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藝術新聞

「藝術新聞」という新聞を見つけて,その一部分を見ました.私が見たのは1916年(大正5年)9月ころの一部でした.月に2回の発行で1916年9月に121号ですから,1911年(大正元年)ころの発刊だと思われます.邦楽界に特化した新聞です.意外なことに琵琶関係が随分と多く,全体の1/4くらいもあろうかと思います.

この中に「京都尺八界消息」の記事があり,京都での虚無僧尺八関係の記述がありました.以下に抜き書きをします.

1916年(大正5年)9月5日 第121号

大阪邊(あた)りで尺八と申せば殆ど糸曲(しきょく)尺八を意味し本曲尺八を聯想(れんそう)する人は殆ど無絶(ぜつむ)と云ふて然るべく從つて本曲尺八界の領域は殆ど無しと申して敢(あへ)て過言(くわげん)に非ずと被存(ぞんじられ)候へ共當地に於ては本曲の勢力仲々に侮り難く・・・(以下略)

然し爲之(これがため)に糸曲(しきょく)尺八が盛んならずと申すにては無之(これなく)糸曲尺八は何分(なにぶん)初歩の人に取つては本曲よりも入(い)り易いものなる故に是れ亦随分盛大に御座候


1916年(大正5年)9月20日 第122号

當地に於て演奏會の最も多き流派は明暗流(本曲)に有之(これあり)候はん該流にては演奏會と云はず吹奏會と申候由而して殆ど月毎に開催致居(いたしおり)候該本曲は琴三絃と合奏する曲に無之(これなき)候へば糸引(いとひき)を招致する手間要らず随時随所に於て吹奏し得る如き手輕なる事がその然る所以かと被存(ぞんじられ)候

これによれば,京都では明暗尺八の活動が随分盛んだったようですが,それは京都に限られ,大阪では明暗尺八は殆どなかったとか.東京が大阪と似た様な状況であれば,虚無僧尺八(明暗尺八)が脈々と現在まで伝えられながらも当時の文献資料に殆ど現れてこない理由のひとつかもしれません.

しかし,明暗尺八の活動が盛んな理由が「手間要らず・・・手輕なる事」以外の理由が無かったのかと思います.

実は123号に京都の明暗尺八が詳細に記述されているらしいのですが,欠本でした.

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