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発音法

おそらく自分の口の癖だと思いますが,息の吹き込みをわずかに左にずらすとずいぶんと楽に音を出せることに気がつきました.メリ音もよく出ます.

ずらすと言っても1/5ミリか1/10ミリ程度でしょうが,この距離の移動に何年かかったのでしょう....ずれていなくて,気持ちだけかもしれませんけど.

先週末からやっとinternetとブロードバンド接続になりました.これまで電話線接続(ADSL接続ですらなかった)でよく我慢してきたものだと,思います.

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瞽女宿

連休中に大山真人(1981)「ある瞽女宿の没落」(音楽之友社)をひととおり読みました.先日,古本屋さんで入手した本です.瞽女は旅の途中では大地主の家に宿泊し,この宿を瞽女宿といいます.この本はこの大地主を記録したノンフィクションです.私の近所の話で,余所者の私でも知っている地名が多くでてきます.北陸の大地主の財力と権力は私の想像をはるかに越えるものでした.

彼らは江戸末期時点での財力を元にして田畑を取得して地主となり,明治初期の地租改正で地主としての地位が「法的,制度的に保証され」,所有地を更に拡大してゆき,大正期に絶頂期を迎え,第二次大戦後の農地改革で終焉を迎えました.このような地主が瞽女を迎え入れ,瞽女宿として宿を提供し,小作人たちに娯楽を提供していました.明治・大正期の農村にはたいした娯楽もなく,瞽女の来訪は村を上げて歓迎されていたようでした.一方,地主の家では「夏休みになると・・・前庭の涼み台の上では,毎夜星空のもとで,(家の)下男(たち)の吹く尺八の『追分』や『佐渡おけさ』『さんかい節』に耳を傾け・・・」ということもあったようです.しかし昭和になってラジオが入りはじめるとこれが新しい娯楽になって瞽女を迎える雰囲気にやや変化がみられはじめ,その後に戦争期になると「芸者や芸人の存在そのものを否定する空気が強く」なり,そして戦後に瞽女宿だった地主が没落することで,旅芸人としての瞽女も終焉の時期をむかえました.

「尺八」が出てきましたが,この文脈に思いをはせれば,「虚無僧」は世俗の世界からは全くのアウトサイダーだと,あらためて,つくづく思いました.

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山下彌十郎「虚無僧 普化宗鈴法寺の研究」

山下彌十郎(1972)「虚無僧 普化宗鈴法寺の研究」(多摩郷土研究の会発行)を古本屋さんで購入しました(HPから).以前から読んでみたかった本なので,入手できてとても嬉しく思います.販売価格は原価の8倍でしたが,新刊時の価格はページ数で決まり,古本の価格は中身の価値で決まるということでしょうか.

まだ読むまでに時間がかかりそうですが(この本の前に読む本が数冊ある・・・),ざっと目をとおしたところでは,前半の普化宗・虚無僧の記述はやや不正確な部分も含まれているような気がします.一方,後半の鈴法寺の解説は,史料にあたり,現地に足を運んだ労作です.

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蓮芳軒・喜善軒「鶴之巣籠」の練習始

神譜「蓮芳軒・喜善軒 鶴之巣籠」は東北系「鈴慕」のバリアントの一つ(月渓,など)と聞いてはいたものの,演奏を聴いただけでは何のことかわかりませんでした.ところが楽譜を仔細に見てみれば間違いなくそのとおりで,特徴的な修飾を取り去ってみれば基本構造・主要旋律構造が布袋軒「鈴慕」,松巌軒「鈴慕」,「越後三谷」(いずれも神譜)とそっくりでした.とくに松巌軒「鈴慕」とはそっくりで,演奏中に「(少し前の演奏は)あれでよかったのか?」などと考えたりして,うっかりすると,いつの間にか松巌軒「鈴慕」に入ってしまうことがあるほどよく似ています.作・編曲者の明確な珍しい曲なので,曲の伝承どおりということなのでしょう.

曲の構成は「鈴慕」系の「山型構造」(月渓)になっていて,中ほどに高音があります.この点では全体のほぼ2/3くらいの位置にその最高潮の部分があるという,なんとなく黄金比にしたがっていうような印象を受けます.その最高潮部分の後は前半部分の短い繰り返しになっていますが,聴いている人には判らない程度の差異で,フレーズの順が前半と逆順になっています.このため,演奏者は前半は次第に高潮していき,後半は,聴いていいる人は前半の繰り返しを聴いているように感じながら,実は演奏者は逆順で静まっていかざるをえない(自然にブレーキがかかる)・・・・という仕掛けがしてあるように感じますが,どうなんでしょうか?

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