小林紫山「尺八秘儀」

小林紫山「尺八秘儀」
原書1922年11月の復刻版

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京都明暗寺の明暗導主会によれば,本書は木村壺堂による復刻.

著者小林紫山は京都明暗寺第三十五世看主(明暗導主会によれば第三十六世看主).

」によれば,著者は大正5年(1916)に「明暗尺八解」と,2,3の音譜を発行したが,その後の研究成果を踏まえてこの「明暗尺八解」を改訂して「尺八秘儀」と改題して発行した,とのこと.なお,今後にこれとは別に「糸曲」(外曲,三曲の意味か?)の音譜を発行する考えもあったようです.

著者の本書での姿勢は,「」に,「現時尺八趣味向上の結果糸曲の吹奏に●[?]らざる傾向を生じ著しく本曲研究を唱道さるるに至れるは正しく斯道の覺醒にして研究の正路に入り堂に昇るの階梯たらんとするものなり」と述べています.

また,当時の状況として,「緒言」では,「現時尺八が一般趣味が一般に普及し隆盛を極むるは斯界の爲め洵[まこと]に歡ばしき事なり然りと雖も餘りに歌曲吹奏に偏し古来傳ふる所の本曲を閑却さるるに至れるは遺憾に堪えず」,「普化宗廢絶後幾十年を経過したる今日に於て尚法音の遺響絶へざるは實に喜ぶべきことなり」と記述しています.

本書は,具体的な演奏技術を説明するというより,本曲演奏の心構えを述べたものです.

吹込みの事」の章に,尺八の音について,「秋風の樹木を掠めるかすれた音や鐘を撞いた刹那の力の籠った音や蓮の花の開く微妙な爽やかな音」を目指し,「吹かずに吹けた息は其音が糸より細く断續綿々として自然の妙味が出る」としています.

メリとカリについては,「メリカリの事」の章に,「顎を俯向いて吹き次第に仰向けば其音は低律より高律になる事を知らん其低きがメリ高きがカリにて甲乙兩音ともに律の高低をいふのである」,「メリカリは音の上の綾であり抑揚であり變化である激■[流?]巌を噛むの水勢と(カリの味ひ)終には深淵渦を爲すの洋々たるが如く(メリの味ひ)そこに自づから清澄の気が充実してゐる」と説明しています.また,「吹き方研究」の章には,演奏の一つの例として「ハーハイー」の譜が示され,これについて「顎は中庸よりカリになる」と図を示して顎の変化を説明しています.


 序
 一、緒言
 一、尺八の由来
 一、吹奏の心得
 一、吹込みの事
 一、メリカリの事
 一、餘韻の事
 一、吹き方研究
 一、運指の心得
 一、結論
 附録 音譜解説
 曲譜一例 調子(一部) 雲井曲

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新井政毅(1892)「虚無僧事實考」

新井政毅「 虚無僧事實考」

「風俗画報 第三拾七號」東陽堂発行

1892年1月10日


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雑誌「風俗画報 37号」は1892年(明治25年)の1月に発行され,国内の正月風俗が紹介されています.この中に川越在住の著者による虚無僧の記事があります.

先ず,記事の冒頭で「虚無僧」の名称の由来を以下のように「虚無空寂」に帰します.

雍州府志云虚無空寂を宗とす故に虚無僧と稱す又薦僧とも書

   註:雍州府志=>山城国(京都府)の地誌.1682年成立.(ブリタニカ国際大百科事典)

その後,薦僧の祖として朗庵を紹介し,京都の虚無僧寺を「妙安寺」とし,朗庵が京都妙安寺から宇治の吸江菴に移り,ここから弟子が諸国に移ったと紹介しています.

「虚無僧」の性格については以下のとおり,「還俗」を重要視しています.

虚無僧は...一時の隠家として不入守護の宗門に依て諸士の席に定め置き何時にても還俗せしむ

記事執筆の当時(1982年 明治25年)には,虚無僧が居て,(その本意ではないにしても)弟子をとって尺八と教授していたと記述しています.

虚無僧の寺院は托鉢を以て業として壇越といふもなく縣官よりも立錐の地を賜されは今は甚困窮せし故に何人なりとも望のものをは弟子として尺八吹こ[く?]とはかりと會したるは恐らくは本意ならさらん

一方,普化宗については,以下のように,虚無僧の自称の説になにがしかの疑問を持っているように読めます.

その宗旨は普化禪師より出て・・・・尺八は唐の呂才か製して大宗の時燕樂とせしというをみれは普化禪師の吹かれたるもことはり[=理]なりその血脈相承は實に彼等か云ふ所の如なりや不審と金娥長語[=綺麗で長い言葉]に見えたり

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宝台院(静岡市)「尺八碑」

静岡駅の近くにある「尺八碑」を見てきました.

