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文部省社会教育局(1942)「文部省推薦紹介蓄音機レコード目録」

国会図書館で公開されている文献です.(著作権保護期間終了)

文部省社会教育局(1942)「文部省推薦紹介蓄音機レコード目録」文部省社会教育局 (昭和17年)

Record1942

1936年(昭和11年)の同書が「利用上の資料たらしめんとするもの」だったのに対し,こちらは下記引用のとおり,「優良なるレコードの選奨を行ひ之が普及を圖らむと」するものですから,より政府の関与が強まっているようです.しかし,掲載されているレコードの数は激減しています.

蓄音機レコード選奨要綱
文部省に於ては健全なる音樂の普及に資する爲左記要綱に依りて優良なるレコードの選奨を行ひ之が普及を圖らむとす。

(一)紹介
紹介は左の各項の一に該當するレコードにして健全なる音樂の普及に資するものありと認むるものに付之を行ふ。
 (イ)現代邦人の作曲又は編曲に係る聲樂曲又は器樂曲
 (ロ)現代邦人の演奏に係る古典音樂
 (ハ)外國人の作曲又は編曲に係るものにして邦人又は外國人の演奏したるもの
(二)推薦

  [略]
(三)文部大臣賞の交付
  [略]

このうち,「(一)紹介,(ロ)現代邦人の演奏に係る古典音樂」のなかには地唄・箏曲 が4,尺八古典本曲が4,民謡が2含まれています.かなりバランスの悪い「選奨」ですが,尺八古典本曲の異常な重視にはどういう意図があったのでしょうか?

尺八古典本曲4盤は;
 浦本浙潮「阿字観」,キング:第一流の大家によって演奏された名曲である
 一朝普門「三谷」,リーガル:佛教音樂として尺八樂の神髄を傳へた模範的演奏である
 第二十世一朝軒「薩慈」,キング:第一流の大家によつて演奏された秘曲である
 一朝軒「鶴の巣籠」,キング:第一流の大家によつて演奏された秘曲である

尺八古典本曲の中の「選奨」も,かなり偏りがみられるのですが,ハテサテ?

なお,1942年という発行年から外国の曲がどのように扱われているか興味のあるところですが,該当するのは,「(一)紹介,(ハ)外國人の作曲又は編曲に係るものにして邦人又は外國人の演奏したるもの」で,すべてクラシック音楽です.演奏者の国籍は不明なのですが,作曲者を国別にすると英国2,オーストリア(モーツァルト)3,ドイツ3,ロシア2,フランス2,日本1,不明1でした.つまり,意外なことに,同盟国に偏ってはいないようです.この時点ではまだ英国・ロシアも良かったのかもしれません.米国はさすがに入ってはいません.

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文部省社会教育局(1936)「文部省推薦認定レコード目録 第5輯」

国会図書館で公開されている文献です.(著作権保護期間終了)

文部省社会教育局(1936)「文部省推薦認定レコード目録 第5輯」文部省社会教育局 (昭和11年)

Record1936

この時代に文部省推薦認定というのがどういう意味をもつのか,私にはよくわかりませんが,私の子供のころの「文部省推薦」の意味から類推すれば,正統的,高尚,「教育」的などの,強い意味があったのではないでしょうか.

凡例
本書は本省に於て昭和七年六月より昭和十一年五月迄の間に推薦及認定せる蓄音機レコードを整理輯録したるものにしてレコード利用上の資料たらしめんとするものである

「推薦レコード」の区分と「認定レコード」の区分がありますが,後者には琴.尺八関係のレコードは含まれていません,「推薦レコード」の中に「琴尺八及三曲」の区分があります.ここに含まれる全73盤のうち,地唄・箏曲が29,いわゆる新曲が38,民謡が3,尺八古典本曲が3です.

尺八古典本曲は;
 上田芳憧・上田竹童「鶴の巣籠・追分」,コロムビア,藝術的
 宮川如山「虚空」,コロムビア,藝術的
 宮川如山「調子・阿字観」,コロムビア,藝術的

ちなみに民謡3盤はすべて尺八演奏で;
 菊池淡水・榎本秀水「江差追分」,コロムビア,娯樂的
 菊池淡水・外二名「松前追分」,太陽,娯樂的
 吉田晴風「正調追分」,ビクター,藝術的

尺八本曲として3盤が入っているのは,この時代としては意外に多いのではないでしょうか.ただし琴古流本曲や都山流本曲が入っていないのもやや不思議に感じます.目的区分として児童的,娯楽的,芸術的の3区分があり,尺八古典本曲はすべて芸術的ですが,民謡は娯楽的と芸術的に分かれています.

