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乳井月影(1883)「錦風流尺八本調子之譜」

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乳井月影が1883年(明治16年)頃に出版した譜本.月影の孫,乳井建蔵氏が緒言を書いていて,それによれば,月影の出版後に失われていた原本が1931年(昭和6年)に発見され,それを得た同氏が同年11月に謄写印刷版で再発行したものです.私が入手した本は,これをまた田村琴子氏が1999年(平成11年)に印刷復刻したものです.

長利仲聴の序文の一部から(要約);
元治年間(1864~1865)の初め(初年度?),乳井建朝が近衛家警護のために京都に赴き,その折に近衛忠?(ただひろ)から請われて演奏したところ,
   吹きならす竹のしらへもおのつから澄みわたりたる夜半の月影
の歌,月影の竹名,大和錦の袋を賜った.その後,また請われて松風を演奏したところ,
   しらへおきてひかぬことにもかよひけり軒はに高きまつ風の声
の歌を賜った

原本の乳井月影氏の緒言に相当する節の要点は以下のとおりです.(敬称略)

伴(勇蔵建之)師が教授していた頃は尺八曲は数多くあったものの,時代の変遷で尺八が衰微した.その後に尺八が再び流行するものの,一時の衰微の間に多くの尺八曲が失われた.そこで野宮玉洗(治左衛門)は1874年(明治7年)に本調子・雲井曙譜を作成し,著者もそれを用いて曲を習った.しかしその譜は精密なものではなく,その問題点を山上影琢,神影一,近藤影仲,福士影季,唐九之介らが論じた.著者は,伴の高弟であること,すでに50歳を過ぎていること等の理由から譜作を依頼され,固辞するも著述することとした.

一閑流六段の中の五段と六段は野宮の作なので,記載しない.
流鈴慕は石岡吉太郎の伝だが,死去のため記載した.
虚空は笹森太眞の伝だが,本人盲目のため本人に代わり記載した.
カク【鶴の偏】巣篭は伴も一部が不明.黒石在住の鳴海源三が三段までを伝えているという話だが確認できていない.また荒木古童が巣篭譜を入手しているというが,調子および緩急等が記されていない.このように不明の点が多いので記載しなかった.

野宮の作譜の前に,一時尺八が衰微し,また復興したとしていますが,野宮の作譜が1874年ですから,この尺八の衰微というのは1871年(明治4年)の普化宗禁止の以前の,おそらく幕末から明治維新の激動期のことではないかと思われます.

以上のほかに,記載しないとする28曲の曲名を記していますが,この多くは琴古流本曲の曲名と同じものですので,ひょっとしたら,少なくとも尺八演奏上は,琴古流との厳密な区別はなかったのかもしれません.

錦風流尺八本調子之譜
  伴先生口傳   門人 乳井月影  述
             山上影琢  校
             近藤影仲  再校
             福士影季  再校

本調子之調
  伴の作.一二三の調,実調子の調ともいう.


下り葉
  下り波ともいう.

松風調
松風

通里
  通理,通ともいうが,正しい名称は不明
門附
  家戸就,賀戸附ともいうが,正しい名称は不明
鉢返


三谷清攬
  三谷瀞撹,山谷,山野,清撹,三谷菅垣ともいう.ここでは「三谷」は多数説に従い,「清攬」は『合類節用集』の説に従うこととする.

獅子
  獅獅ともいう

眞虚空
  伴の門人笹森太眞の伝.著者は野宮と共に笹森から習った.1874年(明治7年)に著者と野宮が伴に確認したが,異議なしとされた.

  
一閑流六段
  蘭庭院住職芳樹和尚の手(作の意か?).伴は各種の伝を比べたが六段がわからなかったので和尚に教授を依頼したが固辞されたため,夜陰に寺に忍び込み和尚の演奏を聴いてこれを得たとの伝承がある.芳樹和尚が宮地一閑の弟子であったため一閑流とした

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