曲名曲を紹介する時節,徒らに他を罵り,指缺(しけつ)を以て事とする樣では我邦樂の改善發逹は望まれぬと信ずる。
一 と,こんな理屈を言出すにも當らぬが兎角樂譜等の著作に對しては彼是批難する一派の手合があるから特にこゝに斷つて置いて偖(さて)本書はその批難を甘んじて受ける事を萬々承知で著はしたことを告白する。
一 夫(それ)は専門家には専門家の指法や特殊の演出法がある譯(わけ)であるが,本書の趣旨はその専門家が首肯すべき樂譜を作るのでなくて初歩入門の人々に出來得る限り簡明に正確に會得せしめたいのが主眼である.随って繊細な手法等は省略せねばならぬ場合もある.これは已むを得ぬ事であらう。
[以下略]

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