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古書5冊を入手(詳細は後日)

以下の5冊の本を入手しました.

入手した本の詳細は後日に.

  購入した古本屋さんから,大震災についてのメッセージをいただきました.
  いろいろな方が各地で苦労され,努力されています.
  皆さん,心を一つにして,未来を信じて歩きましょう.


鈴木孝山(對山)(1893)「尺八獨習自在 全 (第三版)」
  (おそらく,「第三版」は「第三刷」の意味だろうと思います)

1890年(明治23年)年に明暗教会が結成され,その3年後の出版です.
曲譜集の最後に本曲「巣鶴曲」が掲載されています.

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音楽芸術:以下の4冊

1963_08_s_3    1963_05_s_2   1984_09_s   1987_10_s

1963年5月号 特集:日本の伝統と現代 2
日本の作曲1世紀の歩み
 揺籃期の作曲界 明治-昭和初期・・・・・諸井三郎
 戦前の作曲界 新興作曲家連盟を中心として・・・・・清瀬保二
 戦後の作曲界・・・・・富樫康
日本の作曲を育てた人たち
 信時潔先生をめぐって・・・・・長谷川良夫
 諸井三郎先生について・・・・・入野義朗
 伊福部昭という人・・・・・松村禎三

1963年8月号 特集:日本の伝統と現代 3
日本の音素材をいかに生かすか
 技法と民謡・・・・・小倉朗
 日本音階による作曲 主として和音について・・・・・小山清茂
 日本音階について 私の体験・・・・・清瀬保二

1984年9月号 特集:伝統楽器と創作
伝統楽器創作活動の軌跡 邦楽の近代化から国立劇場委嘱まで・・・・・山川直治
座談会・日本の伝統的素材による創作の意味を語る・・・・・一柳慧・間宮芳生・諸井誠・丹羽正明
武満徹《秋庭歌・一具》における雅楽 おもに四十八年作曲の部分について・・・・・木戸敏郎
広瀬量平《尺八協奏曲》における尺八 「回帰」としてではなく・・・・・広瀬量平
諸井誠《竹籟五章》における尺八・・・・・矢野暢
石井眞木《モノプリズム》における和太鼓・・・・・柿沼敏江
三木稔《破の曲》における二十絃箏・・・・・石田一志
長沢勝俊《三味線協奏曲》における三味線・・・・・茂手木潔子

1987年10月号 特集:日本の音・日本の響き
日本の音への新しい視点・・・・・木戸敏郎
邦楽と私・・・・・田辺秀雄
生きている鏡 伝統音楽の可能性・・・・・菅野由弘
伝統音楽への郷愁・・・・雑喉潤
音楽教育の中の伝統音楽 文化教育として学術・実践のチーム・ティーチングを・・・・・柿木吾郎

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北原白秋(1810頃) 「東京景物詩及其他」

青空文庫で公開されている詩集です.


   放埒

放埒(はうらつ)のかなしみは
ひらき尽くせしかはたれの花の
いろの、にほひの、ちらんとし、ちりも了らぬあはひとか。

かかる日の薄明(はくめい)に、
しどけなき恐怖(おそれ)より蛍ちらつき、
女の皮膚(ひふ)にシヤンペンの香(にほひ)からめば、
そは支那の留学生もなげくべき
尺八の古き調子(てうし)のこころなり。

うら若き芸妓(げいしや)には二上りのやるせなく、
中年(ちゆうねん)の心には三(さん)の糸下(さ)げて弾(ひ)くこそ、
下(さ)げて弾くこそわりなけれ。

かくて、日のありなし雲の雨となり、
そそぐ夜(よ)にこそ。
おしろい花(ばな)のさくほとり、しんねこの幽(かす)かなる
音(ね)を泣くべけれ。

放埒(はうらつ)のかなしみは
ひらき尽(つ)くせしかはたれの花の
いろの、にほひの、ちらんとし、ちりも了らぬあはひとか。

                                 明治四十三年八月

[私の感想]
「邪宗門」の後に書かれた自由律詩です.

第一段で意味の良く判らない「放埒」の形容が示されます.

第二段で,色として「蛍」,匂いとして「女の皮膚」,「シャンペンの香」が示され,これに続いて尺八が「放埒」の音として示されます.

第三段では,さらに音として,三味線の音が女性の色香に関連付けて示されます.

第四段の前半では,夏の夜のむんむんとした湿気が示されます.これに続く第四段の後半では,これまでに示された色,匂い,音,湿気が一気に重層してクライ マックスとなり,湿度の高い夏の夜に咲く色香の強いおしろい花の隣で囁き合う男女の密やかな声に,「放埒」が示されます.

終段では,第一段が繰り返され,第一段では意味の判らなかった「放埒」が,第二段から第四段を読んだ後では,爛熟して散る寸前の花のようなはかなさ,悲しさとして形容されていることが判ります.

今から約100年前の1810年(明治43年),北原白秋の耳には,当時の尺八がこのように聴こえたのでしょう.


