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今年の積雪を振り返ると・・・・

やっと暖かくなり,桜も咲いて,今年の積雪を振り返る気分になりました.

今年の冬は豪雪でした.26年ぶりの大雪と聞いています.

下はアメダス(新潟県上越市の高田アメダス)の積雪記録です.

2011

最高積雪深は2月中旬で2m22㎝でした.積雪日数は112日で,ほぼ3か月間,雪に埋もれていたことになります.

下の図は同じ地点の累年のアメダスデータで,シーズンごとの累積の積雪深です.1985年の前後で積雪のパターンが変わり,それ以前は豪雪年と比較的少ない年が周期的に繰り返されていましたが,1985年以降は比較的平均してやや少ない年が続いています.ここ数年は比較的多い年と少ない年があります.

Accum

いまだに語り草になっているのが1983年~1985年の3シーズンの豪雪で,最大積雪深が2m92㎝~3m24㎝でした.いまだに少しでも雪が降ると,この3年間が話題になります.

ちなみに,ここで示されている積雪深は観測施設の積雪で,住宅地で除雪をすると道の両側,家の周囲にはこの2倍くらいの高さに雪が積み上げられます.

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松巌寺跡と正安寺跡,そして天蓋修行

宇都宮市の虚無僧寺「松巌寺」跡地と「正安寺」跡地を訪問してきました.

宇都宮市の市街地の中,曲師町の釜川南岸に虚無僧寺松巌寺があったそうです.この寺は1392年(明徳3年)に創立されてから宇都宮市内を転々とし,1649年(慶安2年え)から明治時代の普化宗廃止まで,この地にあったそうです,

同寺については断片的な記録しか残っていないようですが,一部の看主の記録があり,一方,無住のときもあったようです.

この地は宇都宮城の真北になり,宇都宮城の北門から下野国一宮の宇都宮二荒山神社に向かう道のちょうど中ほどにあります.この位置には何等かの意味があると考えた方が良いと思います.

なお,宇都宮市史によれば,宇都宮市の百姓善次が1850年(嘉永2年)に虚無僧同様のいでたちで尺八を吹いて旅に出るという「天蓋修行」を行ったとの記録が残っているそうです.虚無僧とは名乗れなかったので,仲間(たぶん百姓仲間)による「修行中」との証明書を持っていたとのことです.普化宗の末期の姿の一つでしょう.

下の写真は松巌寺があったと思われるあたりの川端です.そして,右の写真はそのあたりから眺めた二荒山神社です.

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近くにある虚無僧寺正安寺跡も訪問しました.岡田冨士雄「虚無僧の謎 吹禅の心」に示された場所です.

寺の跡地にはなにもありませんが,同書によれば,近くに虚無僧墓があるとか.しかし,その場所は,石碑の痕跡があったものの,残念ながら何もありませんでした.写真は左が寺の跡地付近,右が虚無僧墓があったかもしれない場所.

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参考
岡田冨士雄 (2001)「虚無僧の謎 吹禅の心」 秋田出版社
宇都宮市史編さん委員会(1992)「宇都宮市史 近世通史編」宇都宮市

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桜,葉桜,今年の満開

新潟県上越市の桜は先週末(21日~22日)が満開でした.今年は例年より1週間以上遅れました.

桜の開花日は積算気温でほぼ決まります.今年の冬は四半世紀ぶりの大雪でした.冬の気温が特段に低かったということはなかったと思いますが,残雪が遅くまで残ったため,春になっても地域の気温がなかなかあがりませんでした.また,春の気温自体が平年よりかなり低かったようで,このために桜の開花が例年になく遅れました.

開花が遅れた年は,気温が上がったとたんに,すべての桜が一斉に咲くので,今年の満開は見ものだとおもっていたところ,それはその通りだったのですが,少し予想外のことがありました.

あまりに開花が遅れたせいでしょうが,満開になった2日後くらいから,花がまだ咲いているのに葉が出てきてしまいました.それが今日のこの写真です.

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桜が満開になり,その花が風に吹かれて散っていく姿は,艶やかでもあり,儚くもあります.そして,そのあとから出てくる若葉には,生命の息吹を感じます.しかし,今年は,その花と葉が重なってしまって,なんだか変な感じです.

まあ,こういう年もあるということですね.

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一閑先生尺八筆記

宮地一閑著・山本万津(よろず)校閲の写本.

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虚無僧寺および虚無僧寺伝の尺八本曲についてまとめて記述した,おそらく最初の本です.この本が国立国会図書館デジタル化資料のHPで公開されています.全文がダウンロードできます(著作権保護期間満了).

国立国会図書館デジタル化資料のHP


このような貴重な本が入手できるのも,このデジタル化・インターネット時代の特権でしょう.とはいえ,この写本は,連綿体の記述あり,漢文ありで,ちょっと私が気楽に読めるというものではありません.さしあたって今のところ,この記述内容に差し迫った必要性はないので時々眺める程度です.尺八の説明もあり,また虚無僧寺のリストもあります.明治以降の本に虚無僧寺のリストが出典の記載なしに書かれていることが多いのですが,この本あたりが原点なのかもしれません.

なお,同じ本の別の写本が早稲田大学の図書館のデータベースでも公開されていて,こちらも全文がダウンロードできます.

早稲田大学図書館の古典籍総合データベース

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JR直江津駅の駅弁

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地元,JR直江津駅の駅弁でこのような駅弁を見つけました.直江津駅の駅弁は駅前のホテル・ハイマートが作って構内で売っています.かなり頑張っていて,いつも個性的な駅弁を販売しています.

この駅弁は「海の幸弁」と名付けられ,その包装紙に3人の地元の人物像が描かれています.

上杉謙信はご存じのとおり.

川上善兵衛は,地元の豪農で,私財を使って貧しい雪国の農村に産業を創成させるために,日本で初めてワインを作った人物です.この人のすごいところは,ワイン醸造所を立ち上げただけでなく,雪国に適したワイン用のブドウ品種を育成し,またブドウ品種からワイン造りまでまとめあげた本邦最初のワイン大全といえる本まで著述したことです.

そして,前島密.ご存じのとおり日本の郵便制度を作った人物です.で,よく見ると,この包み紙に前島密の肖像が描かれた1円切手が貼り付けてあります.

切手にこういう使い方があったかと,面白いので,ご紹介まで.

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大日本音楽協会編纂 (1941)「音楽年鑑」

大日本音楽協会編纂 (1941)「音楽年鑑」 共益商社書店

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この本は当時の全体主義的な社会体制の中での音楽界を網羅した年鑑のようなのですが,この時代を反映してか,とんでもない記述があります.

洋楽界については比較的,行事や状況を叙述的に淡々と書いているのですが,以下の引用が尺八を含めた邦楽界についての記述の抜粋です.
(  )は抜粋作業のための私の注釈です.

===
邦樂界概觀

日本文化中央聯盟主催の藝能祭に邦樂から
(も参加したものの)上演された新作曲なるものは決して現代を代表したものでも亦紀元二千六百年を代表して後世に胎し得べき傑作でも何でも無かつた.その理由は當事者の思想なり藝感といふものが江戸時代その儘の模倣羅列に過ぎず(,江戸時代の曲の)替歌に過ぎないからである.

邦樂界共通の惱みはその題材,作品が舊體制のしかも何等國民的自覺も無く刹那的享樂主義に終始してゐた江戸時代に作られたものが多いだけに,之等の遊蕩的題材の作品を,新體制下に如何に取上ぐべきかで,道行と心中より外には殆んど作品の無い或る流派の如きは殆ど致命的でさへある.

元來が低徊趣味に唯一の存在價値を置いてゐる邦樂がどれ程の更生振りを示すかは相當に問題であると云はねばならぬ. 


(以下のレコードについては歌謡曲への記述も含みます)


邦樂レコード概觀

『卑俗な流行歌や或は有つて無きが如きレコードは,自然淘汰ともなり勝ちなことを豫測させる』と筆者は昨年度の本項末に書いて筆を擱いたが,その豫測は昭和十五年度になるや現實の問題となつて現はれた.

材料の入手難は昨年度に較べて春には四割,秋に至つては更に二割を加へて合計約六割の強化となるに及ん
(だ.)

冒頭に掲げた昨年の言葉の引用は娯樂としてのレ娯樂としてのレコード淨化を望む筆者の意見であるがこのことは大局からみれば,むしろ喜ぶべき現象として受け取りたかつたのである.

===

自らの固有の文化の伝統をこれほどまでに侮蔑するとは,一体,どういう感覚なのでしょうか?

江戸時代は「何等國民的自覺も無く刹那的享樂主義に終始してゐた」のでしょうか?

邦楽は「低徊趣味に唯一の存在價値を置いてゐる」のですか?

ワーグナー,リヒャルト・シュトラウスのようなドイツの劇的な高揚をもつ音楽,吹奏楽の行進曲のような軍隊的な音楽が,この当時の社会が求めていたものだったのでしょう.

それはそうだろうと諦めのような一定の理解(?)ができるものの,しかし,ここまで書きますか? と,呆れました.

おそらく本音とは異なる世間向けのタテマエの文書だったのだろうとは思いますが,それにしてもここまで書きますか?

ひどい時代でした.

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