« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

年末のご挨拶

blogを初めてほぼ1年半になります.半年くらいは続くだろう,でも1年が限度かと思っていましたが,まだまだ続きます.

こんな勝手なblogでも読んでくださる方がおられることには,驚くと共に感謝の念が絶えません.今年はこれで終わりです.新年は10日ころから再開します.

よいお年を!

| | コメント (1) | トラックバック (0)

尺八の音は?

文学作品の尺八シリーズ:その9 番外編
尺八の音はどのように聞こえるか?

幾つかの作品からの抜粋です.

樋口一葉:「あきあわせ」から「月の夜」
 村雲(むらくも)すこし有るもよし、無きもよし、みがき立てたるやうの月のかげに尺八の音(ね)の聞えたる、上手ならばいとをかしかるべし、三味(さみ)も同じこと、琴(こと)は西片町(にしかたまち)あたりの垣根ごしに聞たるが、いと良き月に弾く人のかげも見まほしく、物(もの)がたりめきて床(ゆか)しかりし

Yatouの感想;
秋の夜の風情でしょうか,実にさわやか.この尺八はゆっくりと静かに流れる音だと思います.地唄か筝曲の前唄あたりの印象をうけます.手事の印象ではない.尺八本曲にも静かなものがありますが,月との取り合わせでこの文章の雰囲気とは違うように感じます.

徳田秋声:「足迹」
広々した廓内(くるわうち)はシンとしていた。じめじめした汐風(しおかぜ)に、尺八の音(ね)の顫(ふる)えが夢のように通って来て、両側の柳や桜の下の暗い蔭から、行燈(あんどん)の出た低い軒のなかに人の動いているさまが見透(みすか)された。

Yatouの感想;
狂おしいほどに陰鬱で艶かしい雰囲気づくりに「尺八の音」の語が寄与しています.個人的には,あまり浸りたく無い雰囲気.

北原白秋:「邪宗門」から「といき」

大空(おほそら)に落日(いりひ)ただよひ、
旅しつつ燃えゆく黄雲(きぐも)。
そのしたの伽藍(がらん)の甍(いらか)
半(なかば)黄(き)になかばほのかに、
薄闇(うすやみ)に蝋(らふ)の火にほひ、
円柱(まろはしら)またく暮れたる。

ほのめくは鳩の白羽(しらは)か、
敷石(しきいし)の闇にはひとり
盲(めしひ)の子ひたと膝つけ、
ほのかにも尺八(しやくはち)吹(ふ)ける、
あはれ、その追分(おひわけ)のふし。

Yatouの感想;
この場面で「追分のふし」というのには,違和感を感じます.曲のイメージより語感優先?

辻潤:「『享楽座』のぷろろぐ」
虚無の大象に跨がり 毒々しい紅百合を嗅ぐ
サルダナパロスよ!
しばらく月光の下に汝の従順なピエロオと戯れろ その時 汝の尺八は幼稚なトロイメライを奏でて 汝の胸の冷蔵庫に秘められたドス黒い心の臓に 真赤な旋律を
点火するであろう

Yatouの感想;
何を言っているのか良くわかりませんが,尺八でトロイメライを演奏すること自体が幼稚な感じがしますけど....

寺田寅彦:「蓄音機」
このような方面にはまだたくさんの探究すべき問題が残っている。ことに日本人にとっては日本語の母音や子音の組成、また特有な音色をもった三味線や尺八の音の特異な因子を研究するのはずいぶん興味のある事に相違ない。私はこの種の研究が早晩日本の学者の手で遂行される事を望んでいる。

Yatouの感想;
明治期の先駆者はたしかに先見の明があったと思います.しかし,さらに良く考えれば,バイオリンにしろトランペットにしろそれぞれ特有の音色を持っているのであって,日本の伝統楽器だけが特殊な音色を持っているわけではありませんので,海外物に比較して日本伝統物が「特殊」という見方の先駆者のひとりでもあるかもしれません.「特有」の意味を間違えていなければOKですが.

以上の原典は青空文庫HPで探してください.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

佐々木味津三:右門捕物帖

文学作品の尺八シリーズ:その8
佐々木味津三:右門捕物帖 血染めの手形

八丁堀の同心右門が突然に奉行所によばれ,幕府の密命を受け,日光に出かけて将軍家の一大事となる事件を解決します.

出発の段になって,まず,手下の伝六とともに甲州街道を西に向かい武蔵野に行き,虚無僧寺の幽光院を訪れ,二人で虚無僧の扮装をして天蓋で顔を隠してから日光に向かいます.

この「幽光院」というのは,「元和(げんな)元年の建立にかかるもので、慶安四年の由比正雪騒動のときまで前後三十年間ほど関八州一円に名をうたわれていた虚無僧寺」という設定ですから,時代と場所と位置付けから,青梅の鈴法寺を想定しているのでしょう.

伝六は虚無僧の扮装をして,「竹しらべひとつ吹けないくせに、もういっぱしの虚無僧になったつもりで、ことごとく大喜び」をしました.二人の姿は「雪駄をうがち、天蓋を深々と面におおい、腰には尺八をただ一つおとし差しにした」というものです.「おとし差し(落差)」は,「刀をきちんとささずに,刀のこじりをまっすぐに下げてさすこと(広辞苑)」とか.道中で二人が歩いていると,「ばらばらっと両三人が行く手を立ちふさぎましたものでしたから、右門もおもわず体をひらいて尺八に片手をかけよう」としたということですから,つまり尺八はすっかり武具の扱いですね.

これも江戸時代が舞台の時代小説ですから,時代考証をウルサク言うのは野暮というもの.

青空文庫HP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

坂口安吾:明治開化 安吾捕物

文学作品の尺八シリーズ:その7
坂口安吾:明治開化 安吾捕物 その一 舞踏会殺人事件

初出は1950年(昭和25年).小説の時代設定は明治18,19年.

時代は富国強兵,和魂洋才を目指し,国内にいろいろな新興勢力がうごめき始めた頃.政商加納五兵衛が自宅で仮面舞踏会を開き,その最中に殺害された.この舞踏会はもともとは鹿鳴館で開かれるものを,思惑があった五兵衛が「時代の風潮にならって立派な宴会室」を作ってあった自宅で開催したもの.時の政治家,外国大使,財界人,政商が集まった中で,虚無僧の仮装をした者が尺八の中に仕込んだ小柄(=こずか 小刀)で五兵衛の腹を刺した.だから殺人犯はその虚無僧の仮装をした者...ところが,虚無僧の仮装をした人物はもう一人いて...しかし,真犯人は...と,推理はすすんでいきます.

しかし,鹿鳴館でやってもおかしくない仮面舞踏会に,虚無僧装束の仮装とは? その他の者の仮装を探すと,「沐浴のヴィーナス」,「回教徒のサルタン」,「箱根の雲助」,「ヨロイ、カブトに身をかため軍配を片手」(大名か?),「神官」,「マスクをかけただけ」...何じゃこれ? まるでコスプレの集会.

まあ,昭和25年に書かれた明治初期が舞台の探偵小説ですから,あまり時代考証はうるさく言わないほうがいいでしょう.あえて言うなら,1950年頃の「虚無僧」のイメージの中に「犯罪」に近いものがあったということでしょうね.

青空文庫HP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

このごろの練習

昨日,数曲を軽く練習して1時間ほど演奏したところ,やはり今日,右腕に後遺症がでてしまいました.こういう時は基礎練習をしましょう.

乙音をだした後,唇の形を全く変えないままに息を強くすると甲音の大きな音がでます.そこで,唇の形を変えないようにして,息の制御だけで乙音-甲音-乙音と,ロ,ツ,レ,チ,リ,ヒの順に吹き,同じ方法でヒからロに降ります.次は同じ方法で甲音-乙音-甲音を吹きます.同じ方法でもこちらの方が少し難しい.

息の強さが同じなら,吹き込む息を細くすると少し大きな音で甲音がでます.そこで,次は,息の流れは一定にしておいて,息の太さを変えるだけで(=唇の操作だけで)乙音-甲音-乙音と,ロ,ツ,レ,チ,リ,ヒの順に吹き,同じ方法でヒからロに降ります.次は同じ方法で甲音-乙音-甲音を吹きます.こちらはかなり難しくなります.

これを音量を変えたりしながら繰り返し,どの音もきれいに出るようにします.

ブラスバンドならば中高生でも毎日やっているこういう練習を私は尺八では今ごろやっているのですから,「尺八は音の出しにくい楽器」と言う資格は私には無いだろうと思っています.

| | コメント (1) | トラックバック (0)

国枝史郎:名人地獄

文学作品の尺八シリーズ:その6

国枝史郎:名人地獄
初出:1925年(大正14年)

とても長くてゆったりとした風流な小説です...で,落ち着いて読んでいられないので,著者には失礼なのですが,尺八に関する要点のみです.

江戸に不思議な盗賊が横行した.屋敷で鼓の音が鳴ると賊に襲われた.主人公がこの賊を詮索しているときに,浅草で二人の虚無僧の話を聞いた.一人が言うに,深夜の善光寺で尺八を吹いたら音が違ったと感じた.これは善光寺の本堂の天井に金塊が釣るしてあるからだという.なぜなら笛と鼓は黄金の気を感じて音色を変えるから.この話を聞いて主人公は「思わずこの時膝を打った。『やれ有難い、いい事を聞いた。これで事情が大略(あらかた)解った。』」

風流な小説なので,この逸話はその雰囲気作りの一役になっています.

青空文庫HP

| | コメント (0) | トラックバック (0)

力をぬいて・・・その2

右腕をいたわりながら,どうしたら余計な力をぬいた演奏ができるかということを気にしながらの練習になっています.

そこで尺八をこれまでより少し持ち上げてみることにしました.これまではリコーダーの演奏姿勢より少し持ち上げた姿勢でしたが,さらに持ち上げて,45度よりさらに持ち上げ,正確ではありませんが水平より30度くらい下げただけの姿勢を試みてみました.そうすると右手の力を相当に減らせることに気が付きました.リコーダーと違って尺八は口では楽器を支えませんので,楽器が下向きになるとどうしても右手の親指と中指に力がかかります.ところが水平に近づけると右手中指にかかる力をかなり減らすことができました.ほとんど右手親指と顎だけで楽器を支えているみたいなものです.この姿勢だとメリ込みも楽です.欠点は楽譜が読みにくいことですが,これは本曲を演奏する範囲では問題ではありません.

| | コメント (3) | トラックバック (0)

夏目漱石:草枕

文学作品の尺八シリーズ:その5

初出:1906(明治39)年

主人公が画材を携えて山道を歩き,温泉宿に逗留していたとき,馬子が主人公にかつて山の中の湖に身を投げた美しい庄屋の娘の話をします.虚無僧がその庄屋の家に逗留したときに虚無僧を見染めましたが,庄屋が結婚を認めないため悲しんで湖に身を投げたというものです.この昔話が主人公がその時に逗留していた温泉宿のなにやら秘密のありそうな娘の身の上話と重層していきます.

この話では,虚無僧は「梵論字(ぼろんじ)」と言われます.さすがに梵論字では理解されないと思ったか,漱石は主人公に「虚無僧の事かい」と確認させています.「虚無僧」に恋の話では不気味になりますので,「梵論字」という摩訶不思議な言葉を使用したのでしょうか.山里にも虚無僧が来ていた(と,小説中で設定しても無理はない)こと,旅の虚無僧を庄屋が歓迎(?)して宿泊させていた(と,小説中で設定しても無理はない)こと,虚無僧が若い娘の恋の相手になるような若い男性だった(と,小説中で設定しても無理はない)こと,かといって虚無僧は庄屋が婿に迎えるような対象ではなかった(と,小説中で設定しても無理はない)ことなどが,読み取れます.

参考:青空文庫HP

| | コメント (2) | トラックバック (0)

力を抜いて

右腕を痛めていましたが,それがそのまま「○○肩」に移行してしまったようです.しばらく無理ができませんが,これを良い機会にしてできるだけ余計な力をいれないような尺八の演奏法を身につけたいと思います.手の力を抜いて,尺八の5つの孔からの空気の振動を指の腹で感じながら演奏できるようにしたいと思います.

今日は根笹派の曲を通しで練習しました.ずべての手を確認したいと考えたので楽譜を見て演奏しましたが,楽譜を見ていると曲の中での演奏を見失ってしまうようです.楽譜での手の確認は常に行うとしても,少なくとも通しでの練習では楽譜は見ないほうが良いようです.

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »