« 2012年5月 | トップページ | 2012年8月 »

大日本人名辞書刊行会編「大日本人名辞書」

大日本人名辞書刊行会編「大日本人名辞書」
1926年(大正15年) 大日本人名辞書刊行会

国立国会図書館近代デジタルアーカイブに公開されている資料です.
(文化庁長官裁定による公開)

Dainippon0

全巻で約3000ページの巨大な神代以来の人名辞典です.

多数の系図も掲載されて,この中に尺八の系図もあります.

Dainippon1

| | コメント (0)

田島志一編「元信画集 第二冊」

田島志一編「元信画集 第二冊」
1903年(明治36年) 審美書院
(著作権保護期間満了)

国立国会図書館で公開されている文献です.

普化和尚畫像

Gensin


狩野元信は,同書第一冊の緒言によれば,1476年(文明8年),狩野派の始祖狩野祐勢正信の長子として京都に生まれました.そして,この緒言では次のように記述しています.

足利時代の中葉に方りて世に出で,天縦の偉才を揮ひて畫界に一旗幟を樹て,狩野派數百年の基礎を確立したるものは實に我古法眼元信にあらずや,蓋し狩野派 の開祖は祐勢正信なりと雖も,其眞首領たるの勲績名譽に至りては之を元信に歸せざるを得ず,元信,父の志を繼で家業を大成し,畫界に一局面を開きて幾多の 俊髦を其子孫門下より輩出せしかば天下の畫權は擧げて其一門に歸するに至れり[以下略]

普化和尚画像は第二冊に掲載されています.良く引用されている,その意味では有名な絵です.この本に掲載されている解説文は,以下のとおり臨済録の普化和 尚の逸話をほぼ再録したものです.絵の評としては,「筆致頗る磊落にして生意あり」としていますが,一方,「深く意を費したるの作にあらざる」と記述しえ いますが,この点の明確な意味は分かりません.私見ですが,この絵は,歴史的な意義を別とすると,深みのある画意が感じられない,様式的なものように感じ ます.

琴高仙人及普化和尚畫像(紙本墨畫)
  各縦二尺四分,横一尺一寸一分

                            子爵小出英延君蔵

茲に出す二圖は琴高,列子,普化,朝陽,張果郎の五幅對中より撮寫せるものなり,

[以下,中略]

普化和尚は唐朝鎭州の人なり,臨済宗の祖義玄禅師と時を同うし,諸方に行化す,常に市に入て鐸を振て曰く,明頭より來らば明頭に打たん,暗頭より來らば暗 頭に打たん,四方八面より來らば旋風の如くに打たん,虚空より來たらば連架の如くに打たんと,凡そ人を見れば高下となきう必ず鐸を振ること一聲す,時人呼 んで普化和尚と稱す,井日街市に出で,人に就て直綴を乞ふ,人皆之を與ふ,普化?に之を要せず,遂に棺一具を得て自ら之を擔ひ,去つて街市を繞り,叫んで 曰く,我れ東門に往いて遷化し去らんと,市人競ひて随ふて之を見る,普化曰く我れ今日未だし,來日南門に往いて遷化し去らんと,斯の如くすること三日,人 皆遂に信ぜず,第四日に至り,また人の随ひ見るものなし,即ち獨り城外に出で,自ら棺の内に入つて,行路の人を[やと]ふて之に釘打たしむ,市人忽ち傳聞 し,爭ひ往き,棺を開いて之を見るに,全身脱去して片影を留めず,只,空中に鐸の音隱々として響くを聞くのみなりしと云ふ,茲に掲ぐる雲中振鐸の圖は此遷 化の體を描きしものなり
此二圖は古法眼の畫中に在りては深く意を費したるの作にあらざれども,筆致頗る磊落にして生意あり,殊に普化和尚の如きは宋朝の名匠梁楷の減筆法に倣ひて之を揮瀧し,[はつ]墨其妙を極め風神奕々として楮表に溢る,洵に得易からざるの逸品なり


| | コメント (0)

樋口一葉「たけくらべ」

青空文庫からの引用です

「たけくらべ」(1896年)

初出は1895年(明治28年)~1896年(明治29年)

明治初期の東京吉原界隈の風景です.

17,8歳の若者たちが集まって,ちょっと悪ぶって遊んでいます.そういう時に「腰に尺八」を差すことが「伊達」とみられていたようです.彼らが尺八でどういう曲を演奏していたのかということも含めて,今では,少々,想像のつきがたいものがあります.


此界隈に若い衆と呼ばるゝ町並の息子、生意氣ざかりの十七八より五人組、七人組、腰に尺八の伊達はなけれど、何とやら嚴めしき名の親分が手下(てか)につきて、揃ひの手ぬぐひ長提燈、賽ころ振る事おぼえぬうちは素見(ひやかし)の格子先に思ひ切つての串戲も言ひがたしとや

| | コメント (0)

岡本綺堂「二階から」

青空文庫で公開されている小説です.

