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種田山頭火「行乞記」

「青空文庫」に上掲されている種田山頭火の「行乞記」に市井を旅する虚無僧(?)の記述がありました.私のHPに追加しておきました.

種田山頭火(1882~1940)は「自由律」の俳人です.私が山頭火の写真としていつも見るのは丸メガネをかけ,杖を持ち,編笠をかぶった僧衣姿です.それからもわかるとおり,各地を行乞しながら句を残しました.この「行乞記(ぎょうこつき)」は晩年の1930年(昭和5年)9月9日から1932年(昭和7年)9月20日の九州から中国地方での行乞(托鉢の旅行)の日記で,4分冊になっています.おそらくほぼnonfictionと考えてよいと思います.この中に,旅先の旅館の同宿者として何回か虚無僧が出てきます.

1930年都城の「虚無僧さん」,日南市と佐土原市近郊の尺八老人は共に人づきあいの良い好人物だったようです.後者は「お人好しで、怠け者で、酒好きで、貧乏で、ちよい/\宿に迷惑もかける」とか.1931年に下関で同室した「虚無僧さん」も好人物だったようです.

1931年11月21日下関市での句は天候が悪くて宿に足止めされたときに,托鉢の虚無僧を思い出しての作句です.「時化でみづから吹いて慰む虚無僧さん」

1931年3月28日下関市の虚無僧三人づれは人柄に少々問題があるようです.「何の彼のと喧嘩ばかりしてゐる」

1931年4月12日 長崎県南島原市深江では,夫が尺八吹きで妻が尼の「遊芸夫婦」が居たとか.尼が遊芸というのはどういう意味でしょうか.夫は民謡でも演奏したのでしょうか?

この行乞記をみると,この時代,山頭火自身もそうですが,自宅近辺ではなく遠く旅に出て安宿に泊まりながら托鉢を行った「僧侶」,「虚無僧」がかなりいたのでしょうか? この行乞記では僧侶もしばしば同宿者として出てきます.しかし,僧侶は一応別にして,山頭火や「虚無僧さん」は一体何の目的で行乞をしたのかという疑問がわいてきます.山頭火は禅僧として行乞し,旅の経験をつみ,句作をしたということかもしれません.では,「虚無僧さん」は? 彼らが「お人好し」だったことは幸いですが,各地で人々からお布施を受けることにどういう理由付けをしていたのかと,不思議に思います.仏道修行という言葉もありますが,仏道修行なら他の正しい方法があったろうと私には思えます.

「青空文庫」

「行乞記」(一)

「行乞記」(三八九日記)

「行乞記」(二)

「行乞記」(三)

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コメント

わたし、明暗・対山の末徒でしてね、いわゆる門の中に居るわけで、で、ものが言い難いですが、わたし自身は仏道修行が目的で虚無僧尺八稽古しているわけじゃない、ただ直載に古典尺八を学ぼうとするだけのこと、
が、この古典尺八、どうやら仏法と関係があって、これを学ばずしては竹音に精神が入らんようだ、難しいですねぇ~、
1音成仏って言いますよね、これ信じて稽古に励む、わたしこのことに疑問は無い、が、徹底理解があるわけじゃない、古典ってのは、このあたりが難しくもあり、かつ又、おもしろく、エネルギー発生源でもあるのかも、
師匠が、あたたかくなったら、二人で出てみましょうか(虚無僧に)、って言います、
今、わたし、だぁ~れも居ない雑木林を尺八吹きながら歩いてみたりしていますがね、歩調ってのがありますから、けっこう難しいですね、立ち止まらないと吹き辛いです、

投稿: 波平 | 2009年2月19日 (木) 08時06分

明治4年の太政官令で普化宗が廃止されましたが,その太政官令は,その後,廃止されたのでしょうか?
また,明治期中期までの警察は虚無僧の托鉢を取り締まる警務規定をもっていたはずですが,その警務規定も廃止されたのでしょうか?

↑ もちろん冗談ですけど,普通,政令・規定は廃止されるまでは生きているはずですよね.

投稿: Yatou | 2009年2月22日 (日) 00時33分

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