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荒木精之(1944)「続 肥後民話集」

荒木精之「続 肥後民話集」1944年(昭和19年) 地平社

国会図書館で公開されている文献です.
(文化庁長官裁定を受けて公開)

Araki

 荒木精之(1907-1981)が集めた肥後の国(現在の熊本県)の民話.松村武雄の序文によれば,「肥後は古くから人文的活動の盛んな國であつたし,その上にまた國土の位置の關係から朝鮮・支那・印度支那・南洋などの民話が,流れに流れ込んで,久しい間に郷土固有のそれ等に混淆し融合して,火の國の民話界を豊富にし多彩にしてゐる」.本書は正・続の二冊で百話を掲載しています.

 第七十二話に尺八が扱われています.文面をたどればかなり残酷な話になっていますが,日本の伝承民話はしばしばこのような性格があり,本書の他の話もこのような傾向がみられます.

 この物語が物語の素材に尺八を選んだのか,尺八の特性からこの物語がうまれたのか,それはわかりませんが,物語と尺八とが良く合っているのでしょう.この話では「尺八から流れてくる音色の中に自分のかなしい歌聲」を含んだものであるとしています.

 この物語では江戸の街中を「尺八ふき」が尺八を吹きながら流していたことになっています.なぜ虚無僧と明言しないのか不思議なのですが,虚無僧として限定してしまわない方が特定の宗教性を排除できるのかもしれません.

第七十二話 不思議な尺八の話

 昔,熊本のある士族の家にあつたとつたへられてゐる話.
 その家には父と母と二人の子供が住んでゐた.父親は殿樣の參覲交代について江戸にのぼつて,あとには母親と兄妹の子供が殘つてゐた.ところが二人の子供は母親にとつては上の男の子供は繼子で,下の女の子は實の子であつた.兄妹はいたつて仲がよかつた.
 母親はいつも繼子がにくくてならなかつた.母親は何かにつけて繼子をいぢめるのであつた.そしては父親のいない間に一を繼子を殺してやらうかと思ふに至つた.
 或る日,母親は二人の子供を手習にやる時,ひるめしをもたしたが,本當の子の方には毒の入つていないものを與へ,繼子には毒を入れたものを與へた.實子 は兄のにぎりめしに毒が入れてあるのを知つて,こつそりと兄に,そのおにぎりはたべるなといつて,自分のものをわけてやつた.そして兄のおにぎりを犬にく はせると,犬はころりと死んでしまつた.
 母親は繼子が死ぬものと思つてゐたら,何のこともなく歸つてきたので一そうにくにくしくてならなかつた.母親は神まゐりに連れてゆくといつて,まま子を 連れだし,神社の近邊にうづめて歸つた.妹は家にいつまでも兄が歸つてこないので,母親にたづねたが,母親は知らぬといつてそのままねてしまつた.妹は兄 の身を案じて家の外に出てあちこちとさがしあるいた.
「兄さん! 兄さん!」
といつてさがしてゐると,神社の森の近くから,「ウ・・・ウ・・・」といふ苦しげなうめき聲がきこえてきた.妹が近よつてみると穴の中に兄はうづめられてあゐたので,土を掘り出して兄をつれて家に歸つた.
 母親は繼子を見ると,にくくてにくくてならなかつた.
 この死にそこなひめが!
 このごくぬすどが!
と散々こぐきまはしては毎日いぢめつけた.繼子はそのたびに江戸に行つてゐる父親を戀しがつた.
 或る日,母親は大釜に湯を一ぱい入れて沸らした.その上に一本の木を渡して,繼子に,
「ここを渡ると江戸の父さんが見えるから渡れ.」
といつた.繼子は「いやだ,いやだ.」といつたが,母親は無理に渡らせた.するとたうとう中途でころんで湯の中に落ちて死んでしまつた.これを見てゐた本當の子が,
「私も渡る,江戸の父さんがみたいから.」
といつた.母親がびつくりして,江戸の父さんは見えないといつたが,渡るといつてきかず,たうとう湯の中に落つこちて死んでしまつた.
 母親は二人の子供の死體を畑にうめた.
 するとそこから竹が生えた.それは實に見事な竹であつた.或る時尺八つくりがそこを通りかかつて,この竹を見て,
 「これは實に立派な尺八竹だ,一つゆづつてうくれ.」
といつた.母親は,尺八竹ときいて,
「この邊で吹くなら賣つてもいいが,江戸にゆくなら賣らぬ.」といつた.尺八つくりは江戸にはゆかぬといつてその竹をひとつ買ひとつた.
 その竹でつくつた尺八は實にいい音を出した.だんだん有名になつて,轉々と江戸の方に上つて行つた.  この尺八のふくところ,みんな音色におどろいて,立止りかえつて耳をかたむけた.
 二人の子供の父親は或る日,江戸の家の中にゐたが,ふとどこからともなく流てくるかなしい歌をきいた.その歌はだんだん近づいてきた.彼は思はずひきつ けられて門に出てみた.すると尺八ふきが尺八をふきながら近づいてくるのであつた.二人の子供の父親は尺八から流れてくる音色の中に自分の子供の悲しい歌 聲をききとつた.
  江戸の父さん 戀しやな
  まま母うらめし ヒユーヒヨロヒヨロヒヨロ
 それはまぎれもない故郷にのこしてきたわが子の歌聲であつた.父親はおどろいて尺八ふきを呼びとめ.その尺八はどこから手に入れたものかときいた.する と尺八ふきは熊本から手に入れたと云つた.父親は何ごとか不吉なことが自分の不在中にあつたに相違なしと思つて,殿樣のおゆるしを得てすぐ歸つた.家にか へつてみると,二人の姿は見えなかつた.母親をせめると病氣で死んだといつた.しかし父親はそれを信じなかつた.なほも責めてゐると,まま母は遂に私が殺 しました,と白状した.父親は大いに腹を立てて,まま母の鼻をきり,耳をきり,眼玉をくりぬいて殺してしまつたといふ.


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