石島鴎雅(1936)「懐古情緒哀艶切々追分節の變遷[還?]」

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石島鴎雅「懐古情緒哀艶切々追分節の變遷[還?]」
1936年(昭和11年)10月30日 大原書房

(著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開)
Ishijima01  Ishijima02  Ishijima03
明治時代後期以降,尺八で追分節を演奏することが流行したようです.この本は民謡の側から尺八で追分節を演奏することの説明が書かれています.

まず,追分の起源について,江戸時代の「春風駘蕩、上下和平の甘い夢現の境に恍惚として酔う時制」に中仙道の「先を急がぬ馬子共が、啣へ煙管で伴侶なき無聊[むりょう]を唄ひ續けた馬子唄」としています.これが各地に伝わり「それぞれ地方々々の民衆の郷土藝術的工作が加つて」,その後「松前や江差に移入せられましてからは、一段と進化し替變せられまして、その歌詞、曲調共に全く蝦夷地民族の情調を多分に織り籠めた、蝦夷獨特の卓越せる追分節が完成された」と説明しています.

尺八については,この時代には「追分節には尺八がつきもののやうになつて居り」,「追分節は尺八樂の存在によつて一層光輝ある郷土藝術となり、民謡中の優位を支持されつつある」としています.一方,「聲樂の伴奏として尺八を奏することは寧ろ邪道であり、聲樂の特性、肉聲の厚美を破損するものであると同時に、獨奏樂としての尺八の特異性をも毀損するものであります」と述べています.また「若し追分歌手に對して尺八の伴奏をする場合は、伴奏者はどこまでも歌手の幇助者となること」と加えています.

なお,「尺八による追分節吹奏の絶對的排撃説」もこの時代にあったようですが,これには「斷然反對する」と述べており,「吉田晴風氏が、追分節を尺八樂にとり入れて教授しつつある事に對して特に敬意を表し」ているとのことです.


目次
緖言
一 西は追分東は關所
二 江差松前追分節の蝦夷趣味
三 民謠中の民謠追分節
四 松前氏の覇業と追分節發生の遠因
五 松前藩の鎖島主義
六 漁業及び收税對策
七 壓制に呻くアイヌ民族
八 禁制と追分節の起源
九 神威岬にからむ傳説
一〇 藩の私利を計つて女入禁制
一一 江差町の繁榮と追分節
一二 追分節とケンリヨ節
一三 追分節の正しい呼び方
一四 江差松前追分節の東京進出
一五 所謂正調追分節
一六 追分節歌詞の構成
一七 追分節と尺八樂

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尺八獨習會・沼崎鶴岺(1926)「琴古流尺八講義録」

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尺八獨習會・沼崎鶴岺「琴古流尺八講義録」
1926年(大正15年)4月 尺八獨習會

(著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開)
Numasaki01  Numasaki02
手書きの原稿をそのまま印刷した教本です.

琴古流としての方針」の節には「元来音楽の進歩如何は其国の文明程度を示すといふ位に迄社会関係を含み重要視されて居ります」「無智な蛮民共が喜ぶ浅芸[?]な鳴物と文明人が尊ぶ神秘な音楽とは其處に懸隔が■[?]るか共鳴を其生存中の心理に響興させ得る」とし,社会進化論の見解をもたれていたようです.これに続き「既に我国は皇流一栄尊き国王の元に純同血種族が堅き團結を作つて居る」と書かれ,歴史的事実と異なる当時流行の社会進化論に基づく歴史観を持たれていたようです.

尺八の歴史については,「琴古流としての方針」の節に「元来尺八は冷璋[?]なるを以て吾国民性に共鳴し大自然な曲風は好く其特有を表して居ります.殊に其来歴、宗教より出て世俗を解し或時は朝廷に入つてその美を発却[?]し或時は民間に盛つて其能を普及せしむ故、その美情の流像を呼ばしめたと云ふ事は共に我国粋界唯一の誇りであります」と,従来の伝統的見解をその方向でさらに推し進めています.また「尺八概傳」の節には「尺八は漢土の洞■[ショウ]と云ふ小竪笛の変化した物だと伝ひて居ります」と書かれています.

尺八の国内の歴史については,「尺八概傳」の節に,古い文献に記述された雅楽尺八等を「尺八」として紹介した後,「彼の貞享・元禄の頃江戸浪華の地にあつて侠客男・伊達の徒が・・・」と説明し,続いて「遂に明治初年頃に至る迄は全く不慮の境にありました」「明治より大正に至りては益々其眞價を表はして来たのであります」「近来各大学では・・・学生團が尺八を学んで、此の男性的楽器による常識の向上を計ると云ふことであります」と,当時の状況を説明しています.

尺八の音色については,「尺八を初むるに就て」の節に,「尺八音の特長とするは悲淒にして、情淑綿々、余韻弱々たる所にありますので、他の楽器とは別な趣を有して居ります.自体音楽は其の主体が純悲観であり」「尺八は音そのものが既に悲観を表はして居ります」という説明で,音楽について狭くとらえているようです.「音とは何ぞ」の節には「春暁の枕に夢を破つて響く遠寺の鐘の音・・・この鐘の音こそは尺八を好む吾々が浮[?]と聞き逃してはならない物であります」と,尺八音の理想を述べています.

音の高低」の節に,甲音について「唇に力を入れて、強く吹くとピーと云ふ高ひ音が出ます」,乙音について「唇に力をぬいて息緩く吹くと、ポーと云ふ低い音が出ます.」と説明しています.

メリカリ音の説明」の「メリの方法」の節では,「今尺八の孔を指先にて細める時」「又顎を内へ引いて息を細く、少なく入れ」「「メリ」の時には右の二法を適用」すると説明しています.また「中メリ」については「[?]り指の方だけ「メリ」にして口は普通にして吹く」と区別しています.また,「時たまあります」「大カリ」は「普通音より更らに顎を出して音を高く出す」としています.


君が代」の譜が掲載されていますが,譜を辿るとメロディーになっていません.対旋律のような歌の伴奏なのでしょうか?


表題のページに「インチキ」の書き込みがあり,さらにこれに「大」も加えられていて,結局「琴古流尺八大インチキ講義録」と読めるようになっています.本文にも若干の書き込みがありますが,それほどおかしなことも書いてないので,著者に対する個人的な思いからの書き込みかと思います.


目次
第一編 琴古流としての方針
第一章 尺八概傳
      尺八を初むるに就て
第二章 尺八樂典
      音とは何ぞ
      音の高低図解
第三章 音譜
      自然音
      技巧音
      裏五表四三二一
第四章 拍子法
      図解説明
      補助線
第五章 尺八吹奏法
      取扱法

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西野錦城(1926)「都山流・上田流 尺八獨習」

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西野錦城「都山流・上田流 尺八獨習」
1926年(大正15年)8月25日 ミヤコ樂譜會

(著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開)
Nishino01  Nishino02
緒言」の冒頭に「本書は著者が日常教授の口述尺八(ロツレチ)の譜を其儘掲げたのである」と書かれていますが,この時代まで口述による教授が行われていたのでしょうか?

甲乙及び沈(メリ)浮(ハリ)の事」の節に以下の様に書かれています.甲乙については「甲(カン)とは唇を縮めて息を細く強く吹き込み高音を發する事なり」,「乙とは息を大く弱く吹き込み低音を出すを云ふ」.また「(沈)とは顎を少しく内方へ引き入れて其音小さく弱く吹くべし」,「(浮)とは顎を少しく前方へ突出し其音大きく強く吹くべし」,「(沈)とはメイルの意にして浮とはハリアゲルの意なり」と書かれています.ただ,運指表ではメリの場合には指穴の半開が指定されています.

合奏の注意」の節には「洋樂器との合奏には尺八(八寸物)には(C調)を用ひ尺八(九寸物)には(B調)を用ふべし」と書かれていますが,この部分は理解できません.八寸管と九寸管が半音の違いであることはそのとおりですが,C調とB調との当てはめはどういうことなのでしょうか?


目次
吹奏法
音譜
拍子記號
休止記號
甲乙及波浮の事
雜種記號
合奏の心得
複譜運指法
曲譜目次

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「明闇派尺八管曲譜 本曲」及び「明闇派尺八管曲譜 三」

古本屋さんで入手した手書きの譜本です.

「明闇派尺八管曲譜 本曲」及び「明闇派尺八管曲譜 三」
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明暗流の記譜法による譜本.明暗流については「明闇派」の表記が用いられています.折本に手書き.表が「明闇派尺八管曲譜 三」で裏が「明闇派尺八管曲譜 本曲」となっています.曲名の一部が一般的表記と異なっています.

メリ音には赤字で「」と付記されています.

記譜者,所有者の記入はありません.立派な蔵書印が押されているが判読できません.この譜の販売者は「洞風会」の譜と説明しています.「洞風会」は水野呂童が設立しました.

記された譜のリストは下記のとおり.なお,3曲または4曲の本曲の譜の上に紙を貼り,新たに2曲の地唄譜が書かれています.上書きされているこれらの本曲譜には修正が多くみられるので,下書きだったのかもしれません.

   参考;
   水野呂童:本名栄之助。明治13年生、昭和7年没、53歳。琴古流尺八家。三浦琴童に師事。洞風会創立。
 「尺八備忘帳HP」から



明闇派尺八管曲譜 本曲
 虚鈴 明闇派傳三虚靈之真ノ秘曲ニシテ他宗他門ニ伝授を許サズ
 瀧落の曲
 旧州鈴慕 一朝軒ノ傳
 虚空 一朝軒傳
 三谷之曲
 霧海■[ジ] 三虚之一
 豊秋田の曲
 吾妻ノ曲 一朝軒之傳
 突飛喜
 曙調子 一名二上り獅子 一朝軒ノ傳

 以下の譜の上に紙を貼り,楫枕と四季之眺が新たに書かれています.
   鹿ノ遠音
   門開  
←?
   高音  ←?
   鶴巣籠(補)

 楫枕
 四季之眺


明闇派尺八管曲譜 三
 雪
 芥子の花
 残月
 玉の臺
 新娘道成寺
 夕顔
 玉椿
 椿盡

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普化教會・稲葉一水編纂(1915)「尺八獨習案内」

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普化教會・稲葉一水編纂「尺八獨習案内」
1915年(大正4年)4月24日 克禮堂書店

(著作権保護期間満了)
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東京で出版された本です.「」では「尺八の歴史且つは尺八道の根本義を説き懇切な吹奏法を世に紹介して初學者の好伴侶たらしめやうと思う」とし,またこの本の「樂譜は西洋音譜を基としたもの」と説明しています.

尺八の歴史については,「尺八の沿革」の節に,「尺八は唐の時代に出來たものである。」「日本に渡來したのは入唐の僧が盛に持ち歸つたからである。」「慶長十九年徳川秀忠の時普化宗の掟書が發せられ普化禪宗の基礎が定まつたのである」と,伝統的な言い伝えに則った説明をしています.また同じ説に明治以来の状況として「明治の初年には殆んど其の跡を絶つやうになつたのである。普化宗は廢れたけれども近來は琴絃に合奏する事が盛になり尺八なる樂器は昔時よりも珍重されるやうになつた。」「徒に琴絃附属の娯樂器として弄ぶといふのは大に考へねばならぬ。」という現状認識を述べています.さらに「普化宗」の節では「普化禪師(今より凡千五十有餘年前)が普化宗の開祖である」「法燈國師が入宗して教を受けたのは十六代の張雄である」,また「普化宗々義」の節では「明暗兩頭を坐斷し明暗不到の處んい徹底し茲に一枝の竹管を以て大法輪を轉ぜんとするのである」と説明し,また「普化宗門掟書」の節にはいわゆる「慶長の掟書」を掲載し,さらに「法燈國師覺心傳」の節に「實に國師は我尺八界の大恩人である事はいふ迄もない」と書くなど,伝統的な尺八観に忠実に則った記述がされています.

日本國中宗門本寺」の節には虚無僧寺の詳しいリストが掲載されていますが,出典は不明です.

尺八の吹奏法」の節では冒頭に「多くの種類の樂器の中で習得するに、尺八ほどむづかしいものはあるまい」と書かれ,その視点から独習への姿勢が詳細に述べられています.また「尺八の選擇」の節には「一尺八寸乃至一尺七寸の竹で指穴の大きくない尺八が初學者には吹き易い。」と書いてあります.

尺八の造方」の節には「全體を九半に割り竹の下面即ち關敷(カンジキ)から九半の二倍19/100だけ上に第一孔を穿け其れより上に九半宛隔てゝ第二孔第三孔第四孔を穿け第四孔より九半の半分を上に裏孔を穿るのである」「けれども現今は全體の長さの十分の二強を關敷から上に第一孔を穿け其れより十分の一宛順次に上に第二第三第四孔を穿け第四孔より十分の一の半分強を上に裏孔を穿るのである」と説明し,続いて「尺八造方一般の法則」の節に「現今は一尺八寸を定法とするが昔時は虚無僧尺八と稱へ二尺乃至二尺四寸の竹を吹いたものであつた」「今は老人だが越後明暗寺の門人神保政之介といふ名人は二尺三寸位の大竹で三谷といふ本曲を自在に吹いていた」「明和年間には淺草門に尺八指南を爲て居つた岡秀益といふ名家が六十七才の時自らの愛竹を淺草の御堂に納めた。此の尺八は二尺二寸である」と加えています.ここに示されている尺八の図は以下です.

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音譜解説」と「音譜圖解」では「西洋樂譜を基礎として音譜を説明する」として,音階を1(=ド,C)からの数字譜で示し,尺八での音階を下左の図で示し,ツのメリに相当する音に「1」(=ド)に当てています.独奏ならば問題はありませんが,他楽器との合奏を考慮すると二尺一寸管の音律になります.また,指穴を半開にする場合は,下右図のように穴の上を開けることとしています.メリについては言及がありません.

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なお「追分節」について,「現今の尺八界に悪風潮がある。其は追分節や端唄の吹奏を絶對に禁ずる事である。」「日本音樂の粹しかも最もよく我國民性に適したものは則ち追分節である。且又尺八ほど此曲の表情に好適なる樂器はない。」としてます.


目次
尺八の沿革
普化宗
普化宗々義
普化宗門掟書
法燈國師覺心傳
日本國中宗門本寺
音樂と尺八
尺八の吹奏法
一 尺八の選擇
二 尺八の造方
尺八造方一般の法則
吹奏心得
音譜解説
一 音譜圖解
二 音の長短
音譜練習
 君ケ代
 一つとや
 おいどこ
 四季の歌
 越後獅子
追分節
松前追分(正調)
松前追分(在郷節)
越後追分
本唄
馬子唄
春雨
梅にも春

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