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静岡駅から1㎞弱のところに室町時代創建の宝台院(寶臺院)というお寺があります.その境内に「尺八碑」が建てられています.この碑については,小菅大徹(2017)「江戸時代における尺八愛好者の記録 ~細川月翁文献を中心として~」(虚無僧研究会発行)の中の「十 「尺八碑銘」の碑について」に詳細に記述されています.
碑文によれば,この碑はこの地で尺八を教授していた柳井青翁師の功績をたたえ,1890年(明治23年)に師が64歳になったのを期に師を顕彰して門人が建立したことが書かれています.建立の主唱者として,静岡県内の35人,愛知県の1人,石工1人の名前が刻まれていますが,中には10人以上の竹名の人物がいます.女性が2人以上含まれているかもしれません.
明治23年に既に碑を建立するほどに尺八が普及していて,さらに竹名を授与する(または「承認する」)ほどに尺八の組織もできていたということに驚きました.
なお,この宝台院は徳川家康の側室「西郷の局」の菩提寺であり,大きな墓石が建立されていました.また,キリスト禁教令が出るまで家康の侍女「ジュリアおたあら」が信拝したという「キリシタン灯籠」も保存されていました.宝台院は,明治元年(1968年)に江戸幕府が倒れた後,徳川慶喜が明治2年(1969年)に市内に居所を得るまで約1年間謹慎したお寺でもあるそうです.

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團伊玖磨・小泉文夫 「エナジー対話 音楽の世界図」

團伊玖磨・小泉文夫「エナジー対話 音楽の世界図」
(株)エッソ・スタンダード石油広報部
1976年5月


蔵書整理をしているときにこの本を見つけました.非売品のようで,どのような経緯で入手したのか,記憶にありません.

1970年代後半の,価値観の混とんとした時代の軌跡の一つと思われます.この時代には,多くの人が同様な問題意識を持って問いかけをしていたように思います.果たして,その後,答は得られたでしょうか?

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音楽の世界図1
  音楽は人間にどれだけ必要か
  音楽の感動をどこに求めるか
  日本の歌の声をどうつくるか
  民族の伝統をいかに生かすか
  音楽の充実感はとり戻れるか
  私自身には音楽とは何なのか
音楽の世界図2
  日本の音楽はいまも西洋を追っているか
  アジアの国々は西洋音楽にどう対したか
  なぜ日本の音楽は文学に偏してきたのか
  見えない音が歴史をくぐってどう残るか
  音楽の教育はこれからどうしたらよいか
音楽の世界図3
  明治以後がいかに不徹底だったか
  日本語を音楽的にどう処理するか
  われらの内なるものに望めないか
音楽の世界図4
  フォルム感覚は西洋音楽の占有物か
  馬の文化がいかにリズムを作ったか
  人間関係は音楽をどう決めているか
  音楽が個性的である必要があるのか
  著作権への尊敬を何で表わすべきか
  技法の開発に錯覚がありはしないか


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平等院鳳凰堂 雲中供養菩薩像

宇治の平等院鳳凰堂に行ってきました.


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鳳凰堂は東向きに建てられていて,その中央に本尊の阿弥陀如来坐像があります.その阿弥陀如来坐像の北側(向かって右側)と南側(同左側)の壁に52体の雲中供養菩薩像が掲げられています.

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これについて平等院発行の解説書,平等院(2015)「平等院 雲中供養菩薩」では,

雲中供養菩薩像は藤原頼道によって平等院鳳凰堂が建立された天喜元年(1053)に,本尊の阿弥陀如来坐像とともに大仏師定朝とその一門によって造立されたと考えられる,日本美術史上の名品のひとつである.いずれも雲に乗り,あるいは静かに合掌し,あるいは持物を捧げ持ち,あるいは楽器を手にして音楽を奏で,あるいは立って舞うなど,阿弥陀浄土の諸菩薩(聖衆)の様々な姿を表している.

と,記しています.

この中で,縦笛を吹いている像が2体(北15号,南11号)あります.いずれも左膝を立てた立膝の形で座し,口の当て方から見て,リコーダー型の歌口ではなく,また手の添え方からも,いわゆる雅楽尺八と思われます.

北15号は細面で目をつむり,瞑想するように吹いてます.南11号はふくよかな顔で目を開け,頬を膨らませて吹いています.雅楽尺八を吹く際に頬を膨らませるかなと疑問に思うのですが,前掲書によれば南11号の頭部は明治時代の修理で補われたもののひとつだそうです.


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平等院(2015)「平等院 雲中供養菩薩」

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