かはたれ:薄明の時期  (cf.たそがれ:夕方)
あはひ:間
しどけなし:だらしない,なまめかしい
二上り:三味線の糸の調弦法.二本めの糸の音を高く調弦すること
三下り:三味線の糸の調弦法.三本めの糸の音を低く調弦すること
やるせなし:なす術がなく,せつない
わりなし(=理無し)≒やるせなし
しんねこ:人目を避けた男女のひそひそ話

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富森虚山述「明暗尺八往古来今略記」

東日本大震災の日に発注して,週明けに入手しました.しばらく手することができないでいましたが,少し落ち着いて読むことができるようになりました.

富森虚山述「明暗尺八往古来今略記」

出版年不明(1979年の少し前) 発行者:明暗吹簫和樂禅会


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」によれば,「 近来尺八古曲の奏法についての関心が高まりつつある」が,「 その本領と伝統に関しては一般によく知られていない」.そこで,「尺八一管の古法に収約された明暗尺八法統の伝を記して便覧に供する」としています.一方,尺八そのもの,普化宗,虚無僧などについては,次に発行する「明暗尺八通解」(1979年)に記述しているとのことです.


本文からメモ

鎌倉時代末期:天外明普が京都白川に虚霊山明暗寺を創建

室町時代:第十四世淵月了源の時に三条白川橋の畔に移建

元和7,8年頃:妙心寺妙法院内に移建

江戸時代幕末:明暗寺三十三世玄堂観妙は寺徒の素行とともに尊王派として活動し,蛤御門事件に連座し,玄堂は斬首,素行は赦免後に病死.

明治4年:普化宗廃止.当時の看守は自笑昨非は,寺の備品等を東福寺の塔頭の栗棘(りつきょく)庵に預けて還俗.

明治14年:東福寺が仏殿等が火災で消失.

明治19年:樋口孝道,三十歳で京都に移った.

明治23年:東福寺の再建の一助のために明暗教会が善慧院に設立された.樋口孝道が明暗教会の訳教(尺八指南役)になった.

昭和25年3月:宗教法人明暗寺を設立



     目次
  略説尺八縁由
  普化禅師
  法燈国師
  虚竹禅師
  楠木正勝
  明暗寺創建
  寄竹派明暗寺末寺
  明暗寺の終末
  樋口対山
  小林紫山
  明暗寺法系世代
  明暗寺の伝曲
    三虚霊
    艸三虚霊
    鶴巣籠
    伝外曲
  明暗尺八現在曲
  明暗尺八曲目表
  明暗教会
  宗教法人明暗寺
  明暗尺八と禅
    禅の字義
    ジェンナの語義
    法燈国師の指導理念
    明暗尺八の芸風
    明暗尺八の禅定の功徳
    心一曲
    明暗尺八吹奏の本領
    修行過程
  明暗寺系脈の諸流諸派
  尺八寸常規の弁

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イタズラ先生(1917)「名士、文士、貴婦人すっぱぬき」

イタズラ先生「名士、文士、貴婦人すっぱぬき」
1917年(大正6年) サムライ書房
(著作権保護期間満了)

国立国会図書館が公開している文献です.

著者の本名は私には判りませんが,国会図書館が「著作権保護期間満了」としているところを見ると,同図書館では著者を特定しているのでしょう.

明治末期から大正初期の「名士文士貴婦人」,所謂当時の上流階級社会の人物の47の逸話を紹介しています.今で言えば週刊誌ネタに相当するのでしょうが,大正期の自由な社会風潮が感じられるものの,当時の階級社会の姿も伺えます.

そのなかの一つの逸話として,最後の敦賀藩主の子息で貴族院議員だった酒井忠亮の尺八道楽が紹介されています.また,当時の「三尺八家」として,酒井の外 に,堀田正養と牧野忠篤が紹介されています.酒井と堀田は荒木古童に尺八を習ったとのことです.牧野については,当所から車で1時間ほどの長岡市に行けば何か資料が残っているのでしょうか.

酒井忠亮:1870(明治3)~1928(昭和3).父は津軽藩主で,明治維新後には小浜藩知事を務めた酒井忠経.1901年(明治34年)から貴族院議員.

堀田正養:1848(嘉永元)~ 1911年(明治44):亀田藩主の九男.宮川藩主,東京府会議員,赤坂区長,深川区長,1890年(明治23年)から貴族院議員.1908年(明治41年)から逓信大臣.

牧野忠篤:1870(明治3)~1935(昭和10).長岡藩主の五男.1896(明治29)から貴族院議員.1906(明治39)から初代長岡市長.その後,帝国農会会長・大日本蚕糸会会長.

