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雪の高田

尺八とは関係ありませんが;

私のHPに新潟県上越市(高田)の昨年の積雪の記録を掲載しました.去年は少雪の年でした.最高の積雪で36cm,積雪日数が47日でした.ちなみに,一昨年は近年では最も多かったのですが,最高の積雪が162cm,積雪日数が110日でした.

毎日の積雪量を加算したものを累積積雪量(日・cm)として,1960年からのグラフを作ってみました.ここ上越市高田は都市としては雪が多いのですが,年次変動がとても大きいことがわかります.

今年は,今のところ,最近の平年値よりやや少ないというところです.

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違星北斗「北斗帖」

違星北斗(いぼし ほくと)「北斗帖」(1954年):青空文庫

一連の作品を読むと,著者は北海道にあってヤマト民族とアイヌ民族の接点で揺れながら,ヤマトの側からアイヌ民族・アイヌ文化に肩入れしながら生きたようです.

作品を読む範囲では,作者のまわりに視点を同じくする人は少なかったように感じられます.半世紀前の日本の状況はたしかにそうだったのでしょう.

尺八が出てくるのは下に引用した4つの作品ですが,尺八はヤマト側の文化として作者の手許にあるようです.

[作品引用]=====

平取(びらとり)はアイヌの旧都懐しみ
義経神社で尺八を吹く

尺八で追分節を吹き流し
平取橋の長きを渡る

尺八を吹けばコタンの子供達
珍しそうに聞いて居るなり

尺八で追分吹くや夏の月

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私のHPの「近代文学の中の尺八」

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豊島与志雄「絶縁体」

豊島与志雄「絶縁体」(1952年):青空文庫

「私」と隣りに住む「市木さん」との付き合いの話です.「市木さん」は,「もう六十歳近い年配だと見えるのだったが、そのわりには幼い一男一女があった」.近所では知られた人でしたが,近所との付き合いはほとんど無く,職業も知られていませんでした.家に閉じこもっていることが多いようです.そんな人の趣味のひとつが尺八でした.

[本文]=====
出かけるのは晴れた日に限っていて、雨降りにその姿を見かける者はなかった。
 そしてたいてい、竹編みの大きな籠を、長い紐で肩からぶらさげていた。その籠の中に、たいてい、スケッチブックを入れていた。それからたいてい、太い杖か一管の尺八を持っていた。竹籠は買物のためであって、いろいろな品物でふくらんでることがあった。スケッチブックはめったに使われることがなかったが、なにか興趣ひかれる事物に出逢った場合のための用意だったろう。それから、杖はよいとして、尺八に至っては誰にも合点いかなかった。然し、近隣の人々は、深夜、嚠喨たる尺八の音を度々聞かされていたし、たぶん、手馴れてるままに彼はそれを携えていたのであろう。
=====

この「市木さん」の演奏する尺八曲は「追分」でした.

[本文]=====
酔ってくると、市木さんは尺八を持ち出してきて、追分節を吹いて聞かせた。
=====

世間離れして一人で演奏して楽しめる楽器は,やはり尺八ということになるのでしょう.

ところで,近代文学の中で尺八の曲として「追分」が頻繁に出てきますが,「追分」という曲名だけで曲が特定できたのでしょうか? 「追分」とうのは民謡の一つのグループ名かと思っていました.「○○追分」というのは沢山ありますから.そういえば,川本逸童「ヴァイオリン尺八追分節」(1912年)という譜が国会図書館アーカイブにありました.解読してみましょうか.

私のHPの「近代文学の中の尺八」

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尺八の密かな楽しみ?

尺八古典本曲の場合,演奏する曲を決めずにテキトウに第一音を出して,次の第二音もテキトウに選んで音を出すと,その音の並びで曲が決まってそのまま最後まで行ってしまうことがあります.根笹派錦風流の曲は最初の3息までで全ての曲が決まります.最初の音を出すときのテキトウ感と,その後に曲が決まるまでの緊張感のバランスに面白いものがあります.布袋軒の「鈴慕」と「三谷」は6息めで曲が決まりますので,どっちにするかを5息の間に考えます.対山派「瀧落」と「虚空」は,最初のツレーを吹き始めた後,右手の薬指を動かしたくなるかどうかが分かれ目です(この一瞬はかなりキンチョウする).

もちろんこれはマトモなやり方ではないので不謹慎と言わるでしょうし,一人の練習時に限られますが,それでも気楽に尺八を楽しむことができます.

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ストレスと尺八

私は,間違いなく,尺八を気ままに演奏していますが,尺八に触れる時間には波があります.その波が下記のようなものだということに気が付きました.1(演奏する),2(演奏しない),3(僅かに演奏する),4(演奏できない)の順です.

1.1日の内で尺八に触れる時間を少しでも見つけて演奏を楽しむ.
2.諸事に忙しくなると尺八を演奏する時間がなくなる.
3.ストレスが高まってくると僅かの時間でも尺八を演奏することでかろうじて心の平衡を保つ.
4.さらにストレスが高まると,その僅かの演奏でも負担に感じるようになる.

今の生活の中でストレスがあることはどうしようもないとして,いずれは4を無くして3にならないものかと思っています.尺八の演奏という行為が特別な負担ではなく,あたかも呼吸をするように尺八を演奏できたらいいなと思っています.

ちなみに,今は4の状態です.まあ,長くは続かないとは思っていますけど.

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相馬泰三「田舎医師の子」

先日の積雪が消えたと思ったら,全国的な冬型気圧配置の中で,昨夜から30cm弱の積雪になりました.まだまだ,この程度なら平気です.

さて,

相馬泰三「田舎医師の子」(1914年):青空文庫

田舎(場所,年代は特定されていない)の兄と妹の交流が描かれています.その中の農村の若者達の風俗の一節です.

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 農家では夕飯がすむと多くは早くから寝床へもぐり込んだ。若い者どもだけは、煙草入れや尺八などを腰へさしこんでそーっと外へ出て行った。卑猥(ひわい)な雑談にふけったり、流行唄(はやりうた)を唄ったりして夜更けまで闇の中をあちこちとうろつき廻った。年頃の娘のいる家の裏口のあたりへ忍び寄って、泥棒ではないかと家の人達に怪しませたりする事も尠(すくな)くはなかった。庸介の家の女中部屋の裏でも時々そうした怪しい人影が出没した。
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尺八で何を演奏したのか? 追分か,流行唄の伴奏か? 腰に挿しておいていなせにちょっと吹くのなら篠笛のほうが良いように思いますが,尺八ということもあったのでしょうかね.

私のHPの「近代文学の中の尺八」

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戸坂潤

戸坂潤「思想と風俗」(1936年):青空文庫

本論文の本旨とはあまり関係のない話題ですが,以下の記述は面白い.

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 普通、道徳は品行問題と結びつけられて世間の興味を惹いている。或る尺八の名手の婦人関係は、彼の品行に関係するが故に非常にセンセーショナルな道徳問題となったが、之に反して文士の賭博は直接彼等の品行とは無関係なので、道徳上の問題としてはあまり厳粛に取り上げられない。笑って済ませる事件だと考えられているのが事実である。
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昭和初期になると,尺八演奏家は高潔な者という見方が定着していたのでしょうか.

私のHPの「近代文学の中の尺八」

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関如来「当世名家蓄音機」(1900年)

明治時代文献の関如来「当世名家蓄音機」の中の荒木古童の項目を入力してあったつもりでしたが,大きな欠落とかなりの誤入力があったので,追加入力と訂正をしました.

江戸末期の虚無僧寺に実際に在籍した者への明治初期のインタビューですから,かなり面白い記述です.ただし,個々の話題にどこまで信を置くかには,充分に注意したほうがよさそうです.

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寺田寅彦

私のHPの「近代文学の中の尺八」のページを整理しました.

また,この中に寺田寅彦の作品2点を追加して引用しました.「日本楽器の名称」と「やもり物語」です.多才な人物です.

いずれも「青空文庫」からの引用です.

さて,久しぶりに「青空文庫」を覗いてみたら尺八に言及している作品が大変に増殖していました.尺八界を外から見たらどう見える?ということに興味があって一昨年あたりから覗き始めたのですが,なかなか終わりが見えない.嬉しいような,めまいがするような....

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虚無僧の歴史(一般向け)

昨年末に知人の前で尺八の演奏を披露しました.普段は邦楽とは全く縁のない人たちです.その時,以下のように虚無僧と尺八について説明しました.少々乱暴な説明ですが,「虚無僧」には誤解が多いのでそれを正すという意図も含めています.ご参考まで.私のHPにもアップしておきました.

ところで,明治4年の禁止令はいつ解除されたのでしょうか?

虚無僧の歴史
尺八の起源は不明。室町時代末期、尺八を吹いて路傍でたむろする浪人が出現した。江戸時代になり戸籍管理が厳しくなると所属不明の浪人たちの一部が組織化され、普化宗という、禅宗の一派を詐称する集団を形成し虚無僧寺に住んだ。これが幕府の浪人管理対策の思惑と一致したために、その後は半ば公認、半ば黙認のような形で存続した。虚無僧は僧籍を持っていなかったので仏教儀式は行えず、尺八を吹きながら托鉢をして糊口をしのいでいた。虚無僧寺は最盛時には全国で九十か所以上あったといわれているが、ほとんどが小さな民家程度のものだったらしい。虚無僧寺=風呂屋という記録も少なからずある。尺八での托鉢の評判は極めて悪く、寺に寄進をするから集落には托鉢に来てくれるなという文書が各地に残っている。尺八の技量に優れた者は一般人に尺八を教授して生計の足しにした。これは本来は禁止されている行為である。今知られているような天蓋を被るようになったのは江戸時代後期。江戸時代初期には何も被っておらず、中期には浅い編み笠を被っていた。明治四年に、出所不明の不法集団として修験道と共に普化宗の禁止令が明治政府からだされ、普化宗と虚無僧寺の歴史はあっけなく完全に終わった。政府による宗教弾圧とは誰も考えなかったらしい。その後まもなく、尺八は庶民の楽器として復活した。そして琴・三味線との合奏も本格的に行われるようになった。

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謹賀新年

明けましておめでとうございます.

今年は,30年ぶりくらいになりますか,帰省せずに自宅で正月を迎えました.静かな元旦になりました.帰省すると遠州灘で初日の出のご来光を仰ぐことにしているのですが,上越で初日の出は無理.特に今年は積雪の元旦でした.大晦日から今日(2日)までに40センチの積雪でした.雪かきに始まった新年になりました.順調(?)ならこれから2月中旬までに増えたり減ったりしながら,1メートルくらいの積雪になるはずです.

P1010001s

さあ,今年はどんな年になるか.尺八については,昨年はなんとなくそれまでの練習を繰り返すことにしていましたが,今年は,新しくやってみたいことが一つあります.そういうことを思い付くと楽しくなります.

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