« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

橘外男(1953)「棚田裁判長の怪死」

青空文庫で橘外男の短編小説「棚田裁判長の怪死」(1953)に尺八の記述を見つけました.

この短編小説は私にとって身近なキーワードが多く書き込まれていますので,のめりこんで読んでしまいました.そのキーワードは小節の本題には関係がないので,ここでは取り上げません.

主人公が棚田裁判長の不可解な死亡事件を,少年時代からの棚田との交流に遡って語ります.主人公と棚田は長崎県大村市で幼少時代を親しい友人として過ごしました.棚田は江戸時代に城代家老だった旧家の長男です.棚田は大学卒業後に裁判所に職を得て,裁判官になりました.

棚田の4代ほど前の家老に,残忍な人物がいて,若く美しい腰元が屋敷の中で密かに殺されるという事件があったと,地域で語り継がれていました.このため棚田の家には不幸が起こるとも言い伝えられていました.その腰元が殺されたあと,許嫁の若い僧が腰元の死の事実を確認するために「秘蔵の一管の尺八を携えて」家老の家を訪れて,「許嫁の腰元の魂に、せめては昔から好きであった、この尺八の音を聞かせてやりた」いとして,「泣くように、咽(むせぶ)ぶように、力ない人間の不甲斐(ふがい)なさを天に訴えている」ような演奏をしました.この僧もまた家老に惨殺されました.

棚田は作曲家としても高名でした.そのピアノ作品のひとつ「幼時の思い出」,は「轟々(ごうごう)と北風が甍(いらか)を吹き、森の梢(こずえ)を揺すっているような伴奏が聞こえ」,「その騒音に入り交じって、時々人間の呶号(どごう)が響き渡」り,「やがてどこからともなく澄み切った尺八の音が、哀韻(あいいん)切々と耳を打って」くるというものでした.

この作品の初出は1953年5月です.作品の時代設定は別としてこの作品が書かれた頃に尺八の音は「泣くように,咽ぶように」,「澄んで」,「人の心の中へ溶け入って」くるようで,「哀韻切々」と,世人に聴こえるものだったのでしょう.少なくともそのように聴く人が読者にいて,この作品に違和感を感じないということだと思います.

この作品では尺八は僧が演奏していますが,虚無僧の法器としての演奏ではなく,一つの楽器として扱われています.

尺八の音の響きについて明治初期にはこのような哀愁の記述はあまり見られないようです.その後,明治中期以降に見られるようになって,少なくともこの短編小説が書かれた昭和中期にもあったということになります.

しかし現代の世相を表すときに,もし尺八をその小道具として使ったとしても,このような哀愁の表現をすることは,よほど世相から離れた人々を描かないかぎり,少々そぐわないと思います.

尺八の音も世につれ,人につれ,ということでしょう.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

積雪その後

週末の2日間を除雪ですごし,体中が筋肉痛になっています.2メートルくらいに積もった屋根の雪を全部降ろすと10トン分くらいになると知人の一級建築士が計算していましたので,ざっと考えて,今回の私も2~3トンは動かしたのではないかと思います.

明日から4日間の出張になりますので,その分の余裕もみながら除雪をしておきました.

この雪を降らせた寒気団は,日本に来る前に中国,その次に韓国で,その地なりの豪雪を降らせて,それから日本にやってきました.北京やソウルでの雪での混乱が報道されていました.百銭会韓国支部長のところも,それなりに降ったのではないでしょうか.

松巖軒(仙台近郊),連芳軒(福島市)は寒いのですが,積雪はあってもそれほどではありません.一方,越後明暗時のあった三条市の山間部(旧:下田村)は豪雪地帯で,毎年2メートル以上の積雪があるはずです.さらに,江戸時代は気象研究者によれば小氷河期にあたるとのことで低温が続いたそうです(冷害で飢饉が続いたのもこの理由です).積雪は今より多かったはずです.越後明暗時の虚無僧達は,雪に埋もれた冬の間,どのようにして生活費を得ていたのでしょうか.

