« 善養寺氏ミニコンサート | トップページ | ピゴット著「日本の音楽と楽器」 »

「邦楽 糸竹の栞」第二号

1915年(大正4年)に発刊された雑誌「邦楽 糸竹の栞」の第二号 (1916年(大正5年)1月発行)を入手しました.荒木古童の「尺八に就て」という記事が掲載されています.

まず,「邦楽」の発刊を祝い,さらに「邦楽も西洋音楽に劣らぬ点(もの)があって,必ずしもピアノとかヴァイオリンとか申さなくとも一種の優美高尚なる固有音楽が存在して居ると云う事が一般に覚知せられたのではありますまいか」と言っています.やはりこの時代にも邦楽が西洋音楽の興隆に押されていたのでしょう.そして「旧套にのみ拘泥せず時世に伴して段々改良を加えて尤もよく人情に合(がっ)しなければならる」と言っていますから,同時代の「人情」には,邦楽でも同時代の音楽が必要と感じていたようです.

外曲の作譜については次のように書かれています.作譜に着手したのは豊田風憬で,風憬の没後は風憬に師事した荒木竹翁が三絃の巨匠長瀬勝男部(かつおべ)に就き,竹翁在世中に140~150曲を作譜した.そして,上原六四郎が「付点法」を案出し,これを風憬・竹翁の譜に適用して,そして現在の譜が完成した.

当時,尺八を習い始める男子は「丁年前後」と書かれています.「丁年」は,20歳,20~60歳,60歳の3種の意味があり得るようですが,当時の平均余命を考えれば20歳のことでしょう.当時は合奏が流行しているので外曲から教えているけれど,「本曲は尺八の基礎でありますから尺八を習得する物は是非一通りは研究致すべきもの」と言っています.「女子に対する音楽は・・・親の躾として箏(そう)なり三絃なりを一通りは心得さして置かなければならぬ事になって」いるが,尺八の方は,「一種の娯楽」として学ばれているので上達が遅い人が多いと嘆いています.

尺八については,竹翁が管の内部の加工と五孔の配置を工夫して,調律することを案出したと書いています.

左が古童,右が竹翁の写真です.

S    S_2

|

« 善養寺氏ミニコンサート | トップページ | ピゴット著「日本の音楽と楽器」 »

尺八資料」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/186472/47024172

この記事へのトラックバック一覧です: 「邦楽 糸竹の栞」第二号:

« 善養寺氏ミニコンサート | トップページ | ピゴット著「日本の音楽と楽器」 »