« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

百足登(1894)「尺八の栞」 その1

百足登(1894)「尺八の栞」を国会図書館の近代デジタルライブラリーで入手しました.

これは同年に発行された6冊の「栞」シリーズの1冊で,そのシリーズは「琴曲之栞」,「尺八之栞」,「明清樂之栞」,「横笛之栞」,「胡弓之栞」,「洋樂之栞」です.

「尺八の栞」の宣伝文には「誰人にても本書を開けば數日ならずして自由自在に吹き得べき世間絶無の珍書なり」と書かれていいます.実際にそんなことはあり得ないのですが,この本の目指すところはそういうところにあるようです.

実は,「尺八の栞」はかなり誤植が多く,しかもかなり演奏の基本的なところでの誤植があります.また,シリーズ物として同一著者が執筆していることも考えると,著者は尺八の演奏家というよりは音楽または楽器全般の指導者ではないかと思います.

そこで,その「尺八の栞」の前に「洋樂之栞」を見てみました.

「洋樂之栞」の緒言には以下のような記述があります.

=====
夫(それ)音樂が印度より傳移して東西兩洋に渡るや一は蒙古人種の手に於て保守的の研究を受け一は高加索(かうかさす)人種の手に於て間斷なく開發的の研究を積みて日に其進歩を遂げたり今日は所謂本邦樂明清樂の如は保守的の一派に属し西洋樂は進歩的の一派に属せり夫(そ)れ此くの如く音樂の出所同一なりと雖も其研究と經過の手段とに至(いたつ)ては霄壤(せうじやう)の差あるを以て今日に至り兩洋音樂の差異は三四百年も其度を異(こと)にするに至れり西洋音樂の樂理樂器整然として完美(くわんび)し世界音樂の長者たるまた偶然ならざるなり
=====

音楽がインドで発生したと考えた根拠がわりませんし,そういう知識が当時一般的だったのかどうかもわかりません.著者は,そのように一か所で発生した「音楽」が,かたや西洋に伝わり,他方が東洋に伝わったとしています.そして西洋に伝わった「音楽」は研究が進み,常に発展し,一方の東洋では保守的に扱われ,現在は「兩洋音樂の差異は三四百年」の程度としています.しかし,これは論理的にも間違っていて,東洋が本当に保守的ならばインドの音楽がそのまま日本にまで伝わっていなければならないはずです.虚心に見れば「樂理樂器整然」としていることが即そのまま「音楽」の「進歩」ではありませんから,西洋音楽の優越性を言う以前に西洋の優越性を見る前提があったと考えられます.

これを読むと,西洋が進んでいて,東洋が遅れているという,いわゆる社会進化論(social Darwinism)が,この本が出版された明治初頭にすでに日本の音楽界にまで浸透していて,少なくとも著者はその故に,西洋音楽を「世界音樂の長者」とみなしていたと思われます.

しかし,一方,著者の音楽理論の理解にはかなり問題があります.この本での音階の説明では,まず音階を「天然音7音」と「人造音5種」に分け,これらを合わせた12音で「自然音階が組織」されるとしています.失礼な言い方ですが,トンデモ解説になっています.ちなみに「天然音7音」は鍵盤楽器の白鍵に相当する音階,「人造音5種」は黒鍵に相当する音階です.高橋空山(1979)「普化宗史」に記載されている音階理論を思い出してしまいました.

さて,以上のような立場から著者が尺八をとりあげるとどうなるかが,私には非常に楽しみですが,それは次回に.

| | コメント (1) | トラックバック (0)

国立公文書館デジタルアーカイブ

国立公文書館デジタルアーカイブの「公文書」と「内閣文庫」について,キーワード「虚無僧」と「普化宗」で検索したところ,以下の31文書が見つかりました.

普化宗・虚無僧関係で残っている文書は少ないと思っていましたが,一部は断片的なものながら,予想以上に残っているようです.(もちろん,各地にはさらに多く残っています.)

これらは国立公文書館で公開されている他,一部はネット上でも公開されています.

興味はありますが解読するのは私の役目じゃないだろうなと思います.素人には解読はトッテモ大変そうですし・・・ただ,これらを解読して記録を積み上げてこそ,思い込みではない,史実の歴史が明らかになります.

ところで,文書の表題だけを見ていると,明治四年の太政官布告以前に,すでに明治二年から普化宗廃止が論議されているようです.

【虚無僧】

太政類典
 長崎県葬式及虚無僧等ノ処分:慶応三年~明治四年
 長崎県盲僧検校勾当虚無僧等ヲ農商ヘ帰セント乞フ::慶応三年~明治四年
 苗木藩虚無僧処分法::慶応三年~明治四年

太政類典草稿
 長崎県葬式及虚無僧等ノ処分:慶応三年~明治四年

公文録
 葬式及虚無僧等ノ儀ニ付伺:明治元年

大政紀要
 虚無僧式目
 虚無僧法式
 虚無僧ノ弊ヲ正ス

大蔵省焼残文書
 因伯虚無僧人別:明治二年~明治四年

教令類纂
 虚無僧御条目:慶長19年01月~延宝05年12月

視聴草
 虚無僧御条目
 虚無僧本則

落葉集
 虚無僧所持之往来:享保06年04月

虚鐸伝記

祠曹雑識
 虚無僧派別
 虚無僧ト普化僧
 虚無僧女犯仕置:寛政05年
 虚無僧触頭書上:寛政04年
 虚無僧等寺社奉行所取扱旧格

【普化宗】

太政類典
 新発田藩管内普化宗廃寺処分:慶応三年~明治四年
 飫肥藩管内普化宗僧侶ノ托鉢ヲ停メント乞フ:慶応三年~明治四年
 普化宗廃止:明治四年~明治十年

太政類典草稿
 新発田藩管内普化宗廃寺処分:・慶応三年~明治四年
 僧尼 飫肥藩管内普化宗僧侶ノ托鉢ヲ停メント乞フ:・慶応三年~明治四年

公文録
 普化宗僧侶管内順行差留ノ儀伺:明治二年
 管内普化宗無之届:明治二年
 集験并普化宗無之届:明治二年
 普化宗明暗寺廃絶ノ儀伺:明治二年
 普化宗門廃絶ノ儀伺:明治四年

大政紀要
 普化宗法規
 普化宗ヲ廃ス

布令便覧
 普化宗ヲ廃シ住僧ハ民籍ヘ編入

文部省大臣官房総務課記録班分類文書
 東京 十六、普化宗:昭和二十一年~昭和二十六年
 千葉 四、孝道普化宗:昭和二十一年~昭和二十六年

普化宗御条目:和書(文鳳堂雑纂)
普化宗之祀:和書(文鳳堂雑纂)
普化宗門掟書:和書(文鳳堂雑纂)
家康公普化宗門御掟:和書(文鳳堂雑纂)
普化宗門寺十六派:和書(蠧余一得)
普化宗一月寺鈴法寺申渡:和書(蠧余一得)
普化宗罷越候節天蓋為取候問答:和書(弘化雑記)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

与謝野晶子(1916)「新訳徒然草」

私のHPの明治大正時代文献に与謝野晶子(1916)「新訳徒然草」を追加しました.

与謝野訳では,「世を捨てたやうであつて、そして我執の塊のやうなものであ」り,「佛道の人のやうであつて、そして争闘するのを仕事のやうにして居る手合ひである」梵論僧の会話としては言葉遣いが丁寧すぎて,少々,情景が違うのではないかと思います.「死を輕く見て少しも拘泥しない所が潔く感じられる」ところから,梵論僧の会話を武士風の会話にしたのかとも思われますが,状況からすれば無理があると思います.

徒然草の原文はこちら

出典:国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
(与謝野晶子作品は著作権保護期間満了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »