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角屋可好「尺八之栞」

角屋可好「尺八之栞」1903年(明治36年)竹声会

国立国会図書館の明治時代文献から角屋可好「尺八之栞」の緒言を私のHPに入力しました.

「古來ヨリ韻士雅客ノ最モ愛玩スル樂噐ナリ」は少々身内びいきかと思います.

ところで,この緒言冒頭に「尺八ハ五穴ヲ以テ十二律ノ音聲ヲ自由ニ發スル」とあります.これに限らず尺八の教本には必ず「十二律」の説明があります.このごろ思うのですが,伝統的な演奏を虚心に聴いた場合,本当に12音でしょうか? どうも,古に中国から移入された音楽理論を日本の伝統・民間音楽に無理やりあてはめて,それからはみ出た部分を「微分音」として音名も付けずに片付けてしまっているように感じます.理論・理念が先行することは尺八では最近でも音名に限らず同じ傾向があるかもしれません.まず虚心に聴くことから始めて,それから理論・理念を考えたほうがよいかと思います.

ただ,12音について言えば,「西洋音楽」に完全に毒されてしまっている私は,何も考えないで音をだすと本能的(?)に12音のどれかにあてはめた音にしてしまっています.現代的な演奏とでも言いましょうか・・・

なお;

違星北斗「北斗帖」のページに山本由樹氏のコメントを加筆しました.感謝します.

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コメント

古来尺八家の言う「十二律」とは、
「乙ロツレチリイ」+「甲ロツレチリイ」=12
という計算のようですね。
律を音の高さと捉えれば理屈は通ります。
間違いもそのまま復唱して受け継ぐのが伝統なのですから、気にしても仕方ないのかもしれません。

奈良時代に「呂氏春秋」ほか、2、3の理論書は輸入されているのですが、理論的な部分は読まれず、三分損益のような実用的な一部が写し継がれたというのが、日本音楽全般の実情だったようです。
和算などで音階理論が追求された可能性は捨てきれませんが、仮にあったとしても、音楽の現場とは交わらなかったと考えるのが妥当でしょうか。

投稿: ペリー | 2008年2月15日 (金) 00時29分

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