尺八道樂の殿樣  多藝他能の酒井子爵
貴族院議員の舊敦賀(つがる)藩主の酒井忠亮子(ちうりやうし)は故堀田正養子(せいやうし)牧野忠篤子(ちうとくし)と並び稱(となへ)られ華族中の三 尺八家と云はるゝが酒井子が尺八道樂を始めたのは十餘年前の事で元來子爵は若い時から音樂の嗜好があり初めは明笛(みんてき)を學び其技(ぎ)に上達し又 三味線も學び藝者など及ばぬほどである其の他樂器類は一通り何でも扱つて見たが或日堀田子宅に行くと美妙なる音色が奥の方に聞える,ハテ何人(なんびと) が何を吹くかと覗いて見ると主人正養子が古童に尺八を學んで居るのである静(しづか)に耳を傾けて居ると中々妙音で面白いから平生(へいぜい)音樂道樂の 酒井子は爾來(これより)古童の門人となり丁度其の頃から學び出した牧野子と共に稽古し最初は堀田子爵同樣俗歌を吹いて居た之では本物でないと思ふて譜か ら順序を踏んで學び奥許(おくゆるし)の免状を取つたが古童が亡くなつたので大(おほい)に力を落し兎角(とかく)稽古も怠り勝ちとなつたが今日では少し く餘暇さへあれば何時(いつ)でも尺八を出して吹いて居る如何にも巧みで中にも鶴の巣籠などは手に入(い)つたものである從つて尺八も各種のものを集めて 居る猶(なほ)子爵は此外(このほか)銃猟(じうれふ)の道樂もあり能(よ)く八王子邊に鳥打(とりうち)に出掛け肥壺などに落ち込んで目指す鳥を逃がし 歸つて夫人から衣物(きもの)の汚れたため小言を云はれた事もある併し研究會の常務委員となつてからは丁度銃猟(じうれふ)期節に政治上の事務が忙しいの で行かれぬのにこぼして居る只だ尺八だけは暇さへあれば何時でも吹かれるので寒月冴える夜(よ)などは自邸の庭中を吹き歩き興に乗りては邸外に出(い)で 早稲田の田團(たんぼ)邊を吹き歩いて巡行の査公に怪しまるゝ事もある.

(   )は原著のルビです.「敦賀(つがる)藩主」とルビが振ってありますが「つるが」の誤植のはずです.

Itazura

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那智俊宣「サンデー毎日叢書 第六編 日本音楽の聴き方」

那智俊宣「サンデー毎日叢書 第六編 日本音楽の聴き方」
1924年(大正13年)  大阪毎日新聞社
(著作権保護期間満了)

国立国会図書館で公開されている本です.

Nachi

那智俊宣(1875-1931)は箏曲家,・日本画家,別号で鈴木鼓村 .本書では日本音楽全般の歴史と26種の日本音楽ジャンルについてのそれぞれの歴史と現状を記述しています.尺八はその26章のうちの最終章に書かれていま す.

尺八について読んでみると,厳密に資料に基づき考証したというものではなく,当時の通説を取りまとめたもののようです.逆に言えば,当時,通説として どのようなことが言われているかということがこの記述からうかがわれます.

一方,この本が書かれた大正期に行なわれていた「虚無僧」について次のような記述があり,著者は批判的だったようです.

[江戸時代に]この兩派[←京都明暗寺派と一月寺の金先派のこと]の虚無僧が尺八を以つて、諸方を觀化したことは、現代は其扮態に面影を留めて、其實質と、技藝の堕落は寧ろ唾棄すべきものがあります。

記事の全文は長いので国立国会図書館か,私のHPでどうぞ.

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正岡子規「寒山落木 巻一」(1892年?)

大震災の災害と原発の安定化が,まだ,先の見える状況ではまだ無いと感じられ,何をするにしても気の重くなる毎日です.しかし,今は,自分ではどうしようもない心配はひとつ横に置くことにして,努めて平常に戻り,自分の出来ることを従来以上に良く行なうことこそ,復興への協力だと思うことにします.

ということで,このblogも復活です.

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青空文庫で正岡子規の句集「寒山落木 巻一」(1892年?)に,尺八をよみ込んだ句と虚無僧をよみこんだ句をそれぞれ一句ずつみつけました.

青空文庫での小林繁雄氏の解説:
「明治18年から25年までの句作を子規自ら年代順に和綴じにしてまとめた書。明治25年12月「日本」社の記者となり本格的に句作に取り組むまでの習作をまとめてある。」

以下の2句です.

尺八の手に持ちそふるもみち哉

虚無僧の深あみ笠や盆の月

前首は「もみじ」をよみ込んだ多数の句の最後から2つ目の俳句です.そのひとつ前の句が; 

をさな子の手に重ねたるもみち哉

で,なんとなく対になっています.「をさな子」の句では情景が目に浮かんできますが,「尺八」の方は,尺八ともみじの関係が私にはよくわかりません.結局,尺八というものについて正岡子規と私との間に共通認識が無いのでしょう.私は少し,尺八にのめり込みすぎているのかもしれません.

後首は秋と笠(または傘)を読み込んだ連続した七句の内の一句です.虚無僧の黒と明るい月の対比が,秋の夜の風情のなかで浮かんできます.

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blogは復活させますが,いつの日か尺八で祈ることができたらと思っています.
今はまだ,私の尺八はこの重い祈りには軽すぎます.

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