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力を抜いて

右腕を痛めていましたが,それがそのまま「○○肩」に移行してしまったようです.しばらく無理ができませんが,これを良い機会にしてできるだけ余計な力をいれないような尺八の演奏法を身につけたいと思います.手の力を抜いて,尺八の5つの孔からの空気の振動を指の腹で感じながら演奏できるようにしたいと思います.

今日は根笹派の曲を通しで練習しました.ずべての手を確認したいと考えたので楽譜を見て演奏しましたが,楽譜を見ていると曲の中での演奏を見失ってしまうようです.楽譜での手の確認は常に行うとしても,少なくとも通しでの練習では楽譜は見ないほうが良いようです.

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演奏一般」カテゴリの記事

コメント

私も正月に四十肩をやって、まだ少し痛みが残っています。
一度、鍼に行ったらいくらか楽になったのですが、定期的に通わないと焼け石に水です。肩に力が入っているのが常態になってしまいました。
冷やさないように、お大事にしてください。

投稿: ペリー | 2006年12月 7日 (木) 20時49分

私も頑張らねば!!
これから練習します

投稿: ろめい | 2006年12月 9日 (土) 10時08分

頑張らねばというと、一昨日 mixi に入会したのですが、あるところに道曲系の演奏映像のリンクが張ってありまして、

  http://www.matama.net/data/san-ya.wmv

趣味のおさらい会でしょうから、どうこう言うのも何ですが、良く勉強していらっしゃって、音も悪くない、音楽的にも特に問題はない。気力も充実している。
しかしそれでも、人の振り見て我が振りなおせ。
これは自分もかなり怪しい。映像を見ていると不安がふくらんできて、まさに日暮れて道遠し。生きている内に相当頑張らなければ。

何かというと息継なんですが、「音、吸気、音」と見ると、すべての音と吸気のあいだに間が無いんです。音が切れた瞬間から次の音のことを考えている。
心理上、常に音が鳴り続けていて静寂がない。だから、音は抽象的無機的な音響にすぎなくなり、音楽が生きた音楽にならない。

良い音楽は静寂から生まれて静寂を押し広げるように響くものだと思うのです。
尺八はこれが得意な楽器だし、本曲はとりわけこのことに専念しているのではないか。
日本文化は不完全性だの省略だのに個性があるという受け売りが流行っていますが、そうではなくて、核心を突くのに長じているのだと思うのです。けして不完全ではないし、完全な形から何かを省略しているのでもない。
この核心が、音楽の場合は静寂なのだと、まあ、こう書くと随分大げさですね。
やっぱり頑張るのは止めておこう。シロートが無理してもしょうが無いし。

投稿: ペリー | 2006年12月12日 (火) 17時44分

ペリーさんはペリーさんの音楽を尺八で実現するように突き詰めていかれるのが良いと思います.人それぞれの行き着く先は違うでしょうが,それぞれの音楽はそれぞれの人生を反映しているように思います.その差異を見つけるのも楽しいのではありませんか? 一方,だからこそ中途半端はいけません.またハッタリやコケオドシもいけません.

投稿: Yatou | 2006年12月12日 (火) 23時20分

いやあ、行き着く先は同じような気がしているんですが、どうなんでしょうねえ。確かに人それぞれ、若い頃は互いにお前のは音楽じゃあないなんて思い合っていたこともあるんですが…。本当に良い音楽は、受け取り方は様々でも普遍だと思っているんです。
アーノンクールで、ああ、静寂が鳴り響いていると思って、それからちょっとあせってしまって。
あまりシャカリキになっても家庭を壊してしまう。それがいやで一度、命をかけていた音楽をやめているんです。
生きられる時間は限られていますから、あせりながらもゆっくりということでしょうか。つまらない話で申し訳ありません。
お返事ありがとうございました。

投稿: ペリー | 2006年12月13日 (水) 04時32分

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