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新井政毅(1892)「虚無僧事實考」

新井政毅「 虚無僧事實考」

「風俗画報 第三拾七號」東陽堂発行

1892年1月10日


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雑誌「風俗画報 37号」は1892年(明治25年)の1月に発行され,国内の正月風俗が紹介されています.この中に川越在住の著者による虚無僧の記事があります.

先ず,記事の冒頭で「虚無僧」の名称の由来を以下のように「虚無空寂」に帰します.

雍州府志云虚無空寂を宗とす故に虚無僧と稱す又薦僧とも書

   註:雍州府志=>山城国(京都府)の地誌.1682年成立.(ブリタニカ国際大百科事典)

その後,薦僧の祖として朗庵を紹介し,京都の虚無僧寺を「妙安寺」とし,朗庵が京都妙安寺から宇治の吸江菴に移り,ここから弟子が諸国に移ったと紹介しています.

「虚無僧」の性格については以下のとおり,「還俗」を重要視しています.

虚無僧は...一時の隠家として不入守護の宗門に依て諸士の席に定め置き何時にても還俗せしむ

記事執筆の当時(1982年 明治25年)には,虚無僧が居て,(その本意ではないにしても)弟子をとって尺八と教授していたと記述しています.

虚無僧の寺院は托鉢を以て業として壇越といふもなく縣官よりも立錐の地を賜されは今は甚困窮せし故に何人なりとも望のものをは弟子として尺八吹こ[く?]とはかりと會したるは恐らくは本意ならさらん

一方,普化宗については,以下のように,虚無僧の自称の説になにがしかの疑問を持っているように読めます.

その宗旨は普化禪師より出て・・・・尺八は唐の呂才か製して大宗の時燕樂とせしというをみれは普化禪師の吹かれたるもことはり[=理]なりその血脈相承は實に彼等か云ふ所の如なりや不審と金娥長語[=綺麗で長い言葉]に見えたり

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