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文教科学出版社編輯部編(1940)「宴会・座興即席かくし芸全書」

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社交術の一つとしての宴会芸の紹介です.こういう社交術が明治維新以来どのように発達してきたのかはわかりませんが,この本が発行されたのは1940年(昭和15年)で,戦時体制を目前にして,この時代はこのような伝統が一つの頂点にあったのでしょう.

編者のはしがき,第一編をみると,宴会・座興の芸の位置づけが書かれています.本書の第八編は歌謡,唄,節音曲で,それは第一遍の最後の記述「隱し藝と云ふものは,ぢつくりと人を感心させると云つたものは,決して喜ばれるものではなく」にそぐわないものですが,第八編の記述は読者が直接これを隠し芸とするというより,座の誰かがやり始めた時に,それを理解して座を盛り上げるためのもののように思われます.

第八編の尺八の節の記述に,尺八に三つの流派があり,もっとも大きな団体が都山流とされ,他の二流派の一つが明暗流としています.一応,記述されるだけの勢力があったのでしょう.それはともかく,当時の宴会芸としてどんな曲が演奏されたのでしょうか?


編者はしがき [抜粋]

所謂隱し藝は,従來考へられて來たやうなナンセンスなものでなく,ナンセンスそれ自體にまた立派に社交的意義がふくまれてゐることを特に考慮して貰ひたい.

隱し藝,單なる隱し藝に終らしめざる事が,また一つの社交技術たることを特に強調して,編者の序とする.


第一編 社交術と隱し藝 
[抜粋]

社交術とは,一名世渡術とも云ふ.

兎も角人間生きる爲には,世渡りが上手でなければならない.また出世する爲には世渡り術が巧みでなければならない.

かう云ふやうに考へて來ると,一夕の宴席等も,さう輕々しく考へたり,行つたりする譯には行かない.

從つて隱し藝等も,この心組みを土臺として,一にも社交,二にも社交の具として眞正面からやつて行くべきである.

隱し藝と云ふものは,ぢつくりと人を感心させると云つたものは,決して喜ばれるものではなく,寧ろ反對に,まだ半分も終らない中に『ご苦勞々々々』なんてな,半畳が入つたり,馬鹿騒がしい拍手で,ボイコットをやつたりすることになる.
處が,それと相變つて,誰か飛出し馬鹿騒ぎを始めると,一座は譯もなく喜び,杯が盛んに亂れ飛んで,座は一層にぎやかになつて,隱し藝披露の意義あらしめると云ふことになる.


第二編 隱し藝小品集
第三編 新案お座敷手品
第四編 多數遊べる遊び方
第五編 江戸趣味豊かな聲色集
第六編 ナンセンス寸劇十題
第七編 笑ひの藝術落語と漫談と小咄
第八編 歌謡,唄,節音曲
 一,三味線
 二,尺八
 三,義太夫節
 四,常盤津節
 五,長唄
 六,浪花節
 七,唄澤節
 八,小唄と民謡
   都々逸
   小唄
   端唄 
第九編 社交ダンス
第十編 詩吟


第八編 二,尺八
 尺八に就ての起源だの,その歴史等は省くとして,尺八には流派が三つある.  都山流,琴古流,明暗流がそれであつて,その他には,都山流から分れて上田流,錦生流があるが,これは大體に於て都山流に随ふものであるから,特にその流派としては,こゝに擧げない.
 尺八の長さは普通一尺八寸のものを用ひるが,近頃は一尺四寸,一尺六寸,一尺九寸,二尺二三寸等種々の長さのものを使ふこともある.
 指孔は,全面に四つ,裏面に一つある.そして下から準に一,二,三,四,裏孔を五と數へる.一は右手の無名指で,二は右手の食指で,三は左手の無名指,四は左指の食指で,五は左手の拇指で按ずる.
 その音の名称は,琴古流,明暗流,都古流等各流によつて違つてゐるが,こゝでは,最も多く用ひられてゐる都山流のみを記して置く.

