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イタズラ先生(1917)「名士、文士、貴婦人すっぱぬき」

イタズラ先生「名士、文士、貴婦人すっぱぬき」
1917年(大正6年) サムライ書房
(著作権保護期間満了)

国立国会図書館が公開している文献です.

著者の本名は私には判りませんが,国会図書館が「著作権保護期間満了」としているところを見ると,同図書館では著者を特定しているのでしょう.

明治末期から大正初期の「名士文士貴婦人」,所謂当時の上流階級社会の人物の47の逸話を紹介しています.今で言えば週刊誌ネタに相当するのでしょうが,大正期の自由な社会風潮が感じられるものの,当時の階級社会の姿も伺えます.

そのなかの一つの逸話として,最後の敦賀藩主の子息で貴族院議員だった酒井忠亮の尺八道楽が紹介されています.また,当時の「三尺八家」として,酒井の外 に,堀田正養と牧野忠篤が紹介されています.酒井と堀田は荒木古童に尺八を習ったとのことです.牧野については,当所から車で1時間ほどの長岡市に行けば何か資料が残っているのでしょうか.

酒井忠亮:1870(明治3)~1928(昭和3).父は津軽藩主で,明治維新後には小浜藩知事を務めた酒井忠経.1901年(明治34年)から貴族院議員.

堀田正養:1848(嘉永元)~ 1911年(明治44):亀田藩主の九男.宮川藩主,東京府会議員,赤坂区長,深川区長,1890年(明治23年)から貴族院議員.1908年(明治41年)から逓信大臣.

牧野忠篤:1870(明治3)~1935(昭和10).長岡藩主の五男.1896(明治29)から貴族院議員.1906(明治39)から初代長岡市長.その後,帝国農会会長・大日本蚕糸会会長.

尺八道樂の殿樣  多藝他能の酒井子爵
貴族院議員の舊敦賀(つがる)藩主の酒井忠亮子(ちうりやうし)は故堀田正養子(せいやうし)牧野忠篤子(ちうとくし)と並び稱(となへ)られ華族中の三 尺八家と云はるゝが酒井子が尺八道樂を始めたのは十餘年前の事で元來子爵は若い時から音樂の嗜好があり初めは明笛(みんてき)を學び其技(ぎ)に上達し又 三味線も學び藝者など及ばぬほどである其の他樂器類は一通り何でも扱つて見たが或日堀田子宅に行くと美妙なる音色が奥の方に聞える,ハテ何人(なんびと) が何を吹くかと覗いて見ると主人正養子が古童に尺八を學んで居るのである静(しづか)に耳を傾けて居ると中々妙音で面白いから平生(へいぜい)音樂道樂の 酒井子は爾來(これより)古童の門人となり丁度其の頃から學び出した牧野子と共に稽古し最初は堀田子爵同樣俗歌を吹いて居た之では本物でないと思ふて譜か ら順序を踏んで學び奥許(おくゆるし)の免状を取つたが古童が亡くなつたので大(おほい)に力を落し兎角(とかく)稽古も怠り勝ちとなつたが今日では少し く餘暇さへあれば何時(いつ)でも尺八を出して吹いて居る如何にも巧みで中にも鶴の巣籠などは手に入(い)つたものである從つて尺八も各種のものを集めて 居る猶(なほ)子爵は此外(このほか)銃猟(じうれふ)の道樂もあり能(よ)く八王子邊に鳥打(とりうち)に出掛け肥壺などに落ち込んで目指す鳥を逃がし 歸つて夫人から衣物(きもの)の汚れたため小言を云はれた事もある併し研究會の常務委員となつてからは丁度銃猟(じうれふ)期節に政治上の事務が忙しいの で行かれぬのにこぼして居る只だ尺八だけは暇さへあれば何時でも吹かれるので寒月冴える夜(よ)などは自邸の庭中を吹き歩き興に乗りては邸外に出(い)で 早稲田の田團(たんぼ)邊を吹き歩いて巡行の査公に怪しまるゝ事もある.

(   )は原著のルビです.「敦賀(つがる)藩主」とルビが振ってありますが「つるが」の誤植のはずです.

Itazura

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