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年末に思う

尺八古典本曲の音階・音程が,平均律や純正律に合っているかどうかと言っても世界には様々な音程・音階があるのですから,そのうちの一つや二つに合っているとか近いとか言うのは大した意味が無いように思います.

尺八の音は倍音成分が多くて複雑な音色だと言っても,音又のような響きの楽器は世界のどこにもありませんし,複雑な音が出るように意図的に工夫された楽器はいくらでもあります.

音によって音色が変わるのは楽器の常で,音高で音色が変わりにくく作られているはずの西洋クラシック音楽の楽器ですら高音と低音ではかなり違った響きになりますし,ピアノですら強音と弱音では相当に違った響きがします.音色の複雑なことが尺八の特徴とは言えません.

尺八にはメリ音があると言っても,演奏法を工夫して音程を補正するのはすべての楽器で演奏の常識ですし,メリで音色を変化させると言っても,西洋クラシック音楽で使われる楽器ですら弱音器を使ったり,弦楽器なら弦に指をかけたりして,音色を変化させます.

尺八には特殊技法があると言っても,「特殊」はあくまも特殊の話で基本の話ではなく,一方,楽音以外の音を出そうと思えばどんな楽器でも可能で,多くの民族音楽楽器では実際に使われているし,西洋クラシック音楽でも曲のスパイスのように時に使われます(一時の「現代音楽」では流行りました).

尺八では微分音とか中間の音があるといっても,リコーダーをはじめグリッサンドなどで音程の中間の音を使う楽器はいくらでもあり,当然ながらフレッドのない弦楽器では中間音など自由です.

私は草木の間を歩くことが多く,この時には水の音,風の音,草木の音,鳥の声など,多くの音が聞こえてきます.しかしこのような音を楽器で直接的に模すことに重要な意味があるとは思えません.それが竹林の風音であってもです.楽器から出てくるのは音楽でしかなく,私たちが楽器から受取るのも音楽でしかないからです.尺八の音が「自然」と直接につながるという感覚も私には良くわかりません.

尺八が世界の楽器の中で特殊・特別なものと考えることを,私はやめようと思います.

また,尺八を他の楽器,特に西洋クラシック音楽で使われる楽器と比較しながら,そのとき見つかる差異を強調することで尺八のアイデンティティーを確立しようというのは,それこそ尺八を「特殊」な楽器として追い詰めてしまうことになるように思います.

竹筒に息を吹き込めば音が出る,それをうまく工夫すると「うた」なる...というような原初的な喜び,楽しみを基本に置いて,来年は練習をしてみようかと考えています.

莫とした意見はできるだけ書かないことにしていましたが,年の最後の一回は禁を破りました.皆さん,よいお年をお迎えください.

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ある葬儀にて

JRで7時間ほどかけて郷里に帰り恩人の葬儀に出席してきました.多くの人に慕われた人でした.半年ほどの闘病の末の永眠でしたので,落ち着いた雰囲気の葬儀でした.

数年前,これとは違い悲嘆に沈んだ葬儀に参列したことがあります.この時,葬儀に流れる読経と声明が,もちろん手垢が付いたように通俗的ながら,悲しみの空間を満たす音楽として強い力を持っていると感じました.それを聞きながら一方でこれに匹敵する尺八本曲があるだろうかと戸惑いました.演奏関係者の了解だけにもとづく自己満足の演奏ではなく,聴く人と逝く人に届く音楽です.

それから数年たって,葬儀に参列しながらかつてのこの迷いを思い出し,その時に欲しかった強い力を持った祈りの曲が少なくとも2曲はあると今の私は思っています.それを私が実現できるかどうかは別問題ですけど...かつての迷いは私の未熟の故,理解不足の故だったのでしょう.

帰路の駅弁は豊橋駅の「いなりずし」でした.豊橋に行かれた方は是非どうぞ.少し味が濃いかも.

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学生時代のサークルが・・・

私が学生時代に在籍した琴古流尺八のサークルが遂に終わりを迎えました.私はここに遅れて入部し,2年半ほど在籍しました(その後,私の尺八は20年以上中断).私の在籍した約30年前は各学年5人くらいの部員がいました.当時,他大学では琴・三絃も含めた「邦楽部」だったのに,地域で(たぶん全国でもほとんど)唯一の尺八だけのサークルでした.このところ新入部員が入ったり入らなかったりが続き,ついに来年の3月で最後の在籍者が大学院を修了するので(つまり,すでに2年前から学部生は不在!),サークルも修了ということになったようです.時代の移ろいを感じます.そこで,世話人がいて,サークルに残されていた10数本の尺八を,この際,すべて修理し,希望のOBに貸与することになりました.で,私のところに2尺管,2尺4寸管,木製八寸管が来ました.前2者は私が今使っている八寸管と同じ製管師の楽器なので,違和感なく演奏できました.クリスマスプレゼントですね.大切に使っていきたいと思います.

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善養寺氏演奏会

12月20日の善養寺氏演奏会を聴きに出かけました(はるばると...)

松巌軒「鈴慕」
メリ音の美しさが際立つ演奏でした.特にメリ音の中に節目のように入る打ちの手が力強くコロコロと美しく感じました.CDでの演奏と比較すると,最終節が柔らかく演奏され,また最終音も変更され,帰結の感が強くなっていたようです.

普大寺「虚空」
演奏会中で善養寺氏でのお話で,氏がこの曲にもつ印象は私の印象と全く違ったものであることが判りました.演奏でもその違いは明確でした.どうもこれは譜の違いにあるようです.私は対山譜,氏は神如道譜です.両者は一部のフレーズの順に入れ替えがあるものの,音の並びは殆ど同じです.しかし神譜では音の一つ一つに細かな指示が入り,その結果として生まれてくる音楽は対山譜の曲とは異なるものになっているようです.僅かな違いから生まれてくる異なった音楽ということで,私にとっては消化の難しい演奏でした.

佐藤聰明「魂招琴」
ゆったりとリズムを刻みながら流れる音楽です.善養寺氏の六寸管は乾いた響きがしていました.調性は無いか弱い構成の曲なのでしょうがC音への指向があるらしく,安定した音の流れに感じられました.

布袋軒「鈴慕」
私がとても好きな曲で,特に善養寺氏のこの曲の演奏が好きです.曲そのものは劇的な変化と抑揚を持つものですが,氏はこの変化を抑制して演奏しています.弱音の並びにも強音の変化が入り,一方で高揚した音列が最弱音で演奏されます.善養寺氏の長管の柔らかな音と抑制された演奏が相俟って,一条の光の中に引き込まれる演奏でした.

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吉田梵仙「拈評三百則不能語」その後

吉田梵仙「拈評三百則不能語」の漢文のテキストを知人の中国人(理系の大学院卒)に見てもらいました.

1時間後,その結果は「ギブアップ」でした.

ペリーさんの和訳を見て,おそらくそれらしい事が書いてあると思われるとのことでしたが,自分では読めないそうです.私が最初の2行くらいを読み下し文として読んで見せたら,何で読めるのかと驚いていました.よっぽど読めないようです.

漢字が旧字のために読めないのか,用語・文法が古くて読めないのか,ゆっくりと話す時間がなくて聞けませんでしたが,ともかく現代中国語とはかけ離れているようです.私たちが源氏物語かそれ以前の古文を読むようなものなのでしょうか.

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霧海ジ

霧海ジを友人の前で演奏する機会がありました.

霧の中から聞こえてくる鈴(鐘)の音のイメージと説明しましたが,門外の人に尺八(笛)と鈴(鐘)との関係を言葉で説明するのは難しいものがあります.伝説の話では説得力がなく,何曲かを聴いてもらうしかないのでしょう.

さて,霧の中の鈴(鐘)の音とはどんなものかと,練習しながらあらためて考えました.近くで弱く打つと柔らかいけれど芯のある堅い音が出ると思います.近くで強く打つと明るく,堅い強い音が響き,次第に柔らかい音に変わって長く継続するのでしょう.遠くで強く打つと,音も霧で包まれて,柔らく,長い余韻の音がすると思います.遠くで弱く打つと曇った弱く,短い音がすると思います.鈴(鐘)を連打すると,次第に少しずつ早くなり,早くなるにしたがって音が弱くなるのが自然でしょう.連打の間隔が短くなると,余韻が重なり,音の減衰が少なくなるように思います.連打の最後の1,2音は少し強く,少しゆっくり打つことになりそうです.こんなことを考えていると,曲の中で音の強弱と,音色と,音の形を工夫することで,音の距離も感じられるようになれたらいいなと思いました.

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吉田梵仙「拈評三百則不能語」

吉田梵仙「拈評三百則不能語」1880年(明治13年)梶田勘助

国立国会図書館の明治時代文献から吉田梵仙「拈評三百則不能語」の普化禅師に関する章を私のHPに入力しました.

この本は全編が漢文です.残念ながら私は漢文が読めません.普化禅師の禅問答が書かれていると何となくわかりますがそれ以上には判りません.とりあえず漢字を並べて入力だけしておきました.

さて,今年国会図書館のHPに追加された関連文献のうち入力できるものはこれで終わりです.また新たに追加されたら検索して入力します.来年後半でしょうか.

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孤峰智サン「日本禅宗史要]

孤峰智■(←サン)「日本禅宗史要」1908年(明治41年)貝葉書院

その前に;
今朝は今年初めての積雪でした.約5cmです.ただ,この地では5cmや10cmでは誰も積雪とは認めません.たとえ一晩で40cm積もってもそれが遅刻の理由にはならない土地柄です.下の写真は今朝の自宅の庭です.当地は意外に気温が高く真冬でも最低気温が零下にはほとんどなりません.ですから積もった雪はどんどん融けます.融けるより多く降るのでだんだんと積もるのです.一昨年は一晩で40~60cm積雪の日が1週間以上続き,そして積雪が2mを超えました.去年は何10年振りかで積雪ほとんどゼロ.では,今年は?

P1010001s

話題を戻して;
国立国会図書館の明治時代文献から孤峰智■(←サン)「日本禅宗史要」の普化宗に関する二章を私のHPに入力しました.

「慶長の掟書」を長々と引用しているので,どうかなと思ったのですが,これについては「虚無僧徒は斯かる如何はしき御掟書並びに御條目を根據として、徳川氏の中世より丕いに跋扈跳梁するに至れり。」とのこと.普化禅師以下の系図についても「此れ固より充分の信を措くに足らずと雖も、時代の順序は畧ぼ斯の如きの徑路を辿れり」の姿勢で,虚無僧史を冷静に見ています.こういう文献こそ,記述の根拠となる文献が紹介されているとなおよかったのですが,この時代にそこまでを求めるのは無理かもしれません.

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松巌軒「鈴慕」

松巌軒「鈴慕」(神如道譜)の練習を再開しました.この曲は主要部分の大半がメリ音というとんでもない曲です.吹くことは吹くにしてもどうにもまとまりの悪い演奏になっていました.メリ音は音量に限りがあるし変化をつけにくいので,メリ音が続くとどうしても平板な演奏になってしまいます.演奏家の演奏を聴いても感心するばかりで何がどうなのかが良くわかりませんでした.今回,久しぶりに楽譜を読みなおしてみたところ,ひとつの見落としに気が付きました.この曲は延ばした音に「底揺り」を掛けます.が,譜には「底揺り」の指定のある音と指定のない音があり,良く楽譜を読み直すとその区別は厳密で,演奏の表情に重要らしいのです.神譜に書かれていることに余計なことは何もないということは判っていたつもりですが,まだまだ見落としがあるようです.

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