吉田晴風(1942)「晴風随筆」

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吉田晴風「晴風随筆」
1942年(昭和17年)12月15日 新世社


(著作権保護期間満了)

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日本軍の真珠湾攻撃のほぼ1年後に発行された本です.吉田晴風の尺八楽への考え方が良く表れています.

宿縁」に,1914年(大正3年)23歳の時の年に朝鮮半島で宮城道雄と出会った経緯とその後の交流が書かれています.
」に,尺八を本格的に始めた頃の話が書かれています.その頃,「八圓出せばすばらしく鳴る竹が樂器店にあつたが、八圓と云へば私の支給される一ケ月の學資金と同額で手がだせなかつた。」,そこでお姉さんが本人には言わず着物を質に入れて,八円を工面してくれたと,書いています.
虚無僧行脚」に虚無僧装束での門付経験が書かれています.このころは虚無僧での托鉢も自由にできたのでしょう.
泰國随想記」:本書は,日本軍による真珠湾攻撃のほぼ1年後の出版です.このためか,以前の同著者の本では誇らしげに記述されていた米国演奏旅行についてはほとんど記載がなく,同盟国だったタイの音楽集団との交流が詳細に述べられています.

民謡」には,「[数々の民謡が]悉く、草深い農、山、漁村の名もない作家の手になつたかと思ふと、優雅な我が國民性に今更ながら感服せざるを得ないのである。」とし,その中でも「追分節は、流石に長い生命(いのち)を持つだけに、我が國の民謡としては、最も優れたものであると思ふ」と書いてます.
白衣の勇士と共に」に,「不自由の身に心のくもる日がないとは云へない。さうしたときに慰めの伴侶(とも)となり、勇氣を培ふ修養の爲となるものは魂を打込んで吹く一管の尺八でありたい」と考えて陸軍病院で尺八を指導した経緯が書かれています.
尺八の變遷」:栗原廣太の「尺八史考」にも言及しています.尺八の起源が中国にあるとして,竹製の笛,洞■[しょう]等に触れ,張伯の「虚鐸」を虚無僧尺八の起源としています.日本では雅楽尺八,次いで一節切に言及し,普化尺八は法燈國師が唐から伝えたものとして書かれています.「徳川の末期に至つて、普化宗の綱紀が亂れると共に宗徒以外のものでも尺八を弄ぶやうになり、遂には侠客,男伊達とよぶもの達が、腰間に挟んで花柳の巷を横行する所謂伊達姿が盛んになり、尺八は全く憂き目を見るに至つたのである。」「明治四年、普化宗が廢せられて以來、尺八が手輕な樂器だけに、流し廻る法界屋の手に落ちて、樂器の品位が甚だしくけがされた。」「[尺八が]今日の隆盛期を招來せしめた偉大な功績は、尺八界の恩人、吉田一調氏、荒木竹翁氏の二人に歸せねばならぬ。」と,要約しています.その後,戦時下の状況について,「志那事變以來日本思想の高揚されるにつれて、邦樂の臺頭と共に著るしい隆盛を見るに至つた。」「尺八が男性的な樂器として、戦陣の将士に愛好され、盛んに陣中で吹奏され・・・全國的に尺八熱を煽つた」「學生間に尺八の愛好家が激増して、各大學などには尺八の真摯な研究團體が生まれてゐる。」と書かれていますが,尺八と戦争の関係については,今となっては想像しがたいものがあります.
尺八夜話」には,邦楽レコードが販売されたイタリアとドイツでは「素晴らしい人氣を呼」んで,「盟邦獨伊の國民性は、どこかに我國のそれと、一脈通じるものがあるものだと思ふ。」と書いています.一方,2回の米国演奏旅行については,多数の米国紙の評論を引用して,「彼れ等批評家の一致した感想は、日本の音樂と舞踊を介して『優雅なる國民性』を知ったと云ふ點にあつた」とし、本意は判りませんが,出版した時代を反映しているようです.

情操教育と國民音樂」:「日本國民の情操教育は、日本の音樂によつて、新しい境地が開かれる」とし,さらに「尺八はもともと支那から傳來したものでありますが、日本精神に融合調和されて、我國獨得のものとなつて發逹したもので」「日本の男性に最もふさはしい」としていますが,この論理は現代の視点からはは理解に難しいものがあります.結論は「日本男児は須らく尺八を吹くべし」です.

尺八樂の本質と其將來」:「流れ出る音色そのものは、古武士の風格があり、祖國の情味が豊かに香るではないか、更に東洋風の夢幻的な調べと、宗教的な深さがある」と書かれていますが,これは尺八の本質というよりは,後からの意味付けのように感じます.尺八の楽器としての欠点として音域の不足を挙げていますが,西洋楽器の理解に不足があるようで,尺八の音域の2オクターブ半は楽器の中でも特段に狭いとは思われません.またもう一つの欠点として「開放音以外の技巧による發音が弱い」とし,たしかに新曲のジャンルではメリ音の音色の変化・音量の低下は欠点ですが,一方で「これが長所と變化することがある」として,おそらく古典曲の場合の演奏についての指摘と思われます.正しいと思います.「音量の不足」も短所としていますが,私は尺八の音量がそれほど小さいとは思えません.「吹奏上の短所」として,「雑音」や「さはり(?)」を挙げていますが,これは演奏技術の問題だと思います.「構造上の■[欠]點」として「完全な音律のものは實に少い」としていますが,これは尺八の改良の問題でしょう.


目次
好ましき人生
  いも粥
  晝行燈
  心境
  劍禪一致
  宿縁
追憶 
  飴屋の笛
  父
  母
  姉
  虚無僧行脚
  友情
  銀婚懺悔
泰國隨想記
快漢山田長政
山・海・花
  紅富士
  さくら
  菫
  海
民謠

白衣の勇士と共に
笑つて暮せる生活
せいふう混線記
尺八の變遷
尺八夜話
宮城道雄を語る
凉榻一夕話
情操教育と國民音樂
尺八樂の本質と其の將來

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吉田晴風(1936)「尺八讀本」

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吉田晴風「尺八讀本」
1936年(昭和11年)10月20日 全日本音楽出版社

(著作権保護期間満了)

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吉田晴風著「尺八讀本」シリーズの「一、入門獨習編」です.巻末に掲載されているシリーズの解説では,本書で練習すれば「如何なる初心者も一讀容易に尺八獨習の要領を會得する。」とされています.

始めの言葉」の冒頭に「此度日本大學藝術科に於て邦樂部設置され、尺八を私が擔當するに當り、入學生初心者のために最も平易簡明に説いたものが本書である。」という本書の位置づけが書かれています.当時の大学邦楽部には尺八初心者も入学していたのでしょうか.そして著者の目的として「日本男児悉く尺八趣味を持つまで努力するつもりである」と書いています.

尺八稽古に就ての質問に答ふ」の項には当時の尺八の価格が書かれていて,「尺八は一圓位から百圓以上のものもあります。普通最も多く使はれて居りますのは十圓以上七八十圓迄です。」,また「師匠に就て習ふには普通一週間一回か二回の稽古で五圓位でせう。」とも書かれています.

尺八の導く力」の項は1934年(昭和9年)の講演録ですが,この中に尺八及び尺八音楽について,次のように書かれています.アメリカでの演奏旅行時に在留邦人が「天涯の異郷に尺八の音を聞いて『これこそ祖國日本の聲だ』と申しました」「尺八の音色が如何に日本の魂を表徴するものであるかといふことを我ながら驚いた」とのことです.一方,国内の状況について,「世界の一等國として自他共に許して居ながら、音樂に於ては遺憾ながら亡國的状態であります.」「日本音樂は西洋崇拝の餘波を受けて久しい間悲境に呻吟致しました。西洋音樂に對する理解の有無を問わず、それを聞き扱はざるものは文化人でないかの如き虚榮的な風さへありました。」と述べています.明治維新以来の西洋文化の急速な導入過程で,尺八音楽に限らず国内の文化がバランスの悪い状態になっていた事は事実だろうと思います.著者はこれに対して「日本國民の情操教育は日本の音樂によつて新しい境地が開かれるものと思ひます。」「私は日本の男性に最も相應しい吾々の音樂である尺八をお奨めしたい」としてます.この後,尺八の歴史が語られますが,残念なことに,雅楽尺八,一節切,尺八伝説が区別されずに語られています.続いて「幕末、[虚無僧は,尺八が]侠客男伊達の喧嘩道具になつて芝居で見る助六のやうに腰に一本たばさんで」いて,「明治の初年には門付、法界屋によつて卑俗な唄を吹きならした。」「明治に中期より尺八界に先覺者があつて、これを正道に戻し、今日の三曲の一つとして日本代表樂器となるに至つた」と明治時代の尺八界にについて書かれていますが,何が「正道」かは明言されていません.この項の最後は「今日は有史以來の重大なる時に直面して非常時の聲が全國民を緊張させて居りますが、かくいふ時こを大いに尺八を吹いて心を練り、腹を作るべし」「今日の世相即ち西洋物質文明によつて、誤られた點は、日本固有の精神文化の建設によつて正さるべき」「日本男児は尺八を吹くべし」と結論しています.日本の中世の混乱期に出現した普化尺八は常に日本文化の傍流を歩んできましたが,明治維新以降の西洋文化の流入への対抗する日本文化のひとつとして日本文化の本流に取り込まれ,そして昭和時代に入って国粋主義が台頭する中で,歴史上初めて尺八が日本音楽の代表的楽器の一つになったのでしょう.

情操教育としての尺八」は1934年(昭和9年)の東京市電氣局での「此度市電氣局におきまして情操教育を設置され、その第一着手として尺八部を開始され、不肖私がその■に當りました」とする市の嘱託としての講演です.ここでは仕事以外の情操教育の重要性を説いています.その中で,「尺八曲には虚無僧の吹いた尺八獨特の本曲、琴、三絃の曲を尺八に移した、三曲合奏の出來る外曲、在来の曲を土臺として新味をもつた新曲、等がありますが何れもやります」として,「民謡の如きものを蔑視して來た傾きがあります、即ち追分の如きものは追分吹きに任せてやらなかつたものです。しかし日本の民謡として追分に優るものはありません」という民謡への立場を書いています.

第二課 尺八の説明」では「普通用ひて居る尺八の長さが一尺八寸」「新曲では曲の感じを出す必要から一尺六寸を最も多く使つて居ります。私の考案した練習用尺八は、最初のけいこ用として初歩者に鳴り易いために、一尺六寸の短い尺八を用ひて居るわけです。」と書いています.

ホ、甲乙のこと」では、乙音は「息を弱く唇をゆるめて吹込」む,甲音は「割合に力を入れ、唇を締めて吹込」むと記述し,比較的正確な記述です.

第四課 技巧及特殊音符」の「一、技巧音符(メリ・カリのこと)」の中にメリについて「孔の下の半分だけ開ける」「嚴密に云へば、三分の一位を開ける」とし、中メリについては「孔を横から翳す」としています.顎を引く方法については,ロのメリ,ウ,ハロとハツのハ,ナヤシ,コロコロ等に限られて説明されています.