岡本綺堂「二階から」

初出は1915年(大正4年)~1916年(大正5年)

まるで引き籠りのような生活をしていると述懐している語り手が,二階の部屋の中から外をみた様子を日記風に記しています.

主人公(作者?)の家は四谷街道沿いにあるといいます.英国大使館が眺められる場所らしい.近所に寄席の「青柳亭」というのがあり,また、太宗寺というお寺もあったといいます.おそらく,皇居から西に新宿駅に向かって進んだその途中あたりと思われます.

その二階の部屋の窓から見える正月の夜の風景です;

夜は静です、実に静です。支那の町のように宵から眠っているようです。八時か九時という頃には大抵の家は門戸を固くして、軒の電灯が白く凍った土を更に白 く照しているばかりです。大きな犬が時々思い出したように、星の多い空を仰いで虎のように嘯(うそぶ)きます。ここらでただ一軒という寄席(よせ)の青柳 亭(あおやぎてい)が看板の灯(ひ)を卸(おろ)す頃になると、大股に曳き摺って行くような下駄の音が一(ひ)としきり私の門前を賑わして、寄席帰りの書 生さんの琵琶歌(びわうた)などが聞えます。跡(あと)はひっそりして、シュウマイ屋の唐人笛(とうじんぶえ)が高く低く、夜風にわななくような悲しい余 韻を長く長く曳(ひ)いて、横町から横町へと闇の奥へ消えて行きます。どこやらで赤児(あかご)の泣く声も聞えます。尺八を吹く声も聞えます。角の玉突場 でかちかちという音が寒(さ)むそうに聞えます。

書生が琵琶歌を唄う一方で,どこからか尺八の音が聞こえてくるといいます.いずれも,どんな曲かは不明.文脈から推測すれば,琵琶歌の方は威勢の良い若者の唄,尺八の方はかすかに聞こえる静かな曲でしょう.


| | コメント (0)

鶯聲散士「尺八獨習之友 巻全」

鶯聲散士(1893年)「尺八獨習之友 巻全」青山嵩山堂

Photo_4   Photo_5

 古本屋さんでこのような本を入手しました.1893年(明治26年)に刊行された尺八の教則本です.同じ著者によって同じ年,同じ出版社から刊行された「獨習尺八樂譜唱歌集」という楽譜集が国立国会図書館で公開されています.後者は文字通り唱歌の尺八用楽譜集です.本書は尺八の教則本で,尺八の吹奏法と「唱歌集」より少し広いジャンルの練習用楽譜が掲載されています.

 掲載されている楽譜の中には,古典本曲が含まれています.巻二の「紫」と「鶴のすごもり」,巻三の「歌れんぼ」がそれです.「紫」は,「紫鈴法」等と呼ばれているもので,他の二曲は後年に「明暗真法流」と呼ばれる伝承中の曲と思われます.

 さて,緒言を大変に興味深く読みました.1893年(明治26年)にすでに洋楽に関する本が多数出版されていたとのことです.一方,日本の伝統「音楽」に関する本は殆ど発行されていないとのことです.西洋音楽の急速な導入の努力があったようです.また,それ以前の問題として,尺八などの伝承芸能を「音楽」と呼んでいるのには驚きました.江戸時代まで「音楽」の語は雅楽等の特別な伝承について用いられていただけで,世俗の伝承については用いられていなかったはずです.それが前述の西洋「音楽」の導入に伴い,世俗の伝承にもごく自然に使われるようになっていたのです.一方,「尺八ハ我國古来韻士雅客ノ最モ嗜好愛玩スル一樂器」というのは,今では誰でも知っているとおり,明らかな間違いで,なぜそのような歪曲を行う必要があったかは少し考える必要がありそうです.さらに,尺八を「樂器」と呼ぶのも驚きです.わずか20年前までは尺八は虚無僧の「法器」であったはずです.それが僅か20年ほどの間に尺八が「楽器」となり,尺八が「音楽」を演奏することになっていたのです.この緒言を読むと,普化宗解体からの20年間が,たった20年間とはいえ,尺八にとって如何に大きな変革の期間だったということが判ります.

諸言

方今音樂ノ流行目ニ隆ニシテ之レガ學習ニ關スル著書亦尠ナシトセズ然レドモ多クハ洋風ノ音樂ニ係ル著作ニシテ我國固有ノ音樂特ニ尺八ノ學習二便ナル書籍二至テハ殆ンド見ルベキモノナシト云フモ誣言ニ非ザルナリ抑モ尺八ハ我國古来韻士雅客ノ最モ嗜好愛玩スル一樂器ニシテ之ヲ學習スルモノ亦尠カラズト雖ドモ既ニ依ルベキノ書籍ニ乏シク教授其ノ法ヲ得ズ只一ニ迂遠不完全ナル擬模的傳習ニ是レ依ルノミ況ンヤ或ル曲譜ノ如キに至リテハ許シ物ト稱ヒ特別ノ謝禮ノ爲スニ非ズンバ門人ト雖ドモ秘シテ之ヲ傳授セザルノ弊風アルニ於テヲヤ豈ニ斯道ノ爲メ改良スベキノ一大急務ニ非スヤ是レ本篇を編纂シテ世ニ公ニする主意ノ要点ナリ然レドモ初編ハ固ヨリ其ノ端緒ヲ著スニ過ギズ若シ夫レ彼ノ全豹ヲ窺ントセバ追テ續編出版ノ日ヲ待ツアランノミ

明治廿五年  月  日     編者識


初編

目次


第一 十二律譜表ノ事
第二 音譜ノ事
第三 休止符ノ事
第四 接音符ノ事
第五 間手符ノ事
第六 高低音符ノ事
第七 濁音符ノ事
第八 半開符ノ事

曲譜

第一 竹しらべ
第二 髙いやま節
第三 一ツとせ節
第四 りきう節
第五 はるさめ
第六 くろかみ
第七 つるの聲
第八 八千代じし
第九 こすのと
第十 管掻六段
     一段 二段 三段 四段 五段 六段


貮編

目次


第一 十二律譜表ノ事
第二 外律譜表ノ事
第三 反始記號ノ事
第四 尺八製作法ノ事

曲譜

第一 金平ふねふね
第二 梅枝の手水鉢
第三 今様節
第四 下の關節
第五 丹後節
第六 意けんしやんす
第七 朝くとも
第八 十日えびす
第九 都々いつ
第十 をに
第十一 大つえ
第十二 松つくし
第十三 紫 (本曲物)
第十四 夕そら
第十五 鶴のすごもり


三編

目次


第一 十二律及外律譜表ノ事
第二 記号ノ事
第三 調子ノ事

曲譜

第一 平作ばやし
第二 土佐節
第三 大阪はなれて
第四 どんどん節
第五 本田本田
第六 十四の春から
第七 すいりょすいりょ
第八 えんかいな
第九 米山じんく
第十 かえあんじ
第十一 忍ぶ戀路
第十二 おいわけ
第十三 歌れんぼ (本曲物)
第十四 雪
第十五 玉川
第十六 越後獅

| | コメント (2)

鶯聲散士 「獨習 尺八樂譜唱歌集」

鶯聲散士(1893) 「獨習 尺八樂譜唱歌集」青木嵩山堂
(文化庁長官裁定による公開)

国立国会図書館で公開されています.

Photo

この本は1893年(明治26年)の発行ですが,同じ年,同じ出版社から,同じ著者による尺八の一般的な教則本「尺八獨習之友」が刊行されています.こちらの「獨習 尺八樂譜唱歌集」は唱歌の尺八用楽譜です.

緒言によれば,唱歌は教育上に良いのだけどもその伴奏をする楽器は高価で,また演奏が難しいので,その唱歌がなかなか普及しないとして,一方,尺八は楽器の中で最も安価で演奏法の習熟もしやすいので唱歌の伴奏に適しているとしています.はて,これは,現在とはちょっと違うようですね.


緒言

唱歌音學ノ風教上ニ裨益アルハ更ニ喋々ノ辧ヲ俟ザル所ニシテ今ヤ我國普通教育ノ一科ニシテ課セラルゝニ至レリ又盛ナリト云ベキナリ夫レ音樂ノ物タル純良ノ心情ヲ美妙ナル音聲ニヨリテ人ノ感情的ニ與ヘ以テ徳性ヲ涵養スルモノナリ故ニ歌詞善良ナリト雖ドモ音聲美ナラザレバ以テ尚美心ヲ發起シ人ヲ感化セシムルニ足ラズ況ンヤ徳性ヲ涵養スルニ於テヲヤ抑モ音聲ノ美ヲ助ケ以テ其妙境ニ至ラシムルモノハ樂器ナリ而シテ教育上普通用ユル樂器は其價格ノ廉ナラザル使用法ノ學習シ易カラザルハ一般ノ遺憾トスル所ニシテ郡村避地ノ學校等ニ於テ之ヲ使用スル所尠ナキ所以ナリ今尺八ハ價格最モ廉ニシテ且ツ學習シ易ク彼ノ絃線樂器ノ如ク音の斷絶スルコトナリ連續ニ發音スルヲ以テ最モ唱歌ニ適合セルノミナラズ音樂合奏等ノ時ノ如キ亦併セ用ヒテ其ノ妙興ヲ加フルモノナリ況ンヤ斯ノ道ヲ嗜ム人士獨樂ノ良友ト爲スニ於テヲヤ茲ニ本書ヲ編纂シテ世ニ公ニスル主意ノ要領斯ノ如シ若シ夫レ依テ以テ世ノ風教上一ノ補益スル所ノアランカ又望外ノ幸ノミ

明治廿六年三月  編者識


目次

第一 十二律譜表ノ事
第二 音符ノ事
第三 休止符ノ事
第四 高低音符ノ事
第五 小節線ノ事
第六 終止線ノ事
第七 反始記號ノ事
第八 終止記號ノ事
第九 延聲記號ノ事

| | コメント (0)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年8月 »