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西森武城「滑稽記事論説戯範」

西森武城「滑稽記事論説戯範」1890年(明治23年)目黒伊三郎発行

国立国会図書館の明治時代文献から西森武城「滑稽記事論説戯範」の一章「虚無僧の傳」を私のHPに入力しました.

面白可笑しいお話,というところでしょう.行為が常人と異なる「一奇僧」の話です.この僧が体現している「図る所ある者その意を得ずして図る所なき者其意を得る」ことが禅問答ッぽく,また「僧は何れの地の産なるを知らず、其名前も亦た無し」ということで,この僧を虚無僧としておいたようです.しかし話の内容が宗教とはかけ離れて生臭い.さて,いよいよ「虚無僧」ッぽいということでしょうか.「評に曰くヲヤ僧(そう)ですか」

(HPへのリンクが間違っていたので修正しました:11月27日)

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善養寺惠介氏演奏会

善養寺惠介氏の演奏会の案内です.

12月20日(木) 4時から,および7時から
代々木上原のMUSICASAにて

  松巌軒「鈴慕」
  普大寺「虚空」
  布袋軒「鈴慕」
  佐藤聰明「魂招琴」

チケット申し込みは善養寺氏へ
04-2924-0636

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物集高見「新撰国文中学読本」

物集高見「新撰国文中学読本」1897年(明治30年)金港堂書籍

国立国会図書館の明治時代文献から物集高見「新撰国文中学読本」の一章を私のHPに入力しました.

この本は中学の国文の教科書として編纂されたもので,古典の中の漢字かな混じり文をテキストとして集めてあります.ここで引用している「山伏、虚無僧、高野聖など」の章は,おそらく聖応著「胡蝶庵随筆」(1787,天明7年)の一節だろうと思います.江戸時代中後期の随筆です.山伏、虚無僧、高野聖などを一からげにしてボロクソです.虚無僧がややこしい存在としてみられるようになったのはもっと後かと思っていましたが,早い時期,または最初から問題視されていたのでしょう.この本は中学4年生用の教科書ですが,なんで若者にこんな文章を読ませたのでしょうかね.悪い似非宗教にかぶれるなという警告でしょうか?

明治4年の普化宗の廃止は当時の虚無僧集団にとっては大変な災難だったのでしょうが,最近私が思うには,長い目でみれば,「虚無僧」にとって良いことだったのではないでしょうか.その時点で虚無僧の歴史を断ち切ったことによって,「虚無僧」という考え方が新しくなり,結果として新たな宗教的雰囲気をまとうことができたのではないかと思います.外圧によって新たなスタートを強要されることなく,しかしその後に自滅することになった場合,現在のような形で復活するのはとても難かったように思います.

さて,ようやくHPの文章の行間を調節する方法を見つけました.これで私のHPも今までより少しは読みやすくなるはずです.少しずつこれまでのページも再調整していきます.

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中島吉太郎編「琴と笛」

中島吉太郎編「琴と笛」1902年(明治35年)田沼書店

国立国会図書館の明治時代文献から中島吉太郎編「琴と笛」の尺八の記述を私のHPに入力しました.

当時の学校教育のための理科資料として編纂されたと緒言にあります.
「本書第一編に於いては東西の楽器の構造を説明し,第二編に於いては各楽器の歴史を叙し,第三編に於いては第四編の音楽の理論を理解するに必要なる音楽学の大要を述べ,第四編に於いては西洋音楽の理論の初歩を解説し,以て第五編の各楽器の合奏法を説明する準備を与えたり.」

本のタイトルは「琴と笛」ですが,記述の範囲は広くてオルガン,バイオリン,三味線,ピアノ,月琴,篠笛,明笛,尺八,一節切,銀笛,笙,篳篥,手風琴,太鼓,鼓,和琴,一絃琴,八雲琴,二絃琴,胡弓などについて記述されています.説明は当時としては判り易いものだったろうと思います.

著者は音楽学の草分け上原六四郎の弟子とのことです.

ところで,かなりの紙数を費やしている銀笛(フラヂオレット)とは何ぞや? 6孔の金属製の縦笛とのこと.「其の構造は既に読者の熟知せらるる如く簡単なればここには述べず」という記述は不気味.そういえばフルート,リコーダー(ブロックフレーテ)の説明文が無いけれど? ケーナは7孔で金属製ではないし...

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日展

六本木の国立新美術館に立ち寄って日展を見てきました.以前に見たのはほぼ25年前です.その意味でもなかなか灌漑深いものがありました.当時は洋画・日本画を中心にして何かを得たいと食い入るように見たように覚えています.私も当時は若かった.今回は書道と工芸を中心に,しかし比較的サラリと見てきました.この25年間に私もにいろいろあって変わったのだろうと思います.展示作品は力作ぞろいで会場にいると息がつまりそうでした.一方,なんとなく芸風が揃っているような印象も受けました.特に彫刻部門では人物(特に女性)像ばかりがずらりと並んでいるのには驚きました.ただ,そうであればこそ技術が競われることになるのでしょうね.書道部門では武満徹の尺八に関する文を書いている作品がありました.その文章は読んでいて知っていますが,少々の違和感があるのでそれが気になってしまうと「書」自体は目に入らなくなってしまいます.

さて,その後,歩いていると汗ばむような東京を離れ,「トンネルを抜けて」新潟県の湯沢に出ると,急に気温が下がり,雨になっていました.日本海側では冬が始まっています.

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尚文館「国民百科全書」

尚文館編輯局編「国民百科全書」1910年(明治43年)尚文館

国立国会図書館の明治時代文献から尚文館編輯局編「国民百科全書」の尺八の項を私のHPに入力しました.

この本は明治天皇の序文がある本です.どういう背景の本なのでしょうか?

さて,編集者の序文によれば,既にこの頃には百科辞典類の発行は多いが,その中で本書は「一般国民の」「実用的知識を速成すること」にあるとし,記述は「簡易通俗」とし,「摘要に止」めたと言います.

しかし,この尺八の項に限れば,尺八吹きの私にとってもとてもわかりにくい説明文で,これで何を説明しようとしているのかがわかりません.不思議な本です.

なお,尺八の音名はフホウエ式です.

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正倉院展にて

奈良特派員からの今年の正倉院展の情報です.

今年の代表的な展示のひとつに墨絵弾弓(すみえのだんきゅう)がありました.弾弓は矢ではなく丸玉を弾く弓で,もともとは武器ですが,後に遊具となったものだそうです.展示されている弾弓には墨絵で生き生きとした散楽図が描かれています.この中に縦笛の奏者が三人いました.これらの縦笛はもちろん私たちの尺八ではないでしょうが,座っている演奏者は尺八の演奏法と良く似ています.横向きに立っている演奏者はネイのように少し斜めに吹いているようにも見えます.正面を向いて踊りながら演奏している演奏者は逆手です.これらの縦笛は私たちの尺八よりやや短く,細くみえます.

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山崎恒吉「音楽と其趣味」

山崎恒吉(山崎頼有膓)編「音楽と其趣味」1906年(明治39年)

国立国会図書館の明治時代文献から山崎恒吉編「音楽と其趣味」の尺八の項を私のHPに入力しました.

音楽論の書で,古今東西の楽器や音楽史,音楽理論が広く概説されています.日本の音楽,楽器にも多くの紙数が使われていて,その中に「尺八楽」の項があります.

この本でも「尺八」の語は一尺八分の一節切に由来するとされています.また,八十四歳になる荒木竹翁の三弦と合奏での「鶴の巣籠」を聴いて,「老たりと雖も其精神や尚ほ壮者の如き」と記述しています.

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堀成之「今古雅談」

堀成之「今古雅談」(1892年(明治25年)金港堂書籍)の尺八の項を私のHPに入力しました.

本書の尺八の項の要点は;

尺八は古くから存在したものの,身分の高い者が使う楽器ではなかった.一尺八分の一節切が本来の尺八で,それが一尺八分だから「尺八」という.一尺八寸の楽器だから「尺八」というのではない.浪花のヤクザ物たちが喧嘩の道具として一節切よりもっと長く,強いものが欲しかったので今の尺八ができた.そこで「尺八は一(ひとつ)の喧嘩道具なりしのみ」.

今の尺八をこれほど貶(おとし)めて(?)いる記述は初めて見ました.この本は古今東西の面白話を集めていますので,そういう視点からの記述でしょう.なお,先日の橋本海関「百物叢談」も,この本も,また次に入力する本も,一節切の長さの一尺八分を「尺八」の語源としています.ところでこの本では一節切を「ひとふぎつ」と呼んでいます.

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戸隠で

紅葉を楽しもうと戸隠奥社に出かけてきました.残念ながら戸隠では紅葉の時期はすっかり過ぎていてもう冬の始まりでした.インドア系の愛犬を連れていたので2キロの坂を登って奥社までは登れませんでした.それでも愛犬をはげましながら山門をすぎて法燈国師母公祈願観音堂跡の入り口までは行ってきました.この手のことに全く興味のない同行者をダマしながらともかくそこまではたどり着きました.折角なので同行者に法燈国師と虚無僧の説明を始めたのですが半分も聞いてくれない・・・まあ伝説なのでそれでもいいか...

戸隠奥社では明治初期までは山門を過ぎたところから僧坊が並んでいて興勢を誇っていたようです.法燈国師の母もそういう場所にお参りしたのでしょう.今は石垣と一部の僧坊の礎石だけが残っています.当時,おそらく「仏教」+「神道」+「修験道」の信仰が行われていたのだろうと思いますが果たしてどのような信仰だったのか.私どもになじみの深い「一音成仏」という言葉の「一音」を「般若心経」という言葉に置き換えたような信仰じゃないかと推測をしているのですが,さてどうなのでしょう.そうはいっても戸隠奥社は不思議な印象を受ける場所で,その前に立っていると,そこにいろいろなものが集まってきて静かに空にたち上っていっているような印象をうけるところです.ここが信仰の場所に選ばれたのは私は理解できます.

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橋本海関「百物叢談」

国立国会図書館明治時代文献の橋本海関「百物叢談」の尺八の記述を入力しました.

「管絃記」や「吉野拾遺」などを引用しながら伝説的な尺八の歴史譚を記述しています.

「尺八といへるは日本にて定たる名」であって「節を一ツこめて一尺八分に切るゆゑに名とせり」という説は私は初めて読みました.一節切尺八のことを言っているのだと思います.同様な説はあるのでしょうか.

「竹の細きと太ときににより調子もちがふゆゑ調子定ありて定まらず」とは,初期の楽器ならそういうものなのでしょうね.

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川本逸童「尺八独習初歩」

国立国会図書館明治時代文献の川本逸童「尺八独習初歩」の一部を入力しました.

筝・三弦との合奏の場合には,やはり,八寸管または九寸管のいずれかとしています.岩津庄兵衛「一閑流尺八本曲独習解」での記述と同じです.

合奏についての注意書の部分では当時の三曲合奏の様子が伺えます.筝・三弦は多くの場合に譜面無しの口伝で習っていたようです.その結果,同じ曲でも演奏が異なる場合があるので,そのような場合は尺八の方が筝・三弦に合わせることが必要とのことで,その逆ではないようです.著者の譜面は「數多ノ專門家ト合奏シテ正確ト認メ得ルモノヲ採用シタ」にもかかわらず,演奏ごとに尺八は筝・三弦の演奏の方に合わせるのだそうです.やはり三曲合奏に後から参入した者としての礼儀があったのでしょうか,それとも遠慮? それとも尺八はあくまでも「伴奏者」としての立場との認識でしょうか.

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