  [図は略]

 この他,指を打つたり,ゆすつたりして,特殊の音を出す.また指孔を半開きにして中間の音を出したり,唇を歌口に深くかけるか淺くかけるかして,その音を上げたり,下げたりする.
 即ち,唇を深くかけて吹けば,メルといひ音は下る.この反對に唇を淺くかけて吹けば,カルと云つて音は上る.かやうにして半音下げれば半メリ,一音下げれば中メリ,一音半下げれば大メリと云ひ,半上げればカリ,一音上げれば大カリと云ふ.

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神田俊一・石橋愚道編(1986)「明暗尺八界の奇人 源雲界集」

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グラビアに神経質そうな目をして,どことなく不機嫌そうな小柄な人物の写真が掲載されています.源雲界とは何者?

虚無僧尺八の世界の勉強をを少し進めていくと源雲界(1889~1937)という人物の存在が気になってきます.生涯を明暗尺八に捧げながら,いかなる組織にも属さず,むしろ他組織を罵倒し続けて,一方,請われて意通じれば明暗真法流など,自らの伝承曲を教授していたようです.晩年は,といっても享年48歳ですが,世間から隠れるようにして暮らしていたようです.

半年ほど前にこの本を入手して以来,幾度となく読み始め,途中で読み疲れて中断し,また読み始め,しかし中断し,心構えを変えて途中から読み始め,それでもやはり中断してしまうということを繰り返してきました.罵詈雑言,自説の押付けが続き,読んでいて非常に疲れます.正直言って源雲界の文章は私にはほとんど理解できませんでした.

神田俊一氏の解説文の最後の文章「天才というか奇才というか奇人,狂人(ママ)といおうか普化和尚の再来とも言うべき雲界の評価は雲界の音を聞かなくてはしょうがないとは思う」のとおりだと思います.「近く出す予定のLPレコード」と書かれていますが,出されたのかどうか?

目次

普化宗竹淋院明暗道場
『明暗洞簫竹韻』 昭和2年2月1日(1927)
『明暗流尺八音譜解説』 昭和2年2月3日(1927)
『尺八製管法』より抜粋 
『樺太旅行日記』より抜粋
音楽論(昭和9年「芸海」に連載)
明暗道場法規
普化的伝明暗流尺八系統
明暗根本道場規約
普化僧取締並びに心得書
明暗尺八大会(ウラ・黄鐘律・阿字観)

源雲界について(神田俊一)

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乳井月影(1883)「錦風流尺八本調子之譜」

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乳井月影が1883年(明治16年)頃に出版した譜本.月影の孫,乳井建蔵氏が緒言を書いていて,それによれば,月影の出版後に失われていた原本が1931年(昭和6年)に発見され,それを得た同氏が同年11月に謄写印刷版で再発行したものです.私が入手した本は,これをまた田村琴子氏が1999年(平成11年)に印刷復刻したものです.

長利仲聴の序文の一部から(要約);
元治年間(1864~1865)の初め(初年度?),乳井建朝が近衛家警護のために京都に赴き,その折に近衛忠?(ただひろ)から請われて演奏したところ,
   吹きならす竹のしらへもおのつから澄みわたりたる夜半の月影
の歌,月影の竹名,大和錦の袋を賜った.その後,また請われて松風を演奏したところ,
   しらへおきてひかぬことにもかよひけり軒はに高きまつ風の声
の歌を賜った

原本の乳井月影氏の緒言に相当する節の要点は以下のとおりです.(敬称略)

伴(勇蔵建之)師が教授していた頃は尺八曲は数多くあったものの,時代の変遷で尺八が衰微した.その後に尺八が再び流行するものの,一時の衰微の間に多くの尺八曲が失われた.そこで野宮玉洗(治左衛門)は1874年(明治7年)に本調子・雲井曙譜を作成し,著者もそれを用いて曲を習った.しかしその譜は精密なものではなく,その問題点を山上影琢,神影一,近藤影仲,福士影季,唐九之介らが論じた.著者は,伴の高弟であること,すでに50歳を過ぎていること等の理由から譜作を依頼され,固辞するも著述することとした.

