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ピゴット著「日本の音楽と楽器」

ピゴット著・服部瀧太郎訳(1967)「日本の音楽と楽器」(原著は1893)

驚くような本を入手しました.最近までこの本の存在を知らなかったことは迂闊だったと思います.

著者は英国人で,1889年(明治22年)頃に来日して日本の音楽を調査し,帰国後の1893年(明治26年)に出版した本です.このため,明治初期の日本の音楽事情の証言になっています.3部に分かれています.
  第1部 日本人の音楽→日本音楽の歴史と当時の音楽・音楽界の状況
  第2部 日本の音階→箏を使って音階・ピッチ等を分析
  第3部 日本の楽器→30種ほどの楽器の説明
いずれも驚くほど精緻に説明されています.

上原六四郎の「俗楽旋律考」が1895年(明治28年)ですから,その2年前の出版で,調査はその数年前になります.

箏及び筝曲,箏の家元制の説明に費やされているページが多いのですが,これは著者が箏の大家と知りあって調査したことによるのでしょうが,当時,箏が国内で最も広範に習われて演奏されていたということも考えられます.

尺八の記述は少ないながら,しかし特別の項を立てて説明されています.つまり,この当時の音楽界で,すでに尺八は特有の地位を確立していたと考えられます.普化宗廃止後約15年の頃です.

著者は尺八の音色に感動しているようです.尺八の「美しい音色」が繰り返し説明されています.他の楽器の説明にはこのような情緒的な説明はありません.

尺八の「美しい音色がどんなに日本人によろこばれているかということは,この国の音楽を研究をする者にとってすくなからず興味のある問題になる」としています.著者が感動しただけでなく,この時代に,すでに日本人一般が尺八を楽しんでいたことが推測されます.「ひちりきの陰気な響きや悲しげな音を気に入っていた人たちが,どうして尺八を好きになったのだろうか」という文章から,著者にとっては日本人は尺八以前に篳篥を受け入れていて,日本人にとっては管楽器では篳篥を基本軸として尺八を受け入れていると考えているようです.著者は,篳篥と比較しながら,尺八の「美しい音色」を繰り返し説明します.また,来日直後に中禅寺湖畔に滞在していたときの暗い晩に,「湖面を渡ってこの単純な笛のやわらかくてすきとおった音がきこえてき」て,その美しい音に驚いたと述べています.

残念ながら,著者が聴いた尺八の音楽が何だったかの記述はありません.また,尺八の音楽に関する記述もありませんでした.「さいしょから独奏楽器として扱われていたが,(中略)三味線との合奏にはときどき使われている」として,また「最もやわらかい音を出す管楽器のひとつ.」としていますので,著者が主に聴いたものは尺八独奏曲のはずです.いわゆる「追分」でしょうか? それとも本曲なのでしょうか.ただ,虚無僧との関連は一切書かれていませんので本曲である可能性は低いと思います.

別の見方をすれば,この時代は尺八と虚無僧との関係を著者が見つけられなかったほど,虚無僧の影が無かったと考えられます.ちなみに京都東福寺の善慧院を明暗寺とし,京都の虚無僧グループが再興されたのが1888年(明治21年)です.

楽器としての尺八の説明は以下のとおりです.「内側が塗ってあり」と書いていますが,地盛管か漆塗だけかは不明です.断面写真が掲載されていて,それを見ると漆塗りだけの地無し管に見えます.長さを20~20.5インチとしていますが,これは1尺7寸管の長さになります.そして,第4孔が歌口から9.5インチ,裏の第5孔が歌口から8.5インチの位置と書いていますが,計算するとこれは9半割で作成された尺八ということになります.「指孔の半開で,中国式半音音階のどの音もだすことができる」と書かれています.しかし歌口でのメリには言及がありません.

まだ全部を読んでいませんが,私の個人的な印象として,非常に感動的な本です.訳者が,日本美術におけるフェノロサ,建築におけるブルーノ・タウトに匹敵する業績と言っているのも,共感できます.原著も再版されて発行されていますので,早速入手することにしました.

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