山本守秀・河本逸童(1925)「尺八の由來増補注釋 虚鐸傳記」

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山本守秀 解註:河本逸童 増補「尺八の由來増補注釋 虚鐸傳記」
1925年(大正14年)5月8日 樂文堂

(著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開)

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江戸時代に作られた最も伝統的な普化宗史観が取りまとめられています.


尺八の由來  洛陽 山本守秀輯録
仝 註釋   山本守秀
普化和尚小傳
法燈國師傳記
虚無僧の祖楠正勝
普化禪師系統
普化宗の作法
虚無僧の本寺と末寺
本則之寫
増補註釋 虚鐸傳記  洛陽 山本守秀解註・東京 川本逸童増補

 

 

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長崎市役所(1926)「長崎市史 地誌編仏寺部 下」

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長崎市役所「長崎市史 地誌編仏寺部 下」
1923年(大正12年)3月30日 長崎市

(著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開)

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長崎の虚無僧寺松壽軒の所在地と歴史が書かれています.幕末には困難な経緯を経験したようです.


第六節 普化宗
第一 松壽軒
  寛永拾七年創立
所在 長崎市古町貳拾五番地.
沿革 當所に關する史料無き爲今左に長崎名勝圖繪稿本に載する文を掲げて記述に代ふる事とした。
「松壽軒は古街にあり虚無僧の第宅なり。弟子等
[中略]日夕市街を勸行す。正月十八日七月十八にちに一派の弟子僧等會合あり[中略]。舊は八百屋町に在て、長福山玖琦寺、或は久喜に作る[ママ]、と號す、武州青梅鈴法寺の末寺なり、寛永十七年僧門的剏め建二世及察本寺より山名寺號の許を得たり、延寶七年官より命ぜられて古町に移す、それより七拾年を經て寛延參年に至り寺内困窘窶迫して住職なく、漸く看坊あるのみにして寺はほとんど退轉に及んとす、是に於て本寺に訴へ達して禪僧蘆山に譲り與ふ、蘆山之を受けて更に離末を請ひ寺號を改めて禪刹となす。今の太平寺是なり。それより後遂に松壽軒を以通號として今もつて看坊たり」
太平寺に寺號譲與の後は、表面虚無僧宿泊所として其の筋の許可を得、當地及び附近巡行中の虚無僧を監督して、維新後迄存在して居たが明治四年十月譜化宗廢止と共に廢絶に歸し其の舊址は今民家となつて居る。

 

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吉田晴風(1942)「晴風随筆」

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吉田晴風「晴風随筆」
1942年(昭和17年)12月15日 新世社


(著作権保護期間満了)

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日本軍の真珠湾攻撃のほぼ1年後に発行された本です.吉田晴風の尺八楽への考え方が良く表れています.

宿縁」に,1914年(大正3年)23歳の時の年に朝鮮半島で宮城道雄と出会った経緯とその後の交流が書かれています.
」に,尺八を本格的に始めた頃の話が書かれています.その頃,「八圓出せばすばらしく鳴る竹が樂器店にあつたが、八圓と云へば私の支給される一ケ月の學資金と同額で手がだせなかつた。」,そこでお姉さんが本人には言わず着物を質に入れて,八円を工面してくれたと,書いています.
虚無僧行脚」に虚無僧装束での門付経験が書かれています.このころは虚無僧での托鉢も自由にできたのでしょう.
泰國随想記」:本書は,日本軍による真珠湾攻撃のほぼ1年後の出版です.このためか,以前の同著者の本では誇らしげに記述されていた米国演奏旅行についてはほとんど記載がなく,同盟国だったタイの音楽集団との交流が詳細に述べられています.

民謡」には,「[数々の民謡が]悉く、草深い農、山、漁村の名もない作家の手になつたかと思ふと、優雅な我が國民性に今更ながら感服せざるを得ないのである。」とし,その中でも「追分節は、流石に長い生命(いのち)を持つだけに、我が國の民謡としては、最も優れたものであると思ふ」と書いてます.
白衣の勇士と共に」に,「不自由の身に心のくもる日がないとは云へない。さうしたときに慰めの伴侶(とも)となり、勇氣を培ふ修養の爲となるものは魂を打込んで吹く一管の尺八でありたい」と考えて陸軍病院で尺八を指導した経緯が書かれています.
尺八の變遷」:栗原廣太の「尺八史考」にも言及しています.尺八の起源が中国にあるとして,竹製の笛,洞■[しょう]等に触れ,張伯の「虚鐸」を虚無僧尺八の起源としています.日本では雅楽尺八,次いで一節切に言及し,普化尺八は法燈國師が唐から伝えたものとして書かれています.「徳川の末期に至つて、普化宗の綱紀が亂れると共に宗徒以外のものでも尺八を弄ぶやうになり、遂には侠客,男伊達とよぶもの達が、腰間に挟んで花柳の巷を横行する所謂伊達姿が盛んになり、尺八は全く憂き目を見るに至つたのである。」「明治四年、普化宗が廢せられて以來、尺八が手輕な樂器だけに、流し廻る法界屋の手に落ちて、樂器の品位が甚だしくけがされた。」「[尺八が]今日の隆盛期を招來せしめた偉大な功績は、尺八界の恩人、吉田一調氏、荒木竹翁氏の二人に歸せねばならぬ。」と,要約しています.その後,戦時下の状況について,「志那事變以來日本思想の高揚されるにつれて、邦樂の臺頭と共に著るしい隆盛を見るに至つた。」「尺八が男性的な樂器として、戦陣の将士に愛好され、盛んに陣中で吹奏され・・・全國的に尺八熱を煽つた」「學生間に尺八の愛好家が激増して、各大學などには尺八の真摯な研究團體が生まれてゐる。」と書かれていますが,尺八と戦争の関係については,今となっては想像しがたいものがあります.
尺八夜話」には,邦楽レコードが販売されたイタリアとドイツでは「素晴らしい人氣を呼」んで,「盟邦獨伊の國民性は、どこかに我國のそれと、一脈通じるものがあるものだと思ふ。」と書いています.一方,2回の米国演奏旅行については,多数の米国紙の評論を引用して,「彼れ等批評家の一致した感想は、日本の音樂と舞踊を介して『優雅なる國民性』を知ったと云ふ點にあつた」とし、本意は判りませんが,出版した時代を反映しているようです.

情操教育と國民音樂」:「日本國民の情操教育は、日本の音樂によつて、新しい境地が開かれる」とし,さらに「尺八はもともと支那から傳來したものでありますが、日本精神に融合調和されて、我國獨得のものとなつて發逹したもので」「日本の男性に最もふさはしい」としていますが,この論理は現代の視点からはは理解に難しいものがあります.結論は「日本男児は須らく尺八を吹くべし」です.

尺八樂の本質と其將來」:「流れ出る音色そのものは、古武士の風格があり、祖國の情味が豊かに香るではないか、更に東洋風の夢幻的な調べと、宗教的な深さがある」と書かれていますが,これは尺八の本質というよりは,後からの意味付けのように感じます.尺八の楽器としての欠点として音域の不足を挙げていますが,西洋楽器の理解に不足があるようで,尺八の音域の2オクターブ半は楽器の中でも特段に狭いとは思われません.またもう一つの欠点として「開放音以外の技巧による發音が弱い」とし,たしかに新曲のジャンルではメリ音の音色の変化・音量の低下は欠点ですが,一方で「これが長所と變化することがある」として,おそらく古典曲の場合の演奏についての指摘と思われます.正しいと思います.「音量の不足」も短所としていますが,私は尺八の音量がそれほど小さいとは思えません.「吹奏上の短所」として,「雑音」や「さはり(?)」を挙げていますが,これは演奏技術の問題だと思います.「構造上の■[欠]點」として「完全な音律のものは實に少い」としていますが,これは尺八の改良の問題でしょう.


目次
好ましき人生
  いも粥
  晝行燈
  心境
  劍禪一致
  宿縁
追憶 
  飴屋の笛
  父
  母
  姉
  虚無僧行脚
  友情
  銀婚懺悔
泰國隨想記
快漢山田長政
山・海・花
  紅富士
  さくら
  菫
  海
民謠

白衣の勇士と共に
笑つて暮せる生活
せいふう混線記
尺八の變遷
尺八夜話
宮城道雄を語る
凉榻一夕話
情操教育と國民音樂
尺八樂の本質と其の將來

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吉田晴風(1936)「尺八讀本」

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吉田晴風「尺八讀本」
1936年(昭和11年)10月20日 全日本音楽出版社

(著作権保護期間満了)

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吉田晴風著「尺八讀本」シリーズの「一、入門獨習編」です.巻末に掲載されているシリーズの解説では,本書で練習すれば「如何なる初心者も一讀容易に尺八獨習の要領を會得する。」とされています.

始めの言葉」の冒頭に「此度日本大學藝術科に於て邦樂部設置され、尺八を私が擔當するに當り、入學生初心者のために最も平易簡明に説いたものが本書である。」という本書の位置づけが書かれています.当時の大学邦楽部には尺八初心者も入学していたのでしょうか.そして著者の目的として「日本男児悉く尺八趣味を持つまで努力するつもりである」と書いています.

尺八稽古に就ての質問に答ふ」の項には当時の尺八の価格が書かれていて,「尺八は一圓位から百圓以上のものもあります。普通最も多く使はれて居りますのは十圓以上七八十圓迄です。」,また「師匠に就て習ふには普通一週間一回か二回の稽古で五圓位でせう。」とも書かれています.

尺八の導く力」の項は1934年(昭和9年)の講演録ですが,この中に尺八及び尺八音楽について,次のように書かれています.アメリカでの演奏旅行時に在留邦人が「天涯の異郷に尺八の音を聞いて『これこそ祖國日本の聲だ』と申しました」「尺八の音色が如何に日本の魂を表徴するものであるかといふことを我ながら驚いた」とのことです.一方,国内の状況について,「世界の一等國として自他共に許して居ながら、音樂に於ては遺憾ながら亡國的状態であります.」「日本音樂は西洋崇拝の餘波を受けて久しい間悲境に呻吟致しました。西洋音樂に對する理解の有無を問わず、それを聞き扱はざるものは文化人でないかの如き虚榮的な風さへありました。」と述べています.明治維新以来の西洋文化の急速な導入過程で,尺八音楽に限らず国内の文化がバランスの悪い状態になっていた事は事実だろうと思います.著者はこれに対して「日本國民の情操教育は日本の音樂によつて新しい境地が開かれるものと思ひます。」「私は日本の男性に最も相應しい吾々の音樂である尺八をお奨めしたい」としてます.この後,尺八の歴史が語られますが,残念なことに,雅楽尺八,一節切,尺八伝説が区別されずに語られています.続いて「幕末、[虚無僧は,尺八が]侠客男伊達の喧嘩道具になつて芝居で見る助六のやうに腰に一本たばさんで」いて,「明治の初年には門付、法界屋によつて卑俗な唄を吹きならした。」「明治に中期より尺八界に先覺者があつて、これを正道に戻し、今日の三曲の一つとして日本代表樂器となるに至つた」と明治時代の尺八界にについて書かれていますが,何が「正道」かは明言されていません.この項の最後は「今日は有史以來の重大なる時に直面して非常時の聲が全國民を緊張させて居りますが、かくいふ時こを大いに尺八を吹いて心を練り、腹を作るべし」「今日の世相即ち西洋物質文明によつて、誤られた點は、日本固有の精神文化の建設によつて正さるべき」「日本男児は尺八を吹くべし」と結論しています.日本の中世の混乱期に出現した普化尺八は常に日本文化の傍流を歩んできましたが,明治維新以降の西洋文化の流入への対抗する日本文化のひとつとして日本文化の本流に取り込まれ,そして昭和時代に入って国粋主義が台頭する中で,歴史上初めて尺八が日本音楽の代表的楽器の一つになったのでしょう.

情操教育としての尺八」は1934年(昭和9年)の東京市電氣局での「此度市電氣局におきまして情操教育を設置され、その第一着手として尺八部を開始され、不肖私がその■に當りました」とする市の嘱託としての講演です.ここでは仕事以外の情操教育の重要性を説いています.その中で,「尺八曲には虚無僧の吹いた尺八獨特の本曲、琴、三絃の曲を尺八に移した、三曲合奏の出來る外曲、在来の曲を土臺として新味をもつた新曲、等がありますが何れもやります」として,「民謡の如きものを蔑視して來た傾きがあります、即ち追分の如きものは追分吹きに任せてやらなかつたものです。しかし日本の民謡として追分に優るものはありません」という民謡への立場を書いています.

第二課 尺八の説明」では「普通用ひて居る尺八の長さが一尺八寸」「新曲では曲の感じを出す必要から一尺六寸を最も多く使つて居ります。私の考案した練習用尺八は、最初のけいこ用として初歩者に鳴り易いために、一尺六寸の短い尺八を用ひて居るわけです。」と書いています.

ホ、甲乙のこと」では、乙音は「息を弱く唇をゆるめて吹込」む,甲音は「割合に力を入れ、唇を締めて吹込」むと記述し,比較的正確な記述です.

第四課 技巧及特殊音符」の「一、技巧音符(メリ・カリのこと)」の中にメリについて「孔の下の半分だけ開ける」「嚴密に云へば、三分の一位を開ける」とし、中メリについては「孔を横から翳す」としています.顎を引く方法については,ロのメリ,ウ,ハロとハツのハ,ナヤシ,コロコロ等に限られて説明されています.


目次 
第一課 尺八の豫備知識
  一、 始めの言葉
  二、 尺八稽古に就ての質問に答ふ
  三、 尺八上逹の秘訣
  四、 尺八の導く力
  五、 情操教育としての尺八
第二課 尺八の説明 
  一、 尺八各部の呼び方
  二、 尺八の吹き方
  三、 尺八の持ち方
  四、 姿勢
  五、 尺八の取扱ひ方
第三課 普通音符
  音符の覺え方
  一、 普通音符表(一)
    イ、 練習「君が代」手孔の明け方
    ロ、 練習「君が代」音符
    ハ、 連音
    ニ、 練習「鐵道唱歌」音符
    ホ、 甲乙のこと
  二、 普通音符表(二)
  練習 鐵道唱歌 甲乙連音連習
第四課 技巧及特種音符
  一、 技巧音符
    イ、 技巧音符の一(メリ)
    ロ、 練習 青い目の人形
    ハ、 技巧音符の二(中メリ)
  二、 特種音符
    イ、 特種音符表
    ロ、 練習數へ唄
第五課 拍子
  一、 拍子の取り方
    イ、 練習「君が代」拍子の打ち方
    ロ、 練習「數へ唄」拍子の打ち方
  二、 拍子の基本
    イ、 拍子の時間
    ロ、 點附のこと
    ハ、 補線のこと
    ニ、 練習「君が代」正式樂譜
    ホ、 練習「數へ唄」正式樂譜
    ヘ、 一拍子半の説明
    ト、 練習 青い目の人形
第六課 特種の手法と記號
  一、 特種の手法
  二、 樂譜上の記號
    イ、 古曲に用ゆる記號
    ロ、 其他注意を要するもの
    ハ、 新曲に用ゆる記號
第七課 尺八音符一覽表
第八課 練習曲
  日の丸の旗・桃太郎
  姫松・さくら
  螢の光・金剛石
  荒城の月
  ここはお國の
  ラヂオ體操の歌
    同ピアノ伴奏譜
  木曾節
  長唄越後獅子
  六段の調


巻末に同著者のシリーズ本の広告があります.このうち「一」が本書です.

吉田晴風指導 尺八讀本
一 入門獨習編
二 練習百曲集
三 宮城曲解説集(一)
四 吉田曲解説集(一)
五 箏、三絃曲集(一)
六 尺八對照 邦樂の知識編
七 尺八對照 洋樂の知識編

[六と七は]云はば尺八の大學教育です。今まで日本音樂に省みられなかつた樂理を、尺八を中心として和洋の樂理を縦横に解説しておきました。今後の邦樂界に貢献したい念願です。
前記の樂曲はすべてビクターレコドに吹込んでありますから参考對照としてきいて下さい。

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吉田晴風(1936)「尺八練習百曲集」

吉田晴風「尺八練習百曲集」
1936年(昭和11年)10月20日 全日本音楽出版社


国会図書館で公開されています(著作権保護期間満了)

 

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緒言によれば,「尺八上達の要訣は自分の知つた曲、しかも最もやさしいものから始めるもの興味もあり、最も近道です。殊に獨習者はこれに越した練習法はありません。」という観点から本書を出版したとのことです.

唱歌 18曲
童謡 11曲
宮城作曲童謠 10曲
軍歌 11曲
校歌 6曲(日本大學,早稻田大學,慶應義塾應援歌,春爛漫(一高),鳴呼玉杯(一高),日本大學應援歌)
洋樂 15曲
流行歌 8曲
地方民謠 7曲
端唄 9曲
外曲 4曲(黒髪,鶴聲,六段,千鳥)
民謠 1曲(追分)


巻末に同著者のシリーズ本の広告があります.このうち「二」が本書です.

吉田晴風指導 尺八讀本
一 入門獨習編
二 練習百曲集
三 宮城曲解説集(一)
四 吉田曲解説集(一)
五 箏、三絃曲集(一)
六 尺八對照 邦樂の知識編
七 尺八對照 洋樂の知識編

[六と七は]云はば尺八の大學教育です。今まで日本音樂に省みられなかつた樂理を、尺八を中心として和洋の樂理を縦横に解説しておきました。今後の邦樂界に貢献したい念願です。
前記の樂曲はすべてビクターレコドに吹込んでありますから参考對照としてきいて下さい。

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