目次 
第一課 尺八の豫備知識
  一、 始めの言葉
  二、 尺八稽古に就ての質問に答ふ
  三、 尺八上逹の秘訣
  四、 尺八の導く力
  五、 情操教育としての尺八
第二課 尺八の説明 
  一、 尺八各部の呼び方
  二、 尺八の吹き方
  三、 尺八の持ち方
  四、 姿勢
  五、 尺八の取扱ひ方
第三課 普通音符
  音符の覺え方
  一、 普通音符表(一)
    イ、 練習「君が代」手孔の明け方
    ロ、 練習「君が代」音符
    ハ、 連音
    ニ、 練習「鐵道唱歌」音符
    ホ、 甲乙のこと
  二、 普通音符表(二)
  練習 鐵道唱歌 甲乙連音連習
第四課 技巧及特種音符
  一、 技巧音符
    イ、 技巧音符の一(メリ)
    ロ、 練習 青い目の人形
    ハ、 技巧音符の二(中メリ)
  二、 特種音符
    イ、 特種音符表
    ロ、 練習數へ唄
第五課 拍子
  一、 拍子の取り方
    イ、 練習「君が代」拍子の打ち方
    ロ、 練習「數へ唄」拍子の打ち方
  二、 拍子の基本
    イ、 拍子の時間
    ロ、 點附のこと
    ハ、 補線のこと
    ニ、 練習「君が代」正式樂譜
    ホ、 練習「數へ唄」正式樂譜
    ヘ、 一拍子半の説明
    ト、 練習 青い目の人形
第六課 特種の手法と記號
  一、 特種の手法
  二、 樂譜上の記號
    イ、 古曲に用ゆる記號
    ロ、 其他注意を要するもの
    ハ、 新曲に用ゆる記號
第七課 尺八音符一覽表
第八課 練習曲
  日の丸の旗・桃太郎
  姫松・さくら
  螢の光・金剛石
  荒城の月
  ここはお國の
  ラヂオ體操の歌
    同ピアノ伴奏譜
  木曾節
  長唄越後獅子
  六段の調


巻末に同著者のシリーズ本の広告があります.このうち「一」が本書です.

吉田晴風指導 尺八讀本
一 入門獨習編
二 練習百曲集
三 宮城曲解説集(一)
四 吉田曲解説集(一)
五 箏、三絃曲集(一)
六 尺八對照 邦樂の知識編
七 尺八對照 洋樂の知識編

[六と七は]云はば尺八の大學教育です。今まで日本音樂に省みられなかつた樂理を、尺八を中心として和洋の樂理を縦横に解説しておきました。今後の邦樂界に貢献したい念願です。
前記の樂曲はすべてビクターレコドに吹込んでありますから参考對照としてきいて下さい。

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吉田晴風(1936)「尺八練習百曲集」

吉田晴風「尺八練習百曲集」
1936年(昭和11年)10月20日 全日本音楽出版社


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緒言によれば,「尺八上達の要訣は自分の知つた曲、しかも最もやさしいものから始めるもの興味もあり、最も近道です。殊に獨習者はこれに越した練習法はありません。」という観点から本書を出版したとのことです.

唱歌 18曲
童謡 11曲
宮城作曲童謠 10曲
軍歌 11曲
校歌 6曲(日本大學,早稻田大學,慶應義塾應援歌,春爛漫(一高),鳴呼玉杯(一高),日本大學應援歌)
洋樂 15曲
流行歌 8曲
地方民謠 7曲
端唄 9曲
外曲 4曲(黒髪,鶴聲,六段,千鳥)
民謠 1曲(追分)


巻末に同著者のシリーズ本の広告があります.このうち「二」が本書です.

吉田晴風指導 尺八讀本
一 入門獨習編
二 練習百曲集
三 宮城曲解説集(一)
四 吉田曲解説集(一)
五 箏、三絃曲集(一)
六 尺八對照 邦樂の知識編
七 尺八對照 洋樂の知識編

[六と七は]云はば尺八の大學教育です。今まで日本音樂に省みられなかつた樂理を、尺八を中心として和洋の樂理を縦横に解説しておきました。今後の邦樂界に貢献したい念願です。
前記の樂曲はすべてビクターレコドに吹込んでありますから参考對照としてきいて下さい。

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小林紫山「明暗本曲尺八講義録 第一篇」

小林紫山(喜久雄)「明暗本曲尺八講義録 第一篇」
1927年(昭和2年)1月5日 小林喜久雄 (印刷:明暗根本道場)


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緒言
目次
  第一篇 本曲調子     第一章 尺八根本義
      心の調べ
      一曲千遍
      一管の天下
      大自然の音韻
      天地の正道
    第二章 吹奏要義
      呼吸法
      姿勢
      間拍子
      音符
      真行草の三體
      尺管の長短
    第三章 吹奏法
      第一吹奏法(本曲調子)
      第二吹奏法(吹起の運指)
      第三吹奏法(メリ音) 
      第四吹奏法(振り音)
      第五吹奏法(音韻の進行)


「緒言」に当時刊行されていた譜のリストが以下のように記載されています.現在のリストと同じと考えられますが,「奥州鈴慕」は現在は「奥州流」,「阿字」は現在「阿字曲」と呼ばれています.この「緒言」によればこれらの外に刊行を準備していた曲が「十餘曲」あったとされていますが,現在までに刊行されていません.

獨自の表示法を以て其の音譜を刊行叢表せり。其曲名を擧ぐれば
調子、一二三調、鉢返曲、瀧落曲、三谷曲、九州鈴慕、志圖曲、善哉曲、吾妻曲、筑紫鈴慕、奥州鈴慕、秋田曲、曙調、陸奥鈴慕、轉菅掻、打鼓曲、門開曲、戀慕流、深夜曲、鳳鐸、阿字、雲井曲、榮獅子、巣鶴、龍吟虚空、鳳叫虚空、虎嘯虚空、鹿遠音、鶴巣籠
の二十九曲にして、別に明暗三虚鈴の譜を蔵すれども、古傳の秘曲は其妙諦容易に觧し難きを以て、妄りに叢表することを避けたり。以上の外尚ほ研究中のもの十餘曲あり。

これらの曲について「真、行、草の三體」の項に,三種の分類が書かれています.

曲奏には真行草の三體があつて、奏曲も亦三體に包別される。即ち三虚鈴(虚鈴、虚空、霧海ジ)を以て明暗の真體となし、・・・行曲でも真曲に近いものは真曲の行體といひ、草曲でも行曲に近いものは行曲の草體といい得られるわけである。草體に至つては本曲の外曲とでもいふべきもの・・・


「音符」の項に甲音の吹き方が記されていますが,唇を細くせず,息を強く多く吹くとされていて,説明としてはやや不十分かと思います.

甲音を吹く時の方が自然に息の勢も強くせねばならんし、量も多きを要する。従つて唇は強い息の勢に引かれて自然に引締るものであつて、殊更唇を細くしたり、顎を抑へたりして、音を作るのは絶對に悪いことである。


「尺管の長短」の項に,一尺八寸管の演奏を標準とすると書かれています.ただし,それ以上の長管と比較して,一尺八寸管は音律が揃わないとされていて,この点は少々疑問があります.ただ,本書の範囲では「正しい」音律の説明はありません.一方,以下の引用のように,尺八管ごとのある程度の音律のずれは容認しているようです.また,尺八の演奏者に「全体が低調子、引調子の人が多い」と指摘してあり,これについてはそうかもしれないという印象をもっています.

尺八練習は必ず一尺八寸の管を用いるを常法としてゐる。 ・・・尚ほそれ[一尺九寸]以上の長管になるに従つて、一層音調は自然的で律の整ひもよく、息合も樂で最も味ひなところが得られるものである。・・・短管になると律が高いから音調が急激になり、長管に比べると音調の變化も幾分味ひに乏しい感じがする。

初心の間は尺八寸を吹いても尺九寸や二尺位の低い音律より出ぬもので、其孔の一つ々々にむらあがり、一の孔は高く出るが二の孔は均り合はぬ低い音となり調子が揃はぬといふやうなものである。相当な吹手であつても全体が低調子、引調子の人が多い。また時には均り合はぬ律の音が出ることもある。故に律はなるべく高く々々吹くやうに心掛けぬと尺八の真の律にかなふやうにはならぬのである。・・・連管或は合奏などをした時、そこに多少の音律の相違はあるが、各々異なつた個性によつて吹かれる以上は免れ得ないことであつて、尺八寸の音律の相違は尺八寸といふ一定の範囲内の相違であるから大体に於て大差はないと思ふてゐればよい。要するに尺八寸以上の長管であると調子の律がはづれるといふ憂は比較的少ないが、尺八寸は中々調子がとれにくゝはづれ易いものである。


メリの吹奏法が詳細に記述されています.メリの方法に三種が説明されていますが,メリ音も音量はカリ音と同じようなるように吹奏すると指摘されています.「調子」を例にして,具体的・詳細なメリの方法が記述されています.これを全体的にみると,メリ→大メリの方法として,ウについては(三)→(一),その他の音のメリは(二)→(一)とされているように思います.

