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霧海ジの音階

昨日の,フレーズ最終音についての考察は,以前にも書いたように;
ロ=イ=ハ四五メ(またはフ)=ツ(大メ)=D,また,レ=ウ=G
として行いました.

現在の実際の対山派の演奏はそうなってはいません(少なくとも私が習ったしばらく前には).でも,前回の考察ができるということは,音楽が既存の音階を使って生まれるという前提がある限り,本来はこの音程で曲は出発したのではないでしょうか.伝承の間にメリ音の音程がずれ上がっていったのではないかと私は考えます.

その原因が,音階に関する感覚の鈍感さによるのかまたはメリ込みの技術不足の結果なのか,それともそのような新たな音階感覚を望んで得たものかが,私にはわかりません.

その過程と原因はさておき,私にとっての課題は,私がどの音程を使うか,です.

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対山派:霧海ジ」カテゴリの記事

コメント

yatou さん、お久しぶりです。
霧海ジについて、普段私は吹いていませんし、yatou さんが何に疑問をお持ちなのか、いまひとつ良くわからないところもあるので、見当違いの話になるかもしれませんがちょっと書かせていただきます。
今CDを聞けないので、対山の自筆譜のみを見ての話です。
ちょっと吹いてみただけで、何をかいわんや、ではあるのですが。

この曲は徴を宮音とする陰旋法ですね。
レウリロツレ、レツメロリウレが通常の陰旋法。
ロツレウリロ、ロリウレツメロが徴を宮音とする陰旋法。

西洋の和声音楽における終止感とは違いますが、このような音の組織によるのが日本の音楽だと受け入れてしまえば、また新しく広々とした世界がたち現れてくるような気がします。

本曲は宮音が頻繁に移動したり、チやツの音程の移動によって、陰旋法と律旋法が移動する。また、宮音や旋法を確定できなかったりと、西洋風にいうならば多調音楽ともいうべき姿を見せています。
しかし、いわゆる転調のような手続きは踏まえず、陰旋法と律旋法の移動は単に半音が上下するのみ、主音の移動にいたっては何の手続きもなされません。
これはむしろ転調と考えるよりも、核音においては宮音が浮動し、核音以外の音も常に変化する可能性を孕んだ音組織であると考える方が簡単で理解しやすいのではないかと思っています。
そうすると、同じ曲であっても人によってツやチの音程が違うことも、さして不自然ではないような気がします。

長くなるので省略しますが、フレーズという概念についても同様の洗い直しが可能かと思います。

こういった発想が正しいと言うつもりはありませんが、私はこのように理解するときに本曲が良く身に馴染み、美しい姿を見せてくれるように感じています。
参考にならないとも限らないと思って書かせていただきました。

投稿: ペリー | 2006年9月20日 (水) 11時39分

ペリーさん,コメントをいただきありがとうございます.

対山派で習ったとおりの演奏だと,霧海ジは調性のない「無調」の曲です.もともと,対山派のメリの扱いに納得できないものがあったので,そこをいろいろやっていたら,霧海ジは,アレレ?,「陽(律)」旋法の曲になっちゃった,という意味で書きました.その説明はぐちゃぐちゃ書いたとおりです.

そこで,その次は,実際に演奏してどうなるかです.いろいろやってみると,「陽旋法」に収束していくような霧海ジも悪くありません.

投稿: yatou | 2006年9月20日 (水) 12時47分

律旋法ですか。やっぱり随分見当違いだったようです。
律旋法だとレチリロツ中メレ(GACDEG)ですよね。

以下余談、おしゃべりです。
ちょっと自動的ですが、同じ節を甲乙で繰り返すときに、乙を陰旋、甲を律旋で吹くというスタイルもあるようですよね。確認していませんが、無竹など、そんな感じだったように思います。単純な曲にはまる場合はなかなか楽しくて好きなのですが、今回の霧海ジには合わなさそうですね。。

何という譜だったか…今、確認しました、東皐琴譜(1676刊)、魏氏楽譜(1768刊)などの日本で刊行された明楽の楽譜を見ると、これら律旋の音楽の尺八への影響をどうしても考えてしまいます。

虚無僧音楽の担い手が侍あがりだとして、侍の音楽的な教養は、まづ能楽。次に表向きには上の楽譜による琴学、最後に、遊郭などで仕入れた町方の音楽。当時の人にとって当たり前のことはなかなか文書に残らないので想像の域を出ないのですが、琴学、つまり明楽の影響は、今わたしたちが考える以上のものがあったはずだと思うのです。

そこで、琴古流や対山派で音を消す時に一音下げる手法がありますね。格音で終われば良さそうなのにわざわざはずす。これなど、明楽の節を反映しているのではないかと疑っているのです。つまり、音を消すための技法や装飾ではなくて、節の主要な音と考えたほうが、私はなんだかすっきりする。
もっとも、長唄でも同じような消し方をするので、確かなことは言えない。どちらの影響なのか切り分けること自体無意味かとも思いますが。

yatou さんの興味を離れすぎるかもしれませんが、ツレーウーメーツレー、とか、ツメーローメーロー のような節について。
いかにも尺八らしい節なのですが、中国、インド、中近東、西欧など、およそどこの国の笛でも一般的なターンのヴァリエーションと見て良いのではないかと思っています。だからと言って、吹き方が変わるわけでなありませんが、日本の文化はシルクロードの吹き溜まりの上に花開いているということを忘れてはならないような気がしています。

音程一般についても書きたいことがあるのですが、長くなるのでまたの機会にします。

投稿: ペリー | 2006年9月21日 (木) 03時46分

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