なお,端唄・小唄の区分に民謡が多く含まれています,当時の文部省としてはそういう扱いなのでしょうかね,庶民的,土俗的なものは相手にしないのでしょうか.現代の目でみて奇妙に感じるのは,薩摩琵琶の区分と筑前琵琶の区分で,これらでは伝統的な演目よりも戦記ものが多いのです.

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兵藤裕己(2009)「琵琶法師 <異界>を語る人びと」

兵藤裕己(2009)「琵琶法師 <異界>を語る人びと」,岩波新書

私は琵琶法師を,単に平家琵琶の伝統を歌い継いできた芸能者と考えていたので,この本での琵琶法師の説明には驚くとともに,その存在にあらためて興味を持ちました.

Biwa

著者は文献を駆使して謎解きをするかのように琵琶法師の出現,存在の意味,近世身分社会の中での存在位置,そして現代での消滅を描きます.中世での芸能と宗教の不可分の関係を軸にして,異形の存在である盲目の宗教芸能民として琵琶法師を語ります.琵琶法師の語りと存在は,異界への窓口となっています.

この岩波新書にはDVDが付いていて,熊本に在住した,最後の琵琶法師山鹿良之(やましか・よしゆき,1901~1996)の演奏が見られます.この演奏には怖ろしいほどに驚きました.

著者によれば「琵琶の弾き語りのみを唯一の収入源とした山鹿は,常人の想像を絶する生活苦のなかで,三人の配偶者と死別し,一人は失踪し,五人の子どもを亡くすという悲運にみまわれた.(中略)だが,(中略)盲目の芸人にたいする近代人のヒューマニスティックな思いいれや感傷などは,(中略)山鹿の琵琶演奏と語りの声のまえで,手もなくはね返されてしまう.」「異界からのざわめきのような琵琶の響きと語りの声が,ことばによって構築・編制されたこの世界に亀裂を入れ,人としてあることの根源的な哀感に私たちを向き合わせる」

著者の表現が決して誇張でないことは,このDVDに記録された15分間の演奏でも十分に判り,圧倒されて言葉を失ってしまいました.

山鹿の妻の一人は瞽女で,また琵琶法師の演目は先日の新潟の高田瞽女の演目と重なります.瞽女もまた雪に閉ざされた村人にとって異界への窓口だったのでしょう.

虚無僧はこれら異形の宗教芸能民より遅れて近世になってから出現します.尺八という楽器を演奏しながらその初めから芸能民になることを拒否し,しかし本質的な意味での宗教者にもなりきれなかった虚無僧が,琵琶法師や瞽女に100年以上もさきだって消えたのは,かならずしも明治新政府の政策のためだけではないと考えたほうが良いように思われます.では彼らの本曲とは何なのかという問いを,この視点からも問うてみたいと考えています.

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autumn flowers

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月岡祐紀子氏の瞽女唄演奏会

10月8日,上越市高田の町屋で開かれた瞽女唄の演奏会に行ってきました.かつてこの地域には盲目の唄芸人,瞽女さんがいて,地域をまわって唄をうたっていました.終戦後に瞽女さんの数は一機に減少し,1950年代を最後に活動は終わってしまったそうです.上越
市高田の瞽女さんはその最後まで活動していたとのことです.高田での最盛期には,街中に17人の瞽女の親方がいて,新潟県内各地だけでなく,信州地域や関東地域まで出かけていたそうです.瞽女さんは全国にいたそうです.

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高田の町屋に座っていると,雁木の向こうから瞽女さんの唄が近づいてきて,玄関前で門付け唄が始まりました.そしてお座敷で演奏会.演奏は月岡祐紀子さん.お弟子さんと合わせた「門付け唄」から始まり,瞽女さんが全国に伝えた「おけさ節(古調おけさ)」,滑稽な「新磯節」と「三河万歳」,そして定番の「葛の葉の子別れ」.月岡さんの唄は2003年に初めて聞いて以来3回目,だんだんと凄みが増してきたように感じました.

瞽女さんは雪に閉ざされた村に外から旅してやってきて,めったにない娯楽の唄を歌い,村の外の出来事を節をつけて唄って伝え,そして定番の「葛の葉の子別れ」では人と獣との交流を情感をこめて歌い上げます.村人にとって瞽女さんは外界との窓口になっていたのではないかと思います.瞽女さんは宗教儀式を行ったことはないようですが,その「外界」には「異界」も含まれているように思います.

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ところで下は演奏会場の町屋の近くにあった(と言うよりは,「残っていた」)洋風建築です.今やこういうものも珍しいですね.

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演奏会後は知人が参加している町屋活動の「あわゆき亭」に行って,ぜんざいを食べてきました.

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