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善養寺氏演奏会

善養寺氏演奏会に出かけました.

○「調子」 & 「秋風の曲」

調子は演奏曲として演奏する場合,尺八の音色,一音一音の完成度が完璧に求められる曲です.個人の個性としての音色か,使用楽器のためか,当然その両方でしょうが,強く,柔らかく,流れるような,聴きほれる音色でした.「調子」は一つの盛り上がりを示しながら,「秋風の曲」の序曲として静かに消えていきました.

寂寞とした「調子」に続いて静かでしかし色彩豊かな「秋風の曲」の序曲が始まりました.初めて聴いた「秋風の曲」は深い悲しみを美しく歌いあげた曲です.この曲は不思議な曲で,古典的なフレーズを使い,伝統的で堅固な構成をもちながら,曲の流れを乱すように異質で現代的な響きの短い手が曲の中に挟み込まれて聞こえてきました.お二人の演奏全体も現代的で新鮮な印象がありましたが,これは私が筝曲を聞きなれていないせいかもしれません.

「秋風の曲」の序曲に「調子」を置くことで,「秋風の曲」の皮相を透かす光がさして,そうでなければ私には見えなかった曲の奥が垣間見られたように感じました.

それにしても,筝曲を二尺四寸管で演奏するとは・・・

○「残月」

ほぼ30年ぶりに腰を落ち着けて聴いた地唄です.ですから何とも言えません.善養寺氏の演奏会ということで,尺八が全面に出た演奏でした.私としては尺八の演奏を楽しめる合奏でした.尺八が客演だった場合の善養寺氏の演奏はどのようになるのか,また主演客演の関係の無い演奏だったらどうなるのでしょうか.

○布袋軒所伝「鈴慕」

「残月」の演奏のあとの尺八本曲ということで,なんとなく会場にも,ステージ上にも,地唄の余韻が残っているようでした.地唄の難曲の演奏の余韻を完全に消し去るには15分の休憩では不足だったように感じました.ただ,善養寺氏には「ところがいつのまにか・・・・古典本曲にも三曲にも・・・・二つの尺八は融和することが出来るのではないかという夢を見るようになったのでした」との意図があったとのことでした.私の印象では,その意図は「秋風の曲」と「残月」で実現しましたが,古典本曲ではまだ道半ばであったのではないかと思います.私の耳が未熟だったのかもしれません.また,このような機会を経験させていただきたく思っています.

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コメント

いつ書き込みが再開されるだろうかと心待ちしておりました。
どうぞご無理なさらぬ程度にアゴお使いのほど…、

ウ~ン、深い聴き方ですねぇ~、
わたしには、いまだ理解できないところがあるが、雰囲気程度にはわからんでもない、

たしかに尺八ってのは、麻薬的な魅力がありますよね、とにかく息を吹きいれて響きを、振動を、身体で感じたいって気になると触りたくてウズウズする、
貴兄のお気持ちがなんとなくわかるような気がします、

お大事に、

投稿: 波平 | 2008年11月 2日 (日) 05時01分

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