メリとは滅入ることで、音韻が沈んで調子が低くなるわけである。顔を伏せ氣味にすると顎を引くやうになる。指を孔の上に翳すこともその一つ。これは指が竹管に添ふた儘孔の真上に指をあけるもの、・・・こゝに注意を要するのは、メリ音でも息は決してゆるめてはならぬ・・・息をゆるめさへしなければ自然と息の當りが強くなり、メリ音とはいへ音量は比較的大なるものである。
(一)顎も伏せ指も翳す。(二)指を翳す。(三)顎のみ伏せる。
右三樣のメリ音は、曲奏上の味ひや前後の音韻関係から顎や指の作用に高低深減も微妙な變化を要する・・・


明暗本曲の特徴のひとつに「振り」があります.これについては,以下のように顎を斜めに振る説明がされています.

「ゆり」といふのは前後左右へ滑らかにゆり動かすのであり、「振り」といふのはわかり易くいふと、顎を一旦右斜め下の方へおろして直ぐ反對に左斜め上の方へ上げる動作で、またいひかへると普通の調子を一旦、顎を右斜め下の方へメツて次に左斜め上の方へ元の調子にカリ上げるのである。

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石島鴎雅(1936)「懐古情緒哀艶切々追分節の變遷[還?]」

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石島鴎雅「懐古情緒哀艶切々追分節の變遷[還?]」
1936年(昭和11年)10月30日 大原書房

(著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開)
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明治時代後期以降,尺八で追分節を演奏することが流行したようです.この本は民謡の側から尺八で追分節を演奏することの説明が書かれています.

まず,追分の起源について,江戸時代の「春風駘蕩、上下和平の甘い夢現の境に恍惚として酔う時制」に中仙道の「先を急がぬ馬子共が、啣へ煙管で伴侶なき無聊[むりょう]を唄ひ續けた馬子唄」としています.これが各地に伝わり「それぞれ地方々々の民衆の郷土藝術的工作が加つて」,その後「松前や江差に移入せられましてからは、一段と進化し替變せられまして、その歌詞、曲調共に全く蝦夷地民族の情調を多分に織り籠めた、蝦夷獨特の卓越せる追分節が完成された」と説明しています.

尺八については,この時代には「追分節には尺八がつきもののやうになつて居り」,「追分節は尺八樂の存在によつて一層光輝ある郷土藝術となり、民謡中の優位を支持されつつある」としています.一方,「聲樂の伴奏として尺八を奏することは寧ろ邪道であり、聲樂の特性、肉聲の厚美を破損するものであると同時に、獨奏樂としての尺八の特異性をも毀損するものであります」と述べています.また「若し追分歌手に對して尺八の伴奏をする場合は、伴奏者はどこまでも歌手の幇助者となること」と加えています.

なお,「尺八による追分節吹奏の絶對的排撃説」もこの時代にあったようですが,これには「斷然反對する」と述べており,「吉田晴風氏が、追分節を尺八樂にとり入れて教授しつつある事に對して特に敬意を表し」ているとのことです.


目次
緖言
一 西は追分東は關所
二 江差松前追分節の蝦夷趣味
三 民謠中の民謠追分節
四 松前氏の覇業と追分節發生の遠因
五 松前藩の鎖島主義
六 漁業及び收税對策
七 壓制に呻くアイヌ民族
八 禁制と追分節の起源
九 神威岬にからむ傳説
一〇 藩の私利を計つて女入禁制
一一 江差町の繁榮と追分節
一二 追分節とケンリヨ節
一三 追分節の正しい呼び方
一四 江差松前追分節の東京進出
一五 所謂正調追分節
一六 追分節歌詞の構成
一七 追分節と尺八樂

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