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宮城道夫・吉田晴風(1951)「琴と尺八」 その1

宮城道夫・吉田晴風(1951)「琴と尺八」世界の日本社(柳沢健編集,千葉早智子協力)を入手しました.

この本は宮城道夫と吉田晴風が演奏生活を振り返って対談したもので,読むべき人が読んだら,かなり面白い本です.

吉田は若くして尺八を志し借金をして熊本から東京に出て,尺八師範の代稽古をしたりして生活をしていたものの「半生での苦労のどん底時代」だったとか.この時に「今までのようにただ伝統的な尺八を吹いておるのでは平凡で将来性がない」と考えて,洋楽の学校に入学しました.これがその後の吉田晴風の音楽の展開の出発点のようです.

大正9年11月2日に,本居長世,宮城道夫,吉田晴風が有楽座で演奏会を開いて,宮城道夫の作品を演奏しました.このとき吉田晴風が「日本音楽の特色を盛った和洋音楽の融合,いや,新しい日本音楽を総称した『新日本音楽』というタイトル」を付けたと言います.これについて宮城道夫は「その頃は恰度,本居さんが洋楽を日本音楽に近ずけようとし,一方わたしの方では,日本音楽を洋楽に近ずけようとしていたので,自然に歩みよりが出来たわけで,面白いことだと思います.まあとにかくその方針で,『新日本音楽』は生まれたのでした」と答えています.

これを読むと「新日本音楽」というものの性格がよくわかります.私がそれになじめないのも無理はないと思います.

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コメント

「琴と尺八」いい本ですね。
宮城の琴の相方は前半期は吉田晴風、後半が中尾都山といえるかもしれません。
新日本音楽は、邦楽の閉そく感を打ち破ろうとしてその時代に乗ることができた音楽といえるでしょう。
それは古典をきっちりやってきた人たちがそれをやっている所が現代と違うのかもしれません。
邦楽界の危機感の持ち方は半端ではなく、その中に生まれてきた星が宮城であったのでしょう。
吉田晴風の新日本音楽の作曲もいっぱいありましたが、今ではほとんど演奏されませんものね。 

投稿: ろめい | 2009年8月24日 (月) 23時22分

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