一閑流六段の中の五段と六段は野宮の作なので,記載しない.
流鈴慕は石岡吉太郎の伝だが,死去のため記載した.
虚空は笹森太眞の伝だが,本人盲目のため本人に代わり記載した.
カク【鶴の偏】巣篭は伴も一部が不明.黒石在住の鳴海源三が三段までを伝えているという話だが確認できていない.また荒木古童が巣篭譜を入手しているというが,調子および緩急等が記されていない.このように不明の点が多いので記載しなかった.

野宮の作譜の前に,一時尺八が衰微し,また復興したとしていますが,野宮の作譜が1874年ですから,この尺八の衰微というのは1871年(明治4年)の普化宗禁止の以前の,おそらく幕末から明治維新の激動期のことではないかと思われます.

以上のほかに,記載しないとする28曲の曲名を記していますが,この多くは琴古流本曲の曲名と同じものですので,ひょっとしたら,少なくとも尺八演奏上は,琴古流との厳密な区別はなかったのかもしれません.

錦風流尺八本調子之譜
  伴先生口傳   門人 乳井月影  述
             山上影琢  校
             近藤影仲  再校
             福士影季  再校

本調子之調
  伴の作.一二三の調,実調子の調ともいう.


下り葉
  下り波ともいう.

松風調
松風

通里
  通理,通ともいうが,正しい名称は不明
門附
  家戸就,賀戸附ともいうが,正しい名称は不明
鉢返


三谷清攬
  三谷瀞撹,山谷,山野,清撹,三谷菅垣ともいう.ここでは「三谷」は多数説に従い,「清攬」は『合類節用集』の説に従うこととする.

獅子
  獅獅ともいう

眞虚空
  伴の門人笹森太眞の伝.著者は野宮と共に笹森から習った.1874年(明治7年)に著者と野宮が伴に確認したが,異議なしとされた.

  
一閑流六段
  蘭庭院住職芳樹和尚の手(作の意か?).伴は各種の伝を比べたが六段がわからなかったので和尚に教授を依頼したが固辞されたため,夜陰に寺に忍び込み和尚の演奏を聴いてこれを得たとの伝承がある.芳樹和尚が宮地一閑の弟子であったため一閑流とした

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小山慶太(2012) 「寺田寅彦」 中公新書

最近,本屋さんに入ることがほとんどなくなってしまったのですが,その分,たまに入ると収穫があります.先日偶然に入った本屋さんで,寺田寅彦の評伝を見つけました.

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寺田寅彦(1878-1935)は日本の実験物理学のパイオニアです.25才で東京帝国大学の講師になり,30才のとき理学博士の学位を取得します.実は,この時の学位論文が1907年(明治40年)の論文「Acoustical Investigation of Japanese Bamboo Pipe, Syakuhati (日本の竹製管楽器,尺八の音響学的研究)」です.

20世紀初頭は,アインシュタインが特殊相対性理論を発表したりして,理論物理学が一気に進んだ時代なのですが,若き寺田はそのような方向も見据えながら,事実,後日そのような分野での実験物理学の世界レベルの研究を発表するのですが,一方で,日本的な物理学の確立という志も持っていたようです.このためでしょうか,生涯で最初の主要論文が尺八に関するものになったようです.

英語で書かれたこの論文は,しかし多才な寺田の好奇心の中から産まれたものの一つにすぎず,残念ながらその後に尺八の研究に発展はなく,単発の論文で終わってしまいました.

この論文は,尺八の音程の解析が中心になっています.一方,この論文の中でも指摘しているように寺田は尺八の音色にとってCharacteristic color of its noteが重要であることに十分に気付いていたものの,当時の音響分析技術ではそれを解析することは不可能だったでしょう.

37ページの論文の最初の2ページは以下です.これを読むと1907年(明治40年)の日本の科学者の英文として,多少のぎこちなさに目をつぶれば,たいしたものだと感心しました.ただ,記述内容は当時の尺八界での通説に従ったもので,現在からみれば正確ではありません(論文本体の音響学的分析にも誤謬があるという意見も聞きますが,それを含めて,時代の産物ということができます).

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上参郷祐康(1995)「糸竹論序説 -日本音楽論考自選集」

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尺八の歴史が門外漢の私にも良く判るように非常に良くまとめられています.この本は上参郷氏の主に1980年前後の論文をご本人が選んだものです.残念な がら私家版で,公刊はされていません.近年まで根強く残っていた普化宗や虚無僧にまつわる俗説を排し,文献の分析にもとづく考察が行われています.このこ とは今ではそれほど驚くことは無いのですが,そうなったことにはこのような上参郷氏たちの業績が寄与しているのでしょう.

この本は,私にとっては,近世以降の尺八に関係した文献の解題にもなります.虚無僧や尺八の歴史はもともと関係した文献資料が少ないこともあって,ここに 書かれた記述でほぼ完成していて,細部の一部が補強されることはあっても(注),今後に大きく書き換えらえることはないだろうと思います.その意味では尺 八の歴史に興味を持つ者には大変良くまとまった便利な本です.

ここに掲載された論文のいくつかは,以前に読んだことのあるものでしたが,このようにまとめて読むと良く理解できます.

    注:たとえば,保坂裕興氏の虚無僧の起源に関する研究


目 次


邦楽の可能性
   『伝統と現代』第六巻(1969)
音楽の日本的趣味 -アジア諸国との比較において
   『朝日アジアレビュー』第32号(1977)
日本音楽の近世化
   『伝統と現代』第二巻(1971)
尺八楽略史 -吹禅の理解のために
   『吹禅―竹保流にみる普化尺八の系譜』(1974)日本コロムビア・レコードアルバム
宮廷行事と雅楽
   『日本の古典芸能』第二巻(1970)


山口の大内文化と音楽 -記念碑「箏曲組歌発祥之地」と大内氏に殉じた楽人たち
   『季刊邦楽』第51号(1987)
俗箏調弦の考案について -筝柱に膠しなかった八橋検校
   『楽道』通巻544号(1987)
尺八音楽の性格
   『音楽教育研究』第12巻(1969)
琴古流の始祖 黒沢琴古
   『季刊邦楽』第10号(1977)
中塚竹禅と『琴古流尺八史観』
   『琴古流尺八史観』(1979)
神如道の魅力
   『古典本曲の集大成者,神如道の尺八』(1980)テイチク・レコードアルバム
一節切尺八≪すががき≫≪りんぜつ≫の復原 - 『紙鳶』の解読
   『沖縄の箏曲―付,本土音楽との関連』(1973)ポリドール・レコードアルバム
胡弓と尺八 -三曲合奏の変遷
   『胡弓―日本の擦弦楽器』(1976)日本フォノグラム・レコードアルバム
宮城道雄における不易と流行
   『宮城道雄の世界』(1993)
復原された“まぼろしの楽器”八十絃
   『季刊邦楽』第19号(1979)
上参郷祐康著作目録
上参郷祐康略年譜
あとがき

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演奏会「白い道」

3月22日にこのような演奏会があるそうです.

おもしろそうなのですが,残念ながら私は他用で聴きにいけません.
ご興味あれば是非どうぞ.

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虚無僧寺「西向寺」跡の訪問 その2

本覚寺(京急・神奈川駅の横)に虚無僧寺西向寺の碑があることを先のページに書きましたが,その碑の隣に西向寺十五世蒼海友熙和尚墓碑があります.本覚寺のHPによると明治4年の普化宗廃止時の看守が第十六世静海謙譲和だったそうですので,蒼海友熙和尚はその前任者ですから幕末の人でしょう.この墓碑は他の虚無僧寺の墓に比べてずいぶんと立派です.

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神奈川大学工学部建築学科編集の「神奈川宿歴史の旅」(1990)の本覚寺のページに掲載されている古地図(出典不明)には本覚寺の隣に西向寺が記載されています.現在の本覚寺は大規模なお寺ですが,この古地図では比較的中規模の6つの建物で描かれています.これに対して西向寺は小さな一つの建物で描かれています.

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