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田島志一編「元信画集 第二冊」

田島志一編「元信画集 第二冊」
1903年(明治36年) 審美書院
(著作権保護期間満了)

国立国会図書館で公開されている文献です.

普化和尚畫像

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狩野元信は,同書第一冊の緒言によれば,1476年(文明8年),狩野派の始祖狩野祐勢正信の長子として京都に生まれました.そして,この緒言では次のように記述しています.

足利時代の中葉に方りて世に出で,天縦の偉才を揮ひて畫界に一旗幟を樹て,狩野派數百年の基礎を確立したるものは實に我古法眼元信にあらずや,蓋し狩野派 の開祖は祐勢正信なりと雖も,其眞首領たるの勲績名譽に至りては之を元信に歸せざるを得ず,元信,父の志を繼で家業を大成し,畫界に一局面を開きて幾多の 俊髦を其子孫門下より輩出せしかば天下の畫權は擧げて其一門に歸するに至れり[以下略]

普化和尚画像は第二冊に掲載されています.良く引用されている,その意味では有名な絵です.この本に掲載されている解説文は,以下のとおり臨済録の普化和 尚の逸話をほぼ再録したものです.絵の評としては,「筆致頗る磊落にして生意あり」としていますが,一方,「深く意を費したるの作にあらざる」と記述しえ いますが,この点の明確な意味は分かりません.私見ですが,この絵は,歴史的な意義を別とすると,深みのある画意が感じられない,様式的なものように感じ ます.

琴高仙人及普化和尚畫像(紙本墨畫)
  各縦二尺四分,横一尺一寸一分

                            子爵小出英延君蔵

茲に出す二圖は琴高,列子,普化,朝陽,張果郎の五幅對中より撮寫せるものなり,

[以下,中略]

普化和尚は唐朝鎭州の人なり,臨済宗の祖義玄禅師と時を同うし,諸方に行化す,常に市に入て鐸を振て曰く,明頭より來らば明頭に打たん,暗頭より來らば暗 頭に打たん,四方八面より來らば旋風の如くに打たん,虚空より來たらば連架の如くに打たんと,凡そ人を見れば高下となきう必ず鐸を振ること一聲す,時人呼 んで普化和尚と稱す,井日街市に出で,人に就て直綴を乞ふ,人皆之を與ふ,普化?に之を要せず,遂に棺一具を得て自ら之を擔ひ,去つて街市を繞り,叫んで 曰く,我れ東門に往いて遷化し去らんと,市人競ひて随ふて之を見る,普化曰く我れ今日未だし,來日南門に往いて遷化し去らんと,斯の如くすること三日,人 皆遂に信ぜず,第四日に至り,また人の随ひ見るものなし,即ち獨り城外に出で,自ら棺の内に入つて,行路の人を[やと]ふて之に釘打たしむ,市人忽ち傳聞 し,爭ひ往き,棺を開いて之を見るに,全身脱去して片影を留めず,只,空中に鐸の音隱々として響くを聞くのみなりしと云ふ,茲に掲ぐる雲中振鐸の圖は此遷 化の體を描きしものなり
此二圖は古法眼の畫中に在りては深く意を費したるの作にあらざれども,筆致頗る磊落にして生意あり,殊に普化和尚の如きは宋朝の名匠梁楷の減筆法に倣ひて之を揮瀧し,[はつ]墨其妙を極め風神奕々として楮表に溢る,洵に得易からざるの逸品なり


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