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善養寺氏リサイタル その2

善養寺氏リサイタルの演奏曲目の大ざっぱな感想を一言ずつ;

「獅子」
最初のハローから,東北の寒風が聞こえきたようで驚き,すっかり引き込まれてしまいました.ただ,一か所,私は音を間違えて演奏していたことがわかってしまいました(汗;).

「滝落」
乙音は力強く滔々と流れるように響き,高音は飛沫が輝いたようでした.抑制した表現の中に,煌めくものが垣間見えたような演奏でした.

「霧海ジ」
単調な曲だとして,門人からは演奏会の曲には評判が悪いと冗談を言っておられましたが,私はそうは感じませんでした.最近,この曲を2週間ほど集中して練習したことがあったためかもしれません.この曲に限らないのですが,譜の一音一音を確かめるような聴き方をしてしまい,その結果,曲全体を楽しむことができなかったような気がしています.

「越後三谷」
激しく,力強い曲でした.大きなユリの他に,音の隅々に小さな様々なユリを入れて,音の表情を作っておられました.少しずつでもお手本にしたいものです.

なお,演奏を間近でみていたところ,高音で音程などの補正のために,いくつかの運指を変えておられました.この運指について,今,少々の迷いがあったので安心しました。

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コメント

yatou さん、いらしてたのですか。
ろめいさんに、「昼も夜も聞くの? いいなあ」。
とかなんとか話しかけられていらしたのが yatou さんだったのでしょうか。ご挨拶できれば良かったのですが。

今回は、わたしはあまり満足できませんでした。少数派の意見として書いておきます。

後ろの階段の上で聞いていたのですが、始めの3曲は、もっと音に広がりが欲しいと思いました。会場が狭いので意識して抑えていらしたのかも知れません。あるいは、空調の音とライトのじりじりいう音が気になったせいかも知れません。

「越後三谷」は、波には聞こえなかった。波の曲という設定でしたので、たんに、ユリが波を連想させるというより以上の説得力が欲しかったです。
しかし、この曲の「乙ツメーロー」のツメのユリ後半の息ユリなど、むせび泣くような感情表現を廃して、客観的な雰囲気になっていたところなど、私は大好きです。感情が動く前の心の出来事が、そのまま音になったような吹き方が私の理想なものですから嬉しくなりました。

おまけの「調子」は冒頭のウがかなり高めになっていましたね。
あの音程を、わたしは美しいと感じるのですが、どうでしょうか?

>二人の演奏の受け答えは,二回めのほうが

善養寺さんが一方的に気をつかって合わせていたように、わたしには見えました。それでもずいぶん嬉しそうになさっていましたね。善養寺さんって根っから謙虚で良い人なんだろうなあと、ちょっと驚きました。

善養寺さんは現状でもとんでもなく素晴らしいのに、聞くたびにいっそう自由になっていらっしゃるので、今後どうなっていくのかとても楽しみです。

投稿: ペリー | 2006年10月12日 (木) 16時11分

>ろめいさんと・・・・
はい,それが私yatouです.

先にも書きましたように,1列目とそこから2mも離れていない3列目で,音の響きがかなり異なりましたので,さて,2階席ではどうだったでしょうか??

「越後三谷」は,私はもともと「波」の印象はありません.自分で演奏してもありませんし,この日も感じませんでした.それでいいのではないでしょうか.

「調子」のウですが,その音程は言われるとおりです.このウの最後がメリ込みになっています.小さい音ですが,この音が聞こえる必要があって,メリ込みの音程までたどり着くことでフレーズが安定すると感じています.自分でもこれは意識して演奏しますが,この日,上記のとおりで2階席までは聞こえなかったかもしれませんね.

投稿: yatou | 2006年10月12日 (木) 19時26分

> 音の響きがかなり異なりましたので

あの会場は見た目と違って、客がほとんど入っていない状態でも残響が少なかったので、100人前後の客が入れば相当デッドになるのでしょう。
中2階席では、音は全部聞こえたのですが、離れているぶんだけ、音が痩せてしまうのは仕方のない空間だったと思います。
特に、2曲目、3曲目に使われた尺八は、軽くて柔らかい音色の良さが生かし難かったのかも知れません。せっかくのドライヴ感というか、勢いがスルッと届いてくれないもどかしさがありました。

「調子」のウは、わたしはメリ込みの音程も高くて(レ同律でなくて)違和感はないのですが、好みが分かれるところなのでしょう。

まあ、なんだかんだと言っても、善養寺さんの音楽は素晴らしかったのです。
しかし、お金の計算をしてみると、ほぼ満席であったにもかかわらず、下手をすると赤字が出るのではないか。このリサイタルは、善養寺さんのファンサービスのようなものかとも思いました。
私は、プロというのは演奏だけで食べていけなくてはならないという、思い込みのようなものが有るのですが、今の日本ではとても難しいのでしょう。
それが逆に、プロというふれ込みの素人臭い尺八屋が横行する下地になり、良い演奏家を育てる環境が失われるという悪循環があるのでしょうか。

一方、尺八の本来の美しさというのは、どこで誰が吹いているのかも分からない、とぎれとぎれに聞こえてくる、かすかな遠くの音に耳を澄ますところにあるのではないかとも思います。しかし今時、都会でそのようなことをしたら、騒音だと言ってすぐに苦情がきます。町は騒音に溢れているというのに。

投稿: ペリー | 2006年10月14日 (土) 17時08分

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