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野地繁(1941)「盲学校物語」

国会図書館で公開されている図書です.
(文化庁長官裁定を受けて公開)

野地繁(1941)「盲学校物語」交蘭社

Noji

著者の野地繁(1903-1988)は盲目の随筆家.この本が1941年の出版で,本書によればその20年ほど前に上京して東京盲学校に入学したとのことです.

著者と尺八との係りが,本書に以下のように書かれています.

著者は盲学校在学中に尺八の練習を始めました.盲学校には音楽科があって年二回の演奏会が開かれていました.そこに尺八の演奏家として水野呂童が出演していました.震災前のある年の演奏会では本居長世の令嬢がピアノを弾き,これに吉田晴風が尺八で合わせたことがありました.この演奏に感銘して,吉田晴風に師事することを希望しました.

音楽科の生徒の一人が宮城道雄に琴を習っていたため,宮城道雄に仲介を依頼したところ,快く繋いでくれて,吉田晴風に習うことができました.

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先生に初めてお目にかゝつた時の印象は「ノンキな父さん」といふ感じだつた.でつぷり肥つた血色のいゝ赫ら顔で頭の毛が薄くて電氣でテカ\/光つてゐた.そして終始ニコ\/してをられた.(私は其の數年先生に師事したが先生の怒つたお顔を見たことが一度も無いかつた,又先生から人の悪口をきいたことも一度も無かつた)
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この縁もあって,後日,盲学校で邦楽の演奏会を開きました.宮城道雄や吉田晴風に加え,田邊尚雄の講演があったりと,「盲學校初まつて以來」の盛会となったとのことです.

著者が最初に買った尺八は18円の尺八で,これを吉田晴風にみてもらったところ「これなら一年位は使へませう」との評をもらいました.著者はその後「此のの尺八では滿足出來なくなって新たに」70円の尺八を買いました.

著者は盲学校で2年ほど尺八を習いましたが,卒業後には尺八を続けることはなかったよ
うです.ただ,本書の初出は雑誌「三曲」の連載であるし,本書の序文を田邊尚雄が書いていますので斯界との関係は生涯続いていたのでしょう.

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