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永井荷風「書かでもの記」(1918年)

青空文庫に掲載されている永井荷風の自伝的な随筆です.

その冒頭部分です.

身をせめて深く懺悔(ざんげ)するといふにもあらず、唯臆面(おくめん)もなく身の耻とすべきことどもみだりに書きしるして、或時は閲歴(えつれき)を語ると号し、或時は思出をつづるなんぞと称(とな)へて文を売り酒沽(か)ふ道に馴れしより、われ既にわが身の上の事としいへば、古き日記のきれはしと共に、尺八(しゃくはち)吹きける十六、七のむかしより、近くは三味線けいこに築地(つきじ)へ通ひしことまでも、何のかのと歯の浮くやうな小理窟つけて物になしたるほどなれば、今となりてはほとほと書くべきことも尽き果てたり。

16~17歳のころから尺八を吹いていたこと,そして最近(30代後半)は三味線も習っていることが書かれています.

その頃[明治32年]わが一番町の書斎に大山吾童(おおやまごどう)とよぶ人しばしば遊びに来りぬ。当時尺八の名人荒木竹翁(あらきちくおう)の門人にて吾童といふはその芸名なり。余もまた久しく浅草代地(あさくさだいち)なる竹翁の家また神田美土代町(かんだみとしろちょう)なる福城可童(ふくしろかどう)のもとに通ひたる事あり度々『鹿(しか)の遠音(とおね)』『月の曲』なぞ吹合せしよりいつとなく懇意になりしなり。

20歳のころまでに荒木竹翁や福城可童に尺八を習い,「鹿の遠音」「月の曲」を演奏していたとのことです.

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