高田瞽女は冬の間も雪の中を歩き,各地の瞽女宿を順に訪ねて唄を披露し,旅の中で生計をたてていたそうです.

私と言えば,除雪作業のおかげで尺八どころではありませんでした.時間的にも,体力的にも,精神的にも.

| | コメント (1) | トラックバック (0)

積雪1.5m

今朝まで2昼夜の大雪でした.よく降りました.新潟県中央山間部では3m積雪になっていますが,私の自宅周辺でも1.5m程度の積雪になりました.しかもたった2昼夜の降雪でここまで積もったのですから,ちょっとした大雪です.

幸い今日はやみましたので,一日を使って自宅周りの除雪をしました.雪国以外では想像ができないはずですが,私の自宅の前のような住宅道路も含めて,ほとんどの道路は遅かれ早かれ除雪されます(今回のように急な降雪の場合は遅れるのはやむをえません)ので,道路の交通はわりと問題がありません.ただ,その道路除雪の雪が自宅前に積み上げられるので,それを除雪しないと自宅から自家用車が出せません.1.5mの積雪の場合,自宅前に積み上がる雪は2mくらいになります.また,今回は自宅ガレージの上に積み上がった1.5mの雪も除雪しなくてはなりませんでした.

明日も,もう少し,除雪の仕上げをします.来週は天気が回復し気温が上がりそうなので,積もった雪もかなり融けるだろうと,期待しています.

今日の私の家の周りの写真です.

P1160002s  P1160010s

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ピゴット著「日本の音楽と楽器」の原本

昨日(13日)から今朝(14日)にかけての一昼夜で80センチほどの積雪がありました.当地でのこれまでの約10年の生活経験から40センチ×3日の積雪には対処できる準備がありましたが,1晩での80センチには驚きました.生粋の地元人ですら慌てていました.それでも職場は通常どおりですから,たいしたものです.さすがに私は午後4時に早退して自宅の雪かきをしましたけど.

=====

さて,ピゴット著・服部訳「日本の音楽と楽器」の原本を入手しました.Francis Taylor Piggott (1893) "The Music and Musical Instruments of Japan"です.著者のピゴットは音楽の専門家ではないのですが,この本を検索している中で,どうも国際法の専門家らしいことが判りました.同年輩の英国人で数冊の国際法の本を書いている同姓同名(middle nameも同じ)の人物がいました.

あらためて尺八について読んでみると,著者にはこの明治初期にすでに尺八の演奏に触れる機会が多くあったようです.そして,尺八はほとんどが独奏に用いられて,多数の独奏曲が伝えられていると書いています.この曲は箏の曲とは全く違った起源をもつ曲と書いていますので,いわゆる虚無僧本曲(琴古流などの本曲を含む可能性もある)のことでしょう.この「多数」の具体的な記述はありませんが,一方で三味線の「唄」の伝承は少ないと書いています.これはおそらく間違いで,そんなはずはありません.それにしても,少なくとも,三味線の演奏と比較できるだけの尺八の独奏曲(おそらく本曲)に著者が触れることができたとは言えるでしょう.これは少ない数ではありません.

さて,著者は尺八にほれ込んでいます.やわらかな音,美しい音と,絶賛しています.それをどのように表現していたかを知りたくて原本を入手したのです."mellow notes", "beautiful sound", "soft clear tone", "the mellowest of wind instruments","sweet (sound)"などがもともとの記述でした.さて,著者はどんな演奏を聴いたのでしょうか? 今の私の演奏とは少し違う様な印象を受けます.

この時代,西洋では日本は非音楽的な国の一つと考えられていたようです.著者もそのように記述しています.ところが,著者のその見方を払拭させたのが,来日直後の夜の中禅寺湖で聞いた尺八の"soft clear tone"だったという経験を語っています.このために著者は,その後の一部の日本の邦楽演奏家に見られる皮相な西洋ロマン派音楽崇拝の傾向とは違って,真摯に邦楽の世界に向き合うことができたのかと思います.

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »