« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

尺八とTuba

30年以上前に高校生だったころは吹奏楽部,当時で言うブラスバンドですね,これに入っていてチューバを吹いていました.音楽の盛んな土地柄もあってずいぶんと熱心でした.実際の活動はわずか2年間だったのですが,30年以上たった今でも音楽の旋律を聞いていると自然に右手は旋律に合わせてチューバのピストンの操作しているように動くことからして,この2年間がいかに濃密な時間だったかが判ります.

金管楽器はマウスピースの中で唇を震わせて音をだします.唇から頬の筋肉を一定の形にする...というところまでは金管楽器も尺八も同じなのですが,その形と力の入れ具合が,実は,全く異なります.かつてチューバを吹いていたことがここでは障害になっていて,この「似ているけれど,全く違う」がどういうことなのか,これまでよくわかりませんでした.それがようやく最近,違いの道筋が見えてきたように思います.少し嬉しい気分です.が,音出し法の修正をしていると,音が出なくなりますね.ヤレヤレ.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

国立国会図書館蔵書から

このところのストレス解消の気分転換のつもりで,文献の入力を続けました.

「諸芸人名禄」には明治初期の東京の尺八演奏家の名簿が掲載されています.明治8年ですから普化宗廃止の直後ですね.

「翁草」には尺八本曲「夕暮」の成立逸話の伝説が書かれています.

「通俗十七宗綱要」「日本仏教史綱」上・下は普化宗の解説,後者には明治初期の明治政府の仏教管理政策が記述されています.いずれも明治中期の出版で,普化宗廃止から時間がたっていないころです.

ところで,2年半ほど前に調べてリストアップした虚無僧関係HPのリンクを確認してみたところ,半数以上がリンク切れになっていて,ショックです.仕方ないですね.今,新しいリンクを探す手間がありませんので,興味があればリストをキーワードとして利用してください.旧島津藩領内に「虚無僧踊り」という芸能がいくつも伝承されていることはとても面白いと思いました.天蓋をかぶり,尺八を持って踊るのです.南九州に虚無僧寺があったという話は聞かないので,何でここにあるのか不思議です.

ここです ⇒ 虚無僧遺跡,虚無僧資料,虚無僧踊りなど

| | コメント (0) | トラックバック (0)

竹友社HPで・・・・

竹友社のHPで私のHPとこのblogが紹介され,また分不相応な褒め言葉をいただき恐縮しています.田舎の素人尺八吹きとしては少々戸惑っていますが,正直言って,職場や家庭で褒められるよりもずっと嬉しいですね.竹友社HPの雰囲気は好きですので,声を掛けていただいたことを感謝しています.

竹友社のこのページです.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

坂東俘虜収容所跡

尺八とは関係ありませんが...

先日,徳島県鳴門市の坂東俘虜収容所跡地を訪問してきました.ここは1917年から1919年にかけて,第1次世界大戦中国戦線でのドイツ人捕虜が収容されたところで,しかし,例外的に収容所内に自由な雰囲気があり,活発な文化活動と,地域住民との交流がありました.昨年の映画「バルトの楽園」で描かれた場所です.驚いたことに収容所内にオーケストラだけで3団体あり,僅か3年間に,ベートーベンの交響曲1,4,5,6,9番,ハイドンの交響曲1,6番,シューベルト未完成等々,年間30回ほどの演奏会が開かれたそうです.収容所跡地は公園に整備され,慰霊碑と記念碑が設置されています.近くには鳴門市ドイツ館があり当時の沢山の資料が展示されています.

鳴門市ドイツ館

Gate_s Park_s Memorial_s Doitsu_kan_s

| | コメント (6) | トラックバック (0)

斎藤弔花「都山小伝]

国立国会図書館蔵書から

斎藤弔花「都山小伝」1911年(明治44年)

若き中尾都山が尺八を手にして,京都明暗寺に赴いて「虚無僧」になった経緯の前後を入力しました.

ここです.

読んでみて少し思うところがありますが,それはまた,他日に.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

関如来「当世名家蓄音機」その2

国立国会図書館蔵書から

関如来「当世名家蓄音機」1900年(明治33年)その2

荒木古童のインタビューが記述されていて,末期の一月寺での虚無僧の様子が語られています.古童は1844年(天保15年)から1871年(明治4年)まで一月寺と鈴法寺に用達(←これ何?)として勤めていたと言っています.

========
 虚無僧と言へば,昔は誰れでも彼れでも,尺八を吹いた者だと思ふと間違いだ,尺八を吹くというのは,住持(じゅうじ=一寺の主長の僧)と外(ほか)二三人位で,あとは吹くのではない,鳴(なら)すのだ.
 さて虚無僧は朝未明に起(おき)ると,暫時(しばし)は無言の行で,往時まづ普化禅師の像に向って合掌する,次に役僧(やくそう),法弟(ほうてい),カクマイ(隠匿)・・・・これは隠匿(かくま)はれて居る浪人で,始めは直ぐ法弟(でし)とはせず,永い間カクマイという名で其人物を試し,愈々(いよいよ)これなればと見抜いた上で,本人の志により,我宗門に入れるので,これから武士は両刀を一竹にかへて,全くの虚無僧になる,・・・・と順次三十人が三十人,残らず合掌をすませて後(のち)朝餐(あさめし)にかかり,四ツ時分(今の十時)から七ツ時分(今の四時)まで,天蓋に尺八を手にして表へでるのだから,虚無僧といへば誰れでも,尺八を吹く様に思はれるが,そうではない.
 吹くといふのは,なかなか容易の事では出来ず,多年の習練に因って,初めて許されるのだが其時には必ず立寄られて,御晝餐(ごちゅうさん)の御小憩所(おこやすみところ)と定められる例となった.
========
( ):「住持」以外は原注です.

「吹く」と「鳴す」の違いがよくわかりません.また,3段落目の文が前文と文意がつながっていないので何を言っているのか不明です.が,ともかく,これが江戸末期の一月寺の様子でしょう.虚無僧とその見習が概ね30人くらいいて,法器尺八の演奏が自由に(?)に許される高位の者はそのうち数名ということでしょうか.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

関如来「当世名家蓄音機」

国立国会図書館蔵書から

関如来「当世名家蓄音機」1900年(明治33年)その1

各界有識者28人にインタビューして,本人談の形式で斯界の様子が記述されています.この中に二代目荒木古童の談があります.

一月寺の仙石騒動,普化宗の由来と日本への伝播と国内での展開,一月寺の歴史と同寺での虚無僧の生活ぶりなどが語られています.

古童は1844年(天保15年)から1871年明治4年まで一月寺と鈴法寺に用達(←これ何?)として勤めていたと言っています.そして1871年11月の普化宗門廃止の際に一月寺の什器類を預かって所持しているとのこと.

記述された談話のうち,歴史部分は伝聞(=伝説)がほとんどでしょうが,経歴からして末期の一月寺の様子や虚無僧の生活ぶりは実話でしょう(次回へ).

古童は一月寺の喜国(きこく),小烏(こからす)という二人の豪傑の雲水が使った尺八を持っていたそうです.喜国の尺八が長さニ尺一寸八分で周囲八寸,小烏のものが長さ二尺四寸で周囲九寸だそうです.著者のインタビュー時に実物があり,著者はそれを見て「共に煤けて割れたる,古色蒼然として三百年以上のものなり」と書いています.

「三百年前」は怪しいにしても,江戸期(末期か?)の虚無僧も長管を使ったのですね.そしてずいぶんと太い竹もあったということですね.今の尺八は周囲4寸(約12cm)くらいでしょうか,5寸(約15cm)ならかなり太いほうでしょう.

原文の一部は近日中にHPに書き込みます.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「明治時代文献」まとめ

国立国会図書館のHPからダウンロードした明治時代の文献を私のHPに追加しました.また,数が多くなったので整理しました.国会図書館での検索はとりあえずこれでお休みとして,これからは読み込んでいくことにします.

「明治時代文献」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »