« 2015年3月 | トップページ | 2015年6月 »

村瀬興四郎(1893) 「無師獨奏 尺八曲譜集目録」

国会図書館から公開されている資料です.

村瀬興四郎 「無師獨奏 尺八曲譜集目録」
1893年(明治26年) 横江慶次郎発行(愛知県名古屋市)
(文化庁長官裁定を受けて公開)

01  02  03  04

序文はまだ完全に解読できていませんが,概ね次のようなことが書かれています.

この時までに西洋楽器,中国楽器のいくつかが導入されて流行していたが,尺八は人気が無かった.西洋楽器は音色は良いが携帯には不向き.中国楽器は合奏に は良いが独奏には物足りない.日本の横笛は携帯に便利で,音色も良いが,歯を損ねたり,強い呼吸が必要だったりする.これに対して尺八は,音色が良く,独 奏にも適し,携帯にも便利,必要な呼吸量も中庸,歯を損ねることもない.それにもかかわらず尺八が流行しないのは,楽譜が無いことによる.このため,この 本で尺八譜を提供する.

楽譜は30曲が掲載されています.このうち,地唄・筝曲は「黒髪」,「袖の露」,「八千代獅子」,「芦苅」,「ゆき」,「ちょんきな」,「越後獅子」,「六段の調」.本曲は「鶴の巣籠り」(いわゆる明暗真法流か?)

記譜は横書きで右から左への記譜.音名は明暗の譜名.リズムを示す付点,甲乙を示す下線が加筆されています.


尺八譜集序
樂器に種々様々のものありて一々其名を記憶する事能は■されども常に吾々の念頭に浮ひて有るものを擧れは泰西には風琴,ピヤノ,ヴァイヲリン等あり次に清 の樂器には月琴,胡琴,庭琴等あり偖[さて]又是等の樂器に就き一々批評を下せば泰西乃ものハ概して形状優美音色清朗なり次に清ハ如何曰く形状風雅音色も 亦爽快なり然れども携帯上又ハ使用上に就てハ中々文句あり曰く泰西の樂器は概して構造過大に失し我が行く處[?]■之を携ふる事中々不便なり清の樂器之れ に次く而るも清樂は合奏なれば随て面白けれども獨り之を奏するときは何■かみみ物足らぬ感なき能はず然らは我國古來慣用せる横笛は如何曰く携帯便利音色勇 壮なり然れども歯列を損するとか又は吹奏の爲め強き呼吸を要する哉以て肺の弱き人には餘り感服不仕抔と古來傳ふる所なり然らは尺八は如何曰く何心なく之を 一見すれば火吹竹に■も似る一種の笛なり然れども之を熟視すれば則はち然らす形状勇壮又自ら雅風あり特に音色微妙なり加之携帯便にして獨奏に適するのみな らず又他の樂器と合奏すれば尚幾層の興味あり剰へ吹奏に要する呼吸量の中和なるを以て肺の弱き人抔には肺中の空気交換の爲めには良器械なりと是通來人々の 言傳ふる所なり随て歯列損害の虞なきハ實検上吾々の信して疑はさる所なり依之観之尺八とは泰西と清の樂器が有する能力ハ悉く之を有し而かも其等の有せざる 携行自在獨奏■快の如き特性を保有す尺八子の多能なる實に愕くに■■りと謂べしなれども或酷評者は斯く言ふなるべし曰く汝如何極尺八を辨護するもそは机上 の空論に過ぎず宜しく括目して音樂社界の現状を熟視すべし夫れ尺八の勢威微々として振はざるに然ずや之に反して泰西樂に并に清樂子の名望日に高く夙[つ と]に音樂社界に雄飛するの勢力あるにならづや果たして然らば汝が辨護の架空説なる哉證するに足ると同時に尺八の多能頼むに足らさるを知るへしと余之れに 答て云はん曰く一低一高一得一失ハ數の免れざる所なり願ふに泰西樂子及清樂子皆楽譜てふ細君あり就中泰西子の夫人最別嬪にして最■世事タツプリなり然るに 尺八子未だ細君を娶らづ即ち獨身なり故に諸世事に鈍なる又怪むに足らざるなり夫れ人は無骨者を避けて清取持■れ方に走るハ自然の通慣なり是故に酷評者の言 の如く尺八子の勢威微微たるは他なし其多能ならざるが爲■にあらづ是れ實に樂譜嬢を娶らざ■に■ならざるなりと然れども■■にして打■■かば尺八子遂に箱 底に没し所謂秋夜月■朗々たる龍聲復た聴く能はざるに至らん即ち不知不識の間に酷評者の論■に葬られんとす豈に気の獨ならずや是れ本書が尺八夫人の候補者 として打ち出でたる所以なり然れども本書が果して其候補者たるの資格あるや否に至りては江湖の■評を得て後に知らんのみ識者夫れ之を諒せよ

編者識

| | コメント (0)

« 2015年3月 | トップページ | 2015年6月 »