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豊島与志雄「浅間噴火口」

「青空文庫」に上掲されている豊島与志雄「浅間噴火口」(1938)に尺八が出てきます.

アパートの家主椿正枝とそのアパートの住人の一人,朝鮮半島(たぶん平壌近郊)出身の大学生,李永泰との交流を描いた短編です.

李は小さな印刷所で働きながら明治大学法科に通っていました.その時代の常として警察署の特高の訪問もありましたが,「なかなか勉強家で有望な青年らしい」と言われていました.

この李が部屋の柱に1管の尺八を下げていました.この小説の中で尺八は朝鮮半島出身の若者と日本人をつなぐ小道具の一つとして使われています.

[本文]=====
正枝はその時、不思議に尺八のことを思いだした。
「尺八がかかっていましたね。どうしてあんなところに下げとくんですか。」

・・・・・
・・・・・

「よい竹です、見て下さい。」
 李はすぐ立上って、尺八を取りに、急いで二階に上っていった。
 正枝はほっと溜息をついた。それから和やかな微笑を浮べた。
=====

ところで;
尺八は江戸末期まで国内の音楽界の中では,傍流というか,むしろ異端の楽器で,それを演奏していた虚無僧は社会のoutsiderだったはずです.それが明治維新後50年間に日本の伝統音楽の象徴的な存在に価値が変わってしまったのはどのような理由だったのでしょうか?

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Endangered species

尺八の話ではありません.

15年ほど前のことです.定年間近のある男性と一緒に仕事をしていました.明るくて親切で,人が良く,働き者でした.ただひとつ問題があって,それは彼の話す言葉が理解できないことです.4年半の間毎日一緒に仕事をしましたが,結局,最後になっても彼の話す言葉は半分も理解できませんでした.私が困っているといつも中に入って通訳をしてくる若者がいました.彼は両方の言葉を完全に操るバイリンガルでした.

これは外国の話ではありません.人口50万人(当時)の都市,鹿児島市での経験です.鹿児島弁(「かごんまべん」,しかし私は「鹿児島語」と言いたい!)は,辞書・教科書が無い分,私にとっては英語より厄介でした.

UNESCOが世界の消滅の危機にある2500言語を報告しました.
この中に,日本の8言語が含まれています.

かつてあるベトナム人と話をした際,ベトナムでは主要民族(=majority.importantの意ではない)で人口の80%以上を占めるKin族(たぶん「京」族)以外に80以上の少数民族がいて,それぞれの言語を使用しているということに対して,私は,日本は在来民族としては少なくとも3民族があり,その内の主要民族は「Yamato」で(←これは話を簡単にするための用語です),在来の言語は少なくとも3言語があり,共通語は「Japanese」だと答えました.私としては少々控えめに言ったつもりです.そのベトナム人の反応は「たったの3か?」でした.

日本について「単一民族」という神話もかってはありましたが,自身を客観的に見ることも面白いことです.

つい最近,「The Komuso Shakuhachi player is one of the endangered  species.」と言ったばかりなので,上記の記事が特に気になりました.

さて,最近,また顎の調子が少々良くないと感じていたら,どうも尺八の吹きすぎのようです.1日15分,休日1時間~2時間ですからたいした演奏でもないのですけどね.せっかく長管も思うような音が出てきたし,頭の中にも「うた」が流れるようになって,「絶不調」から抜け出していたのに・・・またしばらく練習は減速します.

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種田山頭火「行乞記」

「青空文庫」に上掲されている種田山頭火の「行乞記」に市井を旅する虚無僧(?)の記述がありました.私のHPに追加しておきました.

種田山頭火(1882~1940)は「自由律」の俳人です.私が山頭火の写真としていつも見るのは丸メガネをかけ,杖を持ち,編笠をかぶった僧衣姿です.それからもわかるとおり,各地を行乞しながら句を残しました.この「行乞記(ぎょうこつき)」は晩年の1930年(昭和5年)9月9日から1932年(昭和7年)9月20日の九州から中国地方での行乞(托鉢の旅行)の日記で,4分冊になっています.おそらくほぼnonfictionと考えてよいと思います.この中に,旅先の旅館の同宿者として何回か虚無僧が出てきます.

1930年都城の「虚無僧さん」,日南市と佐土原市近郊の尺八老人は共に人づきあいの良い好人物だったようです.後者は「お人好しで、怠け者で、酒好きで、貧乏で、ちよい/\宿に迷惑もかける」とか.1931年に下関で同室した「虚無僧さん」も好人物だったようです.

1931年11月21日下関市での句は天候が悪くて宿に足止めされたときに,托鉢の虚無僧を思い出しての作句です.「時化でみづから吹いて慰む虚無僧さん」

1931年3月28日下関市の虚無僧三人づれは人柄に少々問題があるようです.「何の彼のと喧嘩ばかりしてゐる」

1931年4月12日 長崎県南島原市深江では,夫が尺八吹きで妻が尼の「遊芸夫婦」が居たとか.尼が遊芸というのはどういう意味でしょうか.夫は民謡でも演奏したのでしょうか?

この行乞記をみると,この時代,山頭火自身もそうですが,自宅近辺ではなく遠く旅に出て安宿に泊まりながら托鉢を行った「僧侶」,「虚無僧」がかなりいたのでしょうか? この行乞記では僧侶もしばしば同宿者として出てきます.しかし,僧侶は一応別にして,山頭火や「虚無僧さん」は一体何の目的で行乞をしたのかという疑問がわいてきます.山頭火は禅僧として行乞し,旅の経験をつみ,句作をしたということかもしれません.では,「虚無僧さん」は? 彼らが「お人好し」だったことは幸いですが,各地で人々からお布施を受けることにどういう理由付けをしていたのかと,不思議に思います.仏道修行という言葉もありますが,仏道修行なら他の正しい方法があったろうと私には思えます.

「青空文庫」

「行乞記」(一)

「行乞記」(三八九日記)

「行乞記」(二)

「行乞記」(三)

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大甲音

もう少し高い音が出た方がいいなと思っていたところ,大甲のレの半音上の音まで,なんとか旋律の中で使えそうな音が出るようになりました.高音が難なく出るようになれば,乙音の美しい最弱音も難なく出るだろうという考えもあります.私の尺八の練習の最初は乙音→大甲→乙音の繰り返しの音出しから始めるようにしています.もう一音上の音が出ないかという色気がでてきました.ヒの1オクターブ上の音がなんとか出るのですが,出るというだけで,旋律の中で使えるような音ではありません.これが自由に出るようになると,音域がほぼ3オクターブになって,根笹派の裏調子の変奏の幅が広がって面白そうなのですが,そうは簡単にはいきません.

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絶不調だ

尺八を吹いて音は出るものの思ったような音ではなく,いくら音をだしても思ったような演奏にならないという,絶不調の1か月を過ごしてきて,まだその最中にいるものの,なんとなく脱出の糸口が見えてきました.何回も経験していることなので,深刻には考えていません.毎日,演奏技術の細かいことは変化しているし(願わくば「進歩」であってほしい),音楽への気持ちも毎日変わるので,技術・音楽のそれぞれのバランスがとれなくなってしまうことがスランプ,不調だと思っています.

このところ,練習時間がとれず,顎も完治せず,楽器を長管に持ち替え,アンブシュアも変えて...ということなので,演奏,音楽のバランスが崩れているのは当然です.こういう時は,むやみやたらに練習を続けるのが最も良いのでしょうが,いかんせん,その時間がとれない.他に方法がないので,時間はかかるもののいずれなんとかなるだろうとのんびりと構えていました.が,結構辛いものもあります.

不調のときに「不調だ!」としてのんびりしていられるのは,アマチュアらしさ,また一人吹きの特権です.これで演奏会でも予定されていたら目もあてられない.

さて,尺八をじっくり演奏できる時間がとれるようになるのは,この先,4月半